河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

その26 幕末「松陰一人旅」④

2022年10月11日 | 歴史

2月23日に岸和田に着いてから3月3日までの十日間、二人は岸和田に逗留している。
その間、佐渡屋と中家の仲を取り持つこともさることながら、岸和田の多くの学者と議論を交わしている。
岸和田を立った後も堺、貝塚の学者を訪ね、3月18日の午後にようやく富田林に帰ってくる。
それから4月1日に旅立つ11日間、富田林に逗留する。よほど居心地がよかったのだろう。

3月27日 晴
弥生も末の七日、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月はありあけにて光おさまる。千早の峰々かすかに見えて、庭の中の桜花の梢(こずえ)はまだまだ心ぼそい。
旅の疲れもようやく癒える。もうニ、三日もすれば江戸に向かうことを告げると、
佐渡屋の六つばかりの子がよちよちと寄ってきて、膝の上に乗のって「いやや」と言う。
散歩がてらに石川の堤にあがる。江戸までの前途三千里の思いが胸にふさがり、幻のちまたに離別の泪(なみだ)をそそぐ。
 過春河内国 (春過ぎんとす河内の国)
 処々聞啼鳥 (処々に啼く鳥を聞かば)
 石川魚泪目 (石川の魚も目に泪す)
 勿忘河州情 (忘るる勿れ河州の情)
 新意上江戸 (意を新たにして江戸に上る)
これをお礼として佐渡屋に贈る。

上記の3月27日の日記は、あのとき春やんが話してくれたことを再現したものだ。なぜかよく覚えている。
たしかに、松陰は3月18日から4月1日に大阪に立つまでの11日間を富田林で過ごしている。しかし、その間、日記は書いていない。
とすると、これは春やんの創作!
よく覚えているはずだ。松尾芭蕉『奥の細道』に漢詩『春暁』を混ぜたパロディーだった。
春やん、ええかげんにしーや!
とはいえ、吉田松陰のその時の状況や心情はわからないこともない。

 ゆく春や鳥なき魚の目に泪 (芭蕉)
その年の我が受験は泪のうちに終わった。
春やんに「なにが、至誠にして動かざる者、未だ之(これ)有らざるなりや」と文句を言うと、
「動かんときは動かんわい。誠をつくしてもアカン時はアカン! 努力がすべて報われるとは限らんわい。せやから、もっと努力せなあかんのや!」
そう言って帰ろうとしたが、振り返って、
「そや、ええ言葉教えたろか」
そう言って、そばにあったチラシの裏に
夢なき者に成功なし」と書いた。
「誰の言葉か知ってるか?」
「・・・・・?」
吉田松陰や!」

※絵は吉田忠(国立国会図書館デジタルコレクション)


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