ウィーンわが夢の街

ウィーンに魅せられてはや30年、ウィーンとその周辺のこと、あれこれを気ままに綴ってまいります

シュネーベルクに登ろう

2010-03-13 19:02:58 | ウィーン
ウィーン南駅から特急でヴィーナー・ノイシュタットまで行き、そこでプフベルク行きのローカル線に乗り換え、さらに終点のプフベルクでシュネーベルク登山鉄道に乗り換えます。登山鉄道は定員制なので、駅で番号をもらって乗車します。
ちなみに現在は南駅の改造にともない、南部鉄道の列車はヴィーン・マイトリングから出ます。

調べてみたところ、
ヴィーン・マイトリング 08:57発 (特急)、ヴィーナー・ノイシュタット 09:28着
ヴィーナー・ノイシュタット09:37発、プフベルク・アム・シュネーベルク 10:23着
が一番利用しやすい接続です。
ウィーンからはこの特急の前に普通電車が出ますが、結局ヴィーナー・ノイシュタットで 09:37発を待つことになるので、意味はありません。
わたしたちは、そうは言いつつも、結構一本前の普通電車でヴィーナー・ノイシュタットまでいって、駅のキオスクで飲み物とか、サンドウィッチとかを買ったりしたものですが。

さて、登山鉄道のほうですが、これが悩ましいのです。

わたしたちが初めてシュネーベルクに登ったのは、1984年の夏でした。そのときはすべての登山鉄道がまだSLでした (写真)。



しかし、森林地帯を走っていくので、山火事の危険性があり、現在はザラマンダーというディーゼルカーになりました。ただ、どうやら日に一本だけ、現在もSLを運行しているようです。どうせなら、それに乗りたいですよね?

その発車時刻はプフベルク・アム・シュネーベルク 10:15発です!!!!!!!
かりにウィーンをうんと早く出発してきて、間に合ったとしても、乗車整理券の窓口はシーズンの天気のいい日などは、黒山の人だかりですからね、ほとんど絶望的です。(*したがって、どうしてもSLに乗りたいと思う人は、プフベルクに前日泊まることをお勧めします。)

で、先ほどの行程で到着した場合の接続ですが、
プフベルク・アム・シュネーベルク11:00発のザラマンダーに乗ることになります。これも土日などは乗れないことがあるものと覚悟しておかなくてはなりません。
座席予約券が手に入ったら、気持ちが落ち着いてようやく駅構内に目を向けるゆとりが出てきます。SLがザラマンダーに代わって、しばらく駅構内にはまだ、SLが展示してありました(写真)。しかし、これもどうやらいつの間にか撤去されてしまいました。


プフベルク駅に展示されていたSL (2005年撮影)

 <シュネーベルク登山鉄道豆知識>

オーストリアに現在も残るラック式登山鉄道4路線 (Achenseebahn, Erzbergbahn ―この路線は季節運行です, Schafbergbahn, Schneebeergbahn) のひとつ。

全長9.7kmで、ラック式鉄道としてはオーストリア国内最長路線です。また、終点のホホシュネーベルク駅は標高 1,795メートル地点にあり、オーストリアで最も標高の高いところにある駅です。麓のプフベルク駅の標高は 577メートル、標高差 1,218メートル、最大勾配19.7パーセントを現在SLは72分、ザラマンダーは53分で登っていきます。

シュネーベルクに登山鉄道を走らせる計画はすでに1872年、ウィーン万博の前年に持ち上がりました。当時すでにシュネーベルクを自力で登山して山小屋を訪れる人は年間1万人をかぞえたと言い、シュネーベルク登山はブームでした。鉄道はパイエルバハ側から敷設される予定でしたが、ウィーン万博の開催時期、オーストリアは経済恐慌に見舞われ、登山鉄道の計画は廃案となりました。
1885年になってあらためて登山鉄道計画 (現在のヴィーナー・ノイシュタットからプフベルクを経由してホホシュネーベルクに至る路線) にようやく認可が下り、1895年プフベルク駅の建設が始まり、1897年6月1日に中間地点のバウムガルテンまでの路線が、そして同9月25日に山頂駅までの全路線が完成、営業を始めました。

なお、ザラマンダーが走り出したのは1999年7月24日からです。
また、2003年からはインターネットで座席券も予約できるようになりました。

ただ、山頂はなにしろ標高1,795メートルにありますから、真夏でも悪天候だととても寒くなります、その上周辺にガスが立ち込め何も見えませんからね。わたしたちも強行して登ったこともありましたが、ゆっくり過ごす気にはならずに、早々に降りたことがあります。せっかく座席を予約していても、当日天気がよくないと落胆することになりますから、やはり現地で並んで切符を買ったほうがベターかもしれません。

