ウィーンわが夢の街

ウィーンに魅せられてはや30年、ウィーンとその周辺のこと、あれこれを気ままに綴ってまいります

バーデン、ヘレーネンタールのハイキング

2010-03-13 18:06:48 | ウィーン
バーデン Baden bei Wien



バーデンはもちろん温泉という意味です。ウィーンからSバーンに乗れば30分ほど。オペラの前からバーデナーバーンに乗れば、1時間のんびりローカル電車で行くことになりますが、そのかわりこちらは終点が街の中心地ヨーゼフスプラッツです。
そこからシュヴェヒャート川に沿って西におよそ30分も歩いて行くと写真の温泉プールに行くことができます。
わたしたちがウィーンに一年いた1983年は、なにしろロザーリウムはバーデンでどうしても見たい、聞きたい出し物があるときにだけ、日帰りで行って、深夜バスで夜遅くウィーンに戻ってきていました。要するにとんぼ帰りです。
私の方は、前にも書きましたが、そのころはウィーンそのものがなんとなく退屈で、暇になれば外国に行こうなんて思っていましたから、そもそもじっくりバーデンに行ってみようなんて思いませんでした。
わたしたちのどちらも、ウィーンの身近ないいところを知らないまま一年を過ごして、帰ってきてしまったというのが正直なところです。

でも、わたしも、バーデンに行くことは、行きました。
帰国間際の冬にオーストリアをぐるっと周回したことがあって、クラーゲンフルトへの途次バーデンで途中下車してみたのです。そのとき散歩していてこの温泉プールを見かけました。寒い時なので、湯けむりをあげている、という表現がぴったりで、また、やはり温泉ですからね、硫黄のにおいもたちこめていました。
実際にこのバーデンの温泉プールに出かけたのは、それから10年以上は過ぎてからだったと思います。水着着用ですから、まったくプールみたいなものです。

2000年に行ったときにもらったバーデン市温泉療法管理局のパンフレット(日本語)には、このように書いてあります。

「Thermalstrandbad
 シュトラントバード (*正しくはバートです、意味は砂浜での水浴ということです)
 温泉プール。ドナウ帝国崩壊後の1926年バーデン市はわずか16週間の建築工事期間を経て、アートデコ (*正しくはアール・デコです) 様式の温泉プール施設を完成させた。水面合計面積は、5000平方メートルにおよび、広い人工砂浜は、古きオーストリア時代のアドリア海岸を彷彿させる。1930年、施設は、隣接するヴァイブルク城の庭園の一部分を加え、オーストリアで最も大きなプール施設の一つとなった」

たしか、施設内の説明書きには、実際この写真にも写っている砂浜、これは本当にアドリア海の砂浜から取り寄せたものだと書いてあります。一時期それが大いに流行したようで、アドリア海の砂浜は、ウィーン近郊のあちらこちらのリゾート施設で見かけます。
ただ、このバーデンの温泉プール、冬は閉鎖してしまったのか、あるいはたまたま、出かけたときだけそうだったのか、次に冬に行ったときには閉鎖されていました。夏にはもちろん、やっていますが、日本人からすると、冬にこそ開けてほしいな、って思うんですけどね。今年のように寒波が襲って、雪が降っているときなんか、広々したこの温泉プール最高なんだけどな、って思います。

ところで、あるとき日本の新聞にバーデンのホテルの記事が載ったことがありました。グランド・ホテル・ザウアーホーフです。日本のバブル経済はとうに崩壊した後でしたが、まだまだ当時のオーストリア・シリングに対して相当の円高の時代だったように思います。新聞記事の内容はこの由緒あるホテルに日本人にとって割安に感じる料金で泊まって、おもっいきり贅沢な気分を味わってみませんか?というような内容だったと思います。
バーデンはウィーンからだと日帰りコースに最適な場所ですからね、泊まろうなんて発想はそれまでありませんでした。しかし、考えてみれば、ウィーンにいてもどこかのホテルには泊まっているわけです。バーデンまで往復移動するのが面倒と言えば、面倒ですが、日帰りするにしてもそれは同じですからね、なんなら、このザウアーホーフというホテルに2泊して、その間にバーデンの街もゆっくり散歩したり、夜は帰りの時間を気にしないで劇場に行ったりすることもできる、って即座に、バーデンに泊まってみよう、となったわけです。

ベートーヴェンも、カール・マリーア・フォン・ヴェーバーもよく訪れたというこのお城はビーダーマイヤー時代の、それ以前のバロック、ロココに比べると華やかさはありませんが、しっとり落ち着いた雰囲気で、清潔感にあふれています。
でかけたのが2000年のクリスマス時期 (12月26、7日) で、そのときは雪もあって、ロマンチックそのものでした。まだデジカメも持っていないころで、普通のカメラでしたから、ここに貼ったのはそのときホテルでいただいたホテル新聞に掲載されていた雪景色のザウアーホーフです。



