第86回
平成も二十三年に入りました。
新年とは関係がないのですが、頂いたフォトが気に入ったので紹介します。
有名な川中島合戦の銅像です。長野県長野市の八幡原史跡公園に立っています(地図参照)。
戦国時代、甲斐(山梨県)の武田信玄と越後(新潟県)の上杉謙信が直接刃を交わしたという伝記に基いて造られたものです。二人はここ長野盆地の覇権を巡って十年以上も戦っていました。銅像のシーンは四回目の激戦(永禄四年-西暦1561年-)の最中のことだそうで、謙信が単身、武田の本陣へ突入して信玄に三太刀、四太刀と浴びせ掛かりましたが、信玄は手持ちの軍配で受け止めた、というものです。
ホントかどうかはわかりません。
<影>も以前この辺りを見て回りました。その時のフォトも貼ってみます。
これは松代城址です。上記の合戦の一舞台になったところです。
当時は海津城と言っていました。千曲川の東岸から決戦場である八幡原を遠望出来ます(地図参照)。江戸時代には真田家が入り松代藩を禄していました。
松代城址側から見た八幡原です。段差があって分かり難いですが、200m程先に千曲川が流れています。4km程先を犀川が東へと流れ千曲川と合流し、この両川の間の平坦地が八幡原と呼ばれています。八幡原史跡公園にある八幡神社が地名の由来らしいです。この八幡原史跡公園の前あたり(フォト右側)を決戦場としている小説や紹介文が多々ありますが、実際の戦場は現在オリンピックスタジアムや篠ノ井中央公園のある辺りのようです(フォト左側)。
松代城址から見た妻女山です(地図参照)。合戦の時、上杉謙信が立て篭もった山です。城址から近いことにビックリです。直線距離で1.5kmくらいしかありません。謙信はこの山に二十日以上も居座って、信玄が来るのを待っていたそうです。霧にまぎれて信玄を出し抜き、山の西の雨宮の渡し(地図参照)から千曲川を渡り武田軍に襲い掛かったとのこと。
・・・ホントかどうかはわかりません。
歴史好きにはたまらない場所です。戦国ブームということもありますし、機会がありましたら他のところも紹介したいと思います。 <影>
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