研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

リンチは感心しないです。それは文明人のやることではない。

2021-06-17 22:39:27 | Weblog
最近はコロナの影響で、ネット会議やネット会議やネット会議が盛んだが、
たまに公に吊し上げられるネット会議がある。

それでこれは心底思ったのですが、僕を吊し上げる場合は、僕をゲストに呼んでくれないかな。

陰口を公で放送することは、弁明の機会も与えられず、弁護士もつかない裁判にかけられているのと同じで、
それはただのリンチですからね。

これからは、そういう場合は僕もちゃんと呼んで下さい。

木曜日は過酷な日

2021-06-17 22:28:02 | Weblog
今日は授業が3コマの木曜日。

2限目は外書購読
3限目は2年生演習
4限目は大学院演習

今年は皆んな優秀で話が早い。
問題は、マスクで顔が半分隠れているので、名前がなかなか憶えられなくて申し訳ないこと。
先生に名前で呼ばれないのは、僕の経験では予想以上に学生に寂しさを与える。

そしてそして、木曜日はラテン語学校の日。
僕は頑張って予習したが、引っかけ問題に引っ掛かっただけではなく、さらに複雑に骨折した間違い方をして、
授業を長引かせてしまい、進度を遅らせてしまった。

短くても良いので毎日必ずテキストに目を通さねば。

それは1970年代初頭生まれの当然の権利。

2021-06-17 04:33:01 | Weblog
目が覚めてしまった。

だから金の話をしたい
僕は育英会奨学金世代で、免除職(大学の先生や小中高校の専任教職につければ返済が免除される「免除職」)の世代だが、
僕よりほんの若い先生方は、日本学生支援機構と改変してからだから免除職という概念がなくなっている。

大学の教員の場合、それはそれは酷薄な世界で、免除職世代じゃない(若い)世代が、先に准教授になっていて、
免除職世代がまだテニュアを得られないでいたりする、「分割して統治せよ」がそのままに、
奨学金問題は、一枚岩には行かない。
まだ専任職を得られなかった時、非免除職人々が先にテニュアをとって、さらにサントリー学芸賞などをとって返済した話を聞く
我々が一枚岩になれるはずがないのですね。

私について言うと、旧育英会で奨学金を借りたので、免除職を見事に完遂し、返済ゼロです。
さらに学振特別研究員DC2を獲得したので庶民の税金から研究費と生活費得ました。

特にかく、文化資本がない中で、国のスネをかじるだけかじり、私は今日を得たわけです。

どーだ、凄いだろ。

我々は年金や医療保険で酷い目に遭う。
だから当然、あらゆる手段を使い回収する。

勉強時間の配分の変更について

2021-06-16 23:26:54 | Weblog
研究時間の配分を少し変更することにした。

当初の予定。
①授業を可能な限り午前に集中させ、午後から学務をこなし研究と執筆を行う。
②朝早く起きて、習い始めたラテン語の復習・予習をしたり、英語の論文を読む。

理想的だと思ったのですが、午後に燃え尽きてしまうことがわかりました。
外国語の勉強が脳髄使うというのもありますし、90分の授業を2コマは魂すり減るほどキツイ。

何より、僕には原稿(日本語)の締め切りがあるが、これをやる力が残っていない。午後には。

それで、朝早起きしてやるのは、日本語原稿の執筆にしました。
その後、大学では主に英語文献の研究と午前中の進み具合では日本語原稿の執筆。

ラテン語は、
①授業を休まず出る
②翌日に必ず入念な復習をする。
③水曜日に入念な予習をする。

現役の大学教員の時間としては、これが限界でしょうね。
本業がとにかく忙しい。

幸い、基礎講座とラテン語講読の間にもう一つ続・基礎講座ができた。
これでマスターの期限が、5年から6年になったが、今の自分には非常にありがたい。
なんとか、6年先にはスラスラ読めるようになっていたいものだ。


良いと思った本は、読める読めないに関わらず買うことが大事

2021-06-16 03:03:38 | Weblog
ある研究目的があり、それに関連する本を大量に購入する。

大量に購入するから、使い方は史料の保管に近いものになり、毎日の業務ですぐに読むことはできない。
論文を書いたり、学会発表したり、様々な研究活動の中で、こうした大量の本は断片ごとに使われる。
そのうち、時間の経過とともに当初の大量購入の意図が、消滅することもある。そういうことの方が多いかもしれない。
さらに購入した書籍が大量だと、その書籍を購入した当初の意図を忘れるどころか、その本を購入したのかどうかの記憶もなくなる。
つまり、買った本が把握できなくなる。

実は、独創性とはここから始まるのではないかと思う。
研究は、すでに書かれたものには業績的価値はない。
研究動向を正確に理解するためにその研究に関する本を購入する。

しかし、自分の当面の研究を継続している間に新たな知見や見解の変化が生まれる。
実力も増している。

そんな時、ふと、「本棚に買った記憶がない、名著を見つける」。
購入した時とは、まったく異なる視点と見識から、別の目的で書かれた名著を不意に見つける。

そこに独創的な研究構想が誕生する。
つまり、本は、あるいは近年は電子媒体で見つけた論文は、その時に興味をもったら躊躇なく買うべき。
当然、読みきれないが、実は読み切れないどころか、買った動機するら忘れた頃に、それらが独創的な研究構想を導くから。