雪化粧したザウアーホーフ

館内にはプールや、サウナ、そして、今でこそはやりの岩盤浴ができるローマ風呂がありました。当時は岩盤浴なんて知りませんでしたから、温泉なのに、お湯のない岩の上にねっころがる、ってなんとなく変な気持でした。
ホテルにはラウエンシュタインというレストランがあります。さぞかし、マナーに緊張するだろうな、と思いつつも、劇場でミュージカルを楽しんで帰宅して、またまた、多少正装気味に着替えて、食事をしました。

現在はネット検索で Grand Hotel Sauerhof と打ち込むと、ぞろぞろと日本の代理店などもでてきます。それによれば、現在のホテルの創業は1978年となっています。

わたしたちはザウアーホーフには翌年夏にも泊まりました。
以前ウィーンのケーニヒ・フォン・ウンガルンというホテルに泊まった時にフロントでお客さんの案内係をしていたギュンターというドイツ人とあれこれ話をして少し仲良くなっていたのですが、翌年またそのケーニヒ・フォン・ウンガルに泊まった時にはもうギュンターはホテルを辞めたようで、姿はありませんでした。
しかし、わたしたちが2001年の夏にバーデンのザウアーホーフに行くと、なんとギュンターの姿です。ドイツ人で、オーストリアのホテルで仕事しながら、田舎に住んで、スローライフを楽しんでいるのだということです。一軒家を借りて、暖房は暖炉で、燃料にする木材など、冬はそりを動かし自分で調達してくるんだと言ってました。わたしたちが滞在している間に、かれは自分の車にわたしたちを載せて、田舎の住まいに案内したがっていましたが、双方の日程が合わないので住所だけもらいました。しかし、結局ギュンターとはまた、その後音信が途絶えてしまいました。オーストリアには、仕事と趣味をかねて働きにやってくるドイツ人は珍しくないようで、ラックスの山小屋でもウドという写真が趣味の若者と知り合いました (ただウドも次の年にはもう、その山小屋から姿を消して、どこか別のところにいってしまいました)

さて、このときのわたしたちは、ますます本格的に、ウォーキングに熱中し始めていました。その年は、バート・ヴェースラウまで電車で行って、山越えする形でバーデンまで戻ってきたりしました。途中で道に迷って、ザウアーホーフについたときは、あたりはすでに薄暮、くたくたでした。3万歩以上は歩いたのではないかと思います。

次にバーデンに泊まる計画を立てるときには、すこし他のホテルも自分たちで探して検討してみることにしました。それで出会ったのが、ヴァイカースドルフというホテルです。ザウアーホーフと同様に、ここも城ホテル (Schlosshotel) です。


ヴァイカースドルフのロビー (2005年撮影)

位置的には、温泉プールの近くで、このホテルに面したところに、家内が名前を借りているロザーリウムがあるのです。部屋からもロザーリウムのばら園が見はらせ (写真)、とても気分が爽快です。



(2006年撮影)

ヴァイカースドルフはわたしたちのお気に入りのホテルになりました。
夏はばら園を目の前にしてテラスで朝食ができます。



(2006年撮影)

このホテルはまた、ヘレーネンタールにハイキングするには抜群のロケーションです。そして夕方になったら、ゆっくりとウィーンの上流社会が贅を競ってたてたさまざまなヴィラを眺めながら、ゾンマーアレーナに行ってオペレッタを観劇し、終わったらあくせく急ぐことなく、またゆったりと歩きながら、ばら園を通り抜けて、ホテルに戻ってくることもできます。

一度、入った部屋の水回りが不具合で (夏場はメンテの時期ですからね)、連絡がうまくいかずに工事予定の部屋に入れてしまい申し訳ないと、部屋を変わってくださいとお願いされて移動したのが、スウィートで、大変贅沢な気持ちを味わうことができました。

考えてみると、成田から飛行機はシュヴェヒャートにつくわけですから、わざわざウィーンまで行かずに、最初にバーデンに泊まって、それからウィーンに移動してもいいかな、と思うようになり、ホテルでは空港まで時間を指定しておけばハイヤーを手配してくれるとHPの案内書に書いてあったのを思い出して、実践してみました。
荷物をトランクに入れてもらっての移動ですから、快適でした。そして、途中で、どこか見覚えの景色だな、って思ったら、ラクセンブルクでした。運転手さんのサービスでわざとラクセンブルクのお城間近のコースを走ってくれたに違いないと、ポジティブに解釈しています。料金はホテル指定のハイヤーですから、メーター制ではありません。ぼられる心配はありません。


カジノやゾンマーアレーナがあるバーデンのクアパルクに行き、正面の階段をあがっていくと、そこからたくさん森の散歩道に入っていくことができます。コースはどれもそれぞれに趣があってなかなか歩いていて楽しいです。標識が整備されているので奥まで歩いていっても迷う心配はありません。その標識のなかに Rudolfshof というのが見つかるはずです。



ルードルフスホーフ (2005年撮影)

わたしたちも最初は、なんだろう、って思いましたが、これは結婚式のパーティにも利用されるレストランです。夏場はテラスで眼下にバーデン市街地、さらにははるかハンガリーへと連なる山並みを望みながら食事が楽しめ、わたしたちのお気に入りの場所です。レストランのHPに簡