河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
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歴史36戦後 / 祭りじゃ俄じゃ⑤

2024年01月12日 | 歴史

※連載ものです。①から順にお読みください。
川面に新しい地車がやって来た昭和22年という年は、5月3日に日本国憲法が施行された年だ。
5月20日の第1特別国会で、吉田茂内閣が総辞職して、23日に社会党の片山哲が内閣総理大臣になった。
農村の川面は、前の年から実施された農地改革で、大地主の農地の大半が政府に買収され、それが安い価格で小作に売却され、悲喜こもごもながらも、民主主義、平等、自由が感じられるた。
物資はまだまだ不足していたが、出生267万8792人,出生率3.43,昭和最高のベビー・ブームとなった。
新しい日本の歯車が回り出した年だった。

春やんたちの円陣は俄の話になっていた。
相も変わらず、学芸会のセリフ回しで、まどろっこしいのでまとめて記す。
昔は「祭=地車=俄」で、喜志の宮さん(美具久留御魂神社)で地車の上で奉納俄を演じる者は花形であり、村の代表でもあったので特別扱いされていた。
神様に毎年同じ俄を奉納するのは失礼なことなので、奉納俄は一回きりで台本を残さない。
台本が無いのだから新しく創らなければならない。
しかし、幸いなことに戦前まで俄の台本を書いていた徳ちゃんのオッチャンが生きていた。
七十歳ちかくで徳三郎という名前なのだが、春やんたちは親しみを込めて徳ちゃんと呼んでいた。
大正時代に、沢田正二郎らが結成して人気を博した新国劇の「国定忠治」や「月形半平太」の台本を大金をはたいて購入して俄にした人だ。
それまでは、歌舞伎を真似たものを俄にしていたので、セリフの言い回しが「俄声」というのんびりとしたものだった。
「さてもさても、憎い奴じゃ」と普通に話せば数秒で終わるものを、「さーーーても、さーーーーてーも、にくーい――やーつーじゃ」と引っ張って話す。
だから、15分で終わる俄が40分とかになってしまう。
それを新国劇のごく普通の感情のこもった話し方にしたのが徳ちゃんだ。
春やんたちは早速、徳ちゃんに台本を書いてくれるように頼みに入った。

「どうか、俄の台本を書いてもらえまへんやろか」
「ワイはもう歳やがな、堪忍して!」
「そこを何とか、若い者のためにお願いしますワ」
「目も見えんし、耳も遠おなった。世の中が変わったんやさかい、俄も若い者で新しい俄にしたらええがな」
「いや、国定忠治や清水の次郎長、沓掛の時次郎みたいな股旅物がよろしおますねん」
「そんなんでええんかいな。それあったら昔の台本が有るがな」
「ええ! 残ってますのかいな! それ早よ言うとおくなはれな!」
「十年以上も前の台本で皆も内容を忘れてるやろうし、戦争で難儀したんやから、同じ俄やっても神さんも許してくらはるやろ! ちょっと待っときや!」
そう言って徳ちゃんは奥の部屋に入り、カステラの箱を持って来た。
「さあ、好きなやつを選び!」
箱の中には、半紙を二つ折りにして水引で綴じた台本が十数冊。墨で達筆に書かれている。
表紙の題名だけは何とか読めるので、畳の上に台本を並べて、あれやこれやと相談して一つを選んだ。
戦争が終わったばかりで、派手な立ち回りがあるのはよくないだろう。親子の情愛を描いたお涙物がいいにちがいない。
そう考えて皆が選んだのは「番場の忠太郎(瞼の母)」だった。

春やんが台本を手にして、表紙をめくろうとする。
皆が嬉々として覗き込む。
そして、唖然とする。
「徳ちゃん、これ何んて書いてますねん?」
「字い読まれへんのかいな!」
「すんまへん。戦争でろくに学校にも行ってまへんでしたし、こないに達筆な字は・・・」
「しゃーないなあ、一つずつ読んだるさかいに、明日から晩飯食べたら、半紙と鉛ぺつもって会所に集まっといで!」
次の日から徳ちゃんのオッチャンの俄の講義が始まった。
※⑥につづく


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