では登山鉄道の旅を開始しましょう。

列車は右手にシュネーベルクの切り立った山壁を望みながら走り、まず標高 613メートルの停車駅シュネーベルク・デルフルに到着します。ここから急こう配を上がりはじめ、眼下にプフベルク谷の美しい風景がひろがっていきます。ハウスリッツザッテル停車場 (826m) を出発すると今度は左手南方に 1352m のガーンスの広々としたパノラマ、そして西のシュトゥールエックから東のヴェクセルへと連なる山々のパノラマが展望され、さらに右手前方にヴァクスリーゲルが姿を現し、山頂 (1884m) にはエリーザベト・キルヒェルルの姿も確認できます。ヘングストヒュテ、テルニッツァー・ヒュテを経て、ひとまず標高 1,395 メートルのバウムガルトナー駅に到着です。

ここはSL時代、機関車に水を補給したり、また、下り列車を待ち合わせる上からも、今でも、しばらく停車します。そしてお客さんの最大の楽しみは、車外に出て、売店の名物ブフテルンを買い求めます。長蛇の列が出来ると、発車時間に間に合わない恐れも出てきますが、車掌さんも、売店の売り子さんもそのへんは心得ており、あきらめなければ、手に入れることが出来るはずです。



ブフテルン (2005年撮影)



ブフテルン (2006年撮影)

ただ、まだゆっくり並んでいる人がいるなあと安心していると、その人たちはこのバウムガルトナーで下車して、そこから先はハイキング、という場合があるので、車掌さんがせかし始めたら、車内に戻った方が賢明です。
昨年車内で向かい合わせに座ったご婦人づれは、このバウムガルトナーで下車、ここから歩いて下山するのだと言っていました。

わたしたちも 2005年は、ここで途中下車しましたので、ゆっくりとまわりの景色を楽しみながらブフテルンを味わいました。

2005年は、わたしたちはここから歩いてパイエルバハを目指したのです。

そのコース、基本的には下る一方でそんなにきついとは思っていませんでしたが、なにしろゆっくり、ゆっくり景色を楽しみながら歩いて行きましたので、最後は日没との戦いになってしまいました。森の中を歩いていきますからね、夏で日本よりは日没が遅いとは言え、あまりぐずぐずして、本当に日が暮れてしまうと遭難の危険が出てきますから、このときは焦りました。

わたしたちはコースとして、クルムバハシュタインの山越えはきついだろうと回避、山を迂回するようにヴァッサーシュタイクを歩いたのですが、これもそこそこ山道らしい険しさ、アップダウンがあって、楽しいコースでした。そして、ひとまずフリードリヒ・ハラー・ハウスに到着。


フリードリヒ・ハラー・ハウス (2005年撮影)

ここから、コースは大きく、カイザーブルンへと降りる道と、パイエルバハに下る道と二つに分かれます。いつか、カイザーブルンに歩いて降りてみたいと思っていますが、そこから先の交通の不便さを考えると、カイザーブルンに泊まることを覚悟しないといけないので、どうなりますやら。
わたしたちは山小屋でパイエルバハに行く道を尋ねて、歩きだしたのですが、森のなかのコースで最高に楽しいよ、って言われました。しかし、それもゆとりのある間、時間と勝負し始めると、楽しさもいつかすっ飛んで行きますね。やはり山歩きに最も大切なのは計画のゆとりです。
わたしたちが歩いたコースは、シュレーグルミュールの製紙工場に運ぶための木材をこの一帯から切り出して、麓におろす目的でつくられた木道があちこちに残っていて、社会科の勉強のようで興味をそそられるコースでした。そして山の事故をなくそうと道の途中にはマリア像が岩壁に掲げてあったり、オーストリアならではです。

<ブフテルン豆知識>

Buchteln とも Wuchteln とも綴ります。ドイツでは Ofennudeln (オープンで焼き上げるパスタ) と呼んだりします。へーフェ生地のクネーデル (お団子ですね)、またはタッシェ (四角いものです) で、あんこは入っているものも、はいらないものもあるようです。もともとはボヘミア (現在のチェコ) から来たものです。
オーストリアではポヴィードル (プラムムース)、モーン (けし)、トプフェン (クワルク)、マリレン (アプリコット) などなどをあんことして入れます。
5個を円くドーナツ状にくつっけて焼き上げるのがウィーン風で、パウダーシュガーを振りかけて温かいうちに食べます。
温めたヴァニラソースに浸して食べるところもあります (ライヒェナウのマリーエンホーフ・ホテルのレストランではヴァニラソースのなかに浮かんでいるような感じでした)。


(マリーエンホーフのブフテルン、2006年撮影)

ウィーンの芸術家たち、若者に人気のカフェ、ハヴェルカでは、マダムが 2005年に亡くなるまで自らブフテルンを焼いてくれていたそうです。


さて、登山鉄道の旅の続きです。

山麓駅のプフベルクからバウムガルトナーまで、距離にして7.36km、標高差821mをザラマンダーは42分で、SLは62分かけて登ってきます。
バウムガルトナーから山頂駅までは、距離にしてあと2.312km、標高差397mです。これをザラマンダーは11分、SLは20分かけて登っていきます。

ちなみにここから山頂を目指して歩くのも好まれるコースのようです。オーストリアの登山道には標識が完備されていますので、それに従って行けば迷うことはないはずです (と一応もっともらしく書いておきますが、実はわたしはこの標識を直ぐに見失ったり、また地図を読むのがよほど苦手なのか、なんども今まで迷うことがありました。面目ない!!!) ここでは、最初に黄色い標識、そして次に赤い標識に従って登っていくとおよそ一時間ほどで山頂にでられるそうです。

しかし、登山鉄道もここからがハイライトです。せっかくなので、登山鉄道で山頂を目指しましょう。
ここから先、山頂に近付く最も勾配のきついところで列車は二つトンネルを通り抜けていきます。最初のトンネルの長さは 152m、二番目のトンネルは、120mです。カーブしながらトンネルを抜けていくと、突然景色が開けて感動的です。そして、もう樹木の姿もなくなったアルムをゆっくりゆっくり登っていくと、終点のホホシュネーベルク駅に到着です。



キルヒェルルとザラマンダー (2006年撮影)



キルヒェルル (2006年撮影)



眼下にバウムガルトナー駅を望む (2006年撮影)



山上のお花畑 (2006年撮影)



山上に見つけた野生のSteinbock (アルプス・アイベックス、2006年撮影)



山頂ホテルから眼下を望む (2006年撮影)


 <皇妃エリーザベト記念教会 (キルヒェルル) 豆知識 >

オーストリア皇妃エリーザベト、通称シシーは 1898年9月10日、旅先のジュネーブで無政府主義者によって暗殺されてしまいました。直ちにホホシュネーベルク山上に彼女の記念碑を造ろうという案が持ち上がりました。展望塔と献堂を備えた天文台のような形にするという案でした。しかし費用がかかりすぎるということで実現しませんでした。
ならばせめて献堂だけでも建てようとなり、たまたま 1898年プフベルクに休暇を過ごしに滞在していた副司教に人々の希望が伝えられると、そういうことであれば日曜にシュネーベルク登山をする人々の礼拝場所にもなると、計画を後押ししてくれ、一気に実現化に向けて動き出したのです。建築委員会がつくられ、またウィーン2区の「婦人会」も加わって、資金集めがされました。
1899年春に最初の礎石がおかれ、以後建造は急ピッチで進み、1901年9月4日最後の礎石がおかれ、翌日、大きな祝典を催す中、聖別されました。

内部は、大理石の祭壇の上に天使に囲まれたマリア像、側壁にはニーダー・エスタライヒ州の守護聖人聖レーオポルト、反対側には聖エリーザベト像が配されています。


キルヒェルル内部の祭壇 (2006年撮影)

1902年6月18日、シシーの夫君、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は登山鉄道に乗ってホホシュネーベルクに到着、1898年に開業した山頂ホテル、並びにエリーザベト教会を訪れました。ホテルは現在なおホホシュネーベルク山の家 (Berghaus) と名乗っています。



ホホシュネーベルク山頂ホテル (2006年撮影)


○ ダムベックハウス

午前11時のザラマンダーで山頂にあがってきた身には、もうおなかがぺこぺこになっているかもしれないでしょうが、もし天気がいいのであれば、ここはもう少し我慢して、ぜひダムベックハウスまで足を延ばしてみましょう。
キルヒェルル、あるいは登山鉄道の山頂駅から 30分も歩けば着きます。途中ラックスをまじかに眺めることもできます。また、ところどころ万年雪が残っていて、アルプスの花もそれぞれにあなたの訪問を歓迎してくれるかのように、にっこり風に頭を揺らしています。
ダムベックハウスは標高 1,810mのところにありますから、そこまではさしたる登りもなく、散歩気分でやってくることが出来ます。
夏場テラスは人でいっぱいです (昨年2009年は今までに経験したことがないくらいテラスは大賑わいでした)。でも、小屋の中に入れば、席は必ずあるし、こういうところでこそ、オーストリアの人々と相席して、いろいろお話するのも山登りの楽しさですからね。
ちなみに、オーストリアでは山にのぼれば、みんな「おれ、お前 ich と du」になるんですよ、って昨年ゴーザウで知り合ったグラーツの男が言っていました。ですから、挨拶も「グリュース・ゴット」だけではなく、「グリュース・ディヒ」と声掛けられることが多いのです。

こういう山小屋にはペヒターという管理人 (経営権を賃借で営業している人) がいます。たいていずっと長年その小屋を営業していて、やってくる登山客も顔なじみ、というか、オーストリアの人たちは前日天気予報を聞いて、天気がいい休日は、それっ、とばかりにでかけるので、年に何度も同じ山に登っては顔なじみのペヒターとあれやこれや、酒をくみかわしておしゃべりして、また、ウィーンに戻っていくのです。
わたしたちは、2006年はこのダムベックハウスのゲスト・デビューの年だったので、親父からシュナップスをごちそうになり、互いに腕を組んで飲み、友達になる、という儀式をすることになりました。


ダムベックハウスの親父 (2006年撮影)

2006年は天気が悪くて、山上は寒くて寒くて、お客さんも少なかったせいもあるんでしょうね。
昨年の夏はいい天気でダムベックハウスは大賑わいでしたから、残念ながら親父とお話しする時間はありませんでした。

ところで、2006年には、こんな写真が小屋の中に貼ってありました。


スペイン国王、カルロス (2006年撮影)

真偽のほどは分かりませんが、確かに写真の顔はカルロス国王のようです。写真の説明を読むと、こう書いてあります。

「スペイン国王フアン・カルロス陛下のご訪問、1998年9月」

昨年いったときには、写真はもうありませんでした。

最初この小屋は登山客、また、牛飼いたちの避難小屋として 1872年に建てられました。バウムガルトナーには今はなくなりましたが、1982年まで、宿泊の出来る山小屋がありました。オーストリア・ツーリスト・クラブ (ÖTK) は、ほどよい間隔で登山客の避難、宿泊施設を整備していきましたが、これもそういう形で、ルートヴィヒ・ダムベックという ÖTK のメンバーでもあった人物が出資して、つくられたものです。やがて 20世紀になり、スキー場としてもシュネーベルクは格好の場所として人気を集め、1919年には大幅な改修もはじまり、さらに 1982年にバウムガルトナー・ハウスが取り壊されたために、一層山登りに訪れる人々にとって大切な交流の場ともなったのです。


ダムベックハウス (2009年撮影)

では、元気がでたところで、さらに標高 2,061m のカイザーシュタインの麓にあるフィシャーハウスを目指して歩いて行くことにしましょう。しばらく歩いていったところから、ダムベックハウス (写真) にお別れです。


○ フィッシャー・ヒュテからファーデンシュタイクへ

ダムベックハウスからしばらくは平坦な道を歩いて行くことになりますが、左手にクロースターヴァッペンの電波塔が見えています。これがニーダーエスタライヒ州の最高地点、標高 2,076m です。オクセンボーデンを電波塔目指して歩いて行くハイカーの姿が何人も見えることと思います。
元気が有り余っているようでしたら、是非その人たちのあとについて最高地点をきわめて見てください。もちろんそこにいけば 360度パノラマが開けます。そして、そこから北側にフィッシャー・ヒュテが見えていますから、迷わず降りて行くことが出来ます。

シュネーベルク山上に現在ある山小屋は、山頂駅のベルクハウス (山頂ホテル)、ダムベックハウスと、このフィッシャー・ヒュテの 3か所。この 3か所が飲み物、食べ物が手に入る休憩所 (もちろん、トイレ休憩できる場所で、また、どこも通年営業していて、宿泊 ok) です。ただ、トイレだけ拝借というのは、嫌がられるので遠慮しましょう。山小屋の経営も楽ではないので、せめてコーヒーくらいは頼んでくださいね。

わたしたちは以前クロースターヴァッペンは行ったことがありますので、昨年 2009年は、オクセンボーデンへと迂回することなく、道なりにフィッシャー・ヒュテを目指しました。多少近道になるわけですが、ダムベックハウスからフィッシャー・ヒュテまでは、近道コースをとっても 200m 以上の登りになりますからね、なかなかいい汗をかきます。およそ一時間は見ておいた方がいいかもしれないですね。


2009年、フィッシャー・ヒュテへの道は新たに整備されている最中でした

小屋はすぐそこに見えていますが、最後のひと登りは、まことに急峻、息がきれます。
ただ、登山鉄道の制服を着た人が、わたしたちのあとからやってきたかと思うと、すいすい、追い越して、忍者のように去って行きました。登り切る最後はがれ場で足元に注意しないと、危ない場所でしたが、なんと、飛び跳ねるように駆け上がっていき、わたしたちが登り切るにはまだまだあるわい、って思っているときに、また前方から彼が現れると、ぴょんぴょん降りてきました。フィッシャー・ヒュテに用事があったのか、ただ休憩時間にひとまわりしているのか分かりませんが、ううむ、向こうの連中は、山に強い。あちこちの山で自転車をかついで山頂に登り、下りは自転車でぴゅーーーって駆け下りていくなんて人たちももう何人目にしたかわかりません。

(*と言うわけで、現地の登山のガイドブックに記されている所要時間はわたしたちには全く参考になりません。今までの経験からいうと最低でも1.5倍の時間はみないといけないと思います)


フィッシャー・ヒュテと後方にクロースターヴァッペン (2009年撮影)

(*フィッシャー・ヒュテ: 1885年に ÖTK によって建てられました。名前はアルピニストのエドゥアルト・フィッシャーにちなんで付けられました。1927年に改築、通年営業となりましたが、冬はスキー客で満員状態になるようです)

(*クロースターヴァッペンはミュルツのノイベルク修道院に属するライヒェナウの僧たちによってこの岩にヴァッペンが掲げられたことから、この名がつきました)

のぼりの疲れがいやされたところで、わたしたちはカイザーシュタインに上がってみました (標高 2,061m)。前回ここを訪れた時は、カイザーシュタインには寄らずに先を急いだので、今回初めてです。もちろんカイザーとはフランツ・ヨーゼフ1世のことですが、ここまで来たのか、確か説明がついていたはずですが、メモしなかったので、分かりません。というのは、3人連れのウィーンの人たちがいて、お互い写真を撮りあったのですが、そのうちのお一人が、むかし日本大使のお子さんにドイツ語を教えた、とかいう人で、その話で盛り上がってしまったからです。でも、ここからの眺めは、その日も下界には雲がかかり、すっきりというわけにはいきませんでしたが、なかなか、すぐそこが断崖絶壁という場所で、ちょっとばかりアルピニスト気分が味わえる素晴らしいところです。

ここから先、ファーデンシュタイクまでは、もう登りはなく、左手にクーシュネーベルクのパノラマを楽しみながらのプラトー散策です。ということで、以前、ただ地図の上だけでコースを確認して、ファーデンシュタイクからローゼンハイム側に降り、そこからプフベルク行きのバスに乗れば、来たコースを戻ることなく、シュネーベルク巡回コースをやりとげられると、一度経験したのですが、そのときは 30分ばかり歩いていったところから急に天候が悪くなり、本当に頭上間近に稲光、雷鳴を聞きながら、もはや後戻りも出来ず、雨のなかファーデンシュタイク降りをしたものでした。

(*ロザーリウムがこの記事を読んで、雨ではなくて、雹が降ってきたんだよ、と今でもその時のことを思い出すと怒り出しますので、つつしんで訂正します、ヨハン)

このファーデンシュタイク、今回2度目。おおよそ 500m の標高差をまっすぐに降りて行きます。前回は雹と雷で、ただただ無我夢中、必死に降りましたが、今回は天気もいいし、一度経験しているから、多少はゆとりを持って降りられるだろうと、実はロザーリウム (わが妻君、つまぎみ、です。サイクンなんて、恐ろしくて呼べません) には事前相談なく、わたしが勝手に決めていたルートです。


ファーデンシュタイク入口付近から眼下にローゼンハイムを望む (2009年撮影)

うーーむ。天気がいいと、この急峻な崖、まわりがくっきり見える分だけ、今回は正直、ヨハンも、こわかったーーー。なにしろ下りで、次の足場となる岩がわたしの足のサイズより離れているので、両手で岩をしっかりつかみながら、おそるおそる足をおろしてやっと届く、ってところの連続です。途中には、つい最近遭難した若い女性のための鎮魂碑が岩に張り付けてあるし。

と言うわけで、2度のファーデンシュタイク体験で、今回を持って卒業宣言です。

ウィーンの人たちに聞くと、このルート、およそほとんどの人が、経験しているようです。よかった、とにかく仲間入りできた。拍手!!!!!

ヨハン




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