河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話124 / 女々しさ

2024年02月28日 | よもやま話

平安時代、「かわいい」の意味を表す言葉は一つではなかった。
「うつくし、をかし、かはゆし、あいらし、いとほし、らうたし」などの様々な言葉をつかっていた。
それが、明治時代までに「かわいい」という一つの言葉で言い表せるようになっていく。
ところが、現代は逆に、「かわいい」という言葉が、「小さい、愛らしい、ぴったり、映える、美しい、味がある」などの様々な意味でつかわれている(茶話120)。
「かわいい」という言葉で様々な情感を表す日本独自の文化が、外国人に受容されて「kawaii文化」と呼ばれるようになる。
そのきっかけをつくったのが、大正時代に美人画で一世を風靡し、大正ロマンを代表する作家の竹久夢二だ。

竹久夢二は大正3年、自ら手がけた千代紙・絵封筒などを扱う「港屋絵草紙店」を東京・日本橋に開店する。
今でいう「かわいい雑貨」を販売するこの店は、若い女性の人気となり、「かわいい文化」のさきがけとなった。
    
遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が
あれあれ風に吹かれて来る
待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草の心もとなき
想ふまいとは思へども
ため涙
今宵は月も出ぬさうな
(『宵待草』1912年6月)
 ※我としもなき=自分ではどうしようもない
自らの実らぬ恋が忘れられず、一人海辺に来て詩にしたのだという。
なんとも女々しい男心。


「女々しい男」という言葉は、弱々しい男を軽蔑する言葉であると同時に、その裏には「女は弱いものだ」という差別感が潜んでいるかもしれない。
しかし、対義語の「雄々しい(=男らしい)」の逆と考えれば、「女々しい(=女らしい)」の意味になる。
男らしい、女らしいと決めつけてしまうのがおかしいのであって、男にも女々しさがあり、女にも雄々しさがあるのだと思う。
武士道とは死ぬこととみつけたり」と雄々しく述べる山本常長『葉隠』に、次の一節がある。

 恋の至極は忍恋と見立て候、逢ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。
(究極最高の恋とは、心の中に秘めて外に現わさない恋だと言える。その人に逢ってしまうと恋の程度は低くなる。一生心に秘めて、思い焦がれて死んでしまうのが、本来の恋なのだ)

ここにも、女々しい男心が感じられてならない。

恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす
思い出すよじゃ 惚れよがうすい 思い出さずに 忘れずに
おまはんの 返事一つで この剃刀が のどへ行くやら 眉へやら  (以上 都々逸)

女々しい男心。雄々しい女心があってもいい。
大正という時代は、そんな女々しさと雄々しさが混在した時代だ。
ちょうど今の世とよく似ている。
※『夢二抒情画選集』上巻 国立国会図書館デジタルコレクション 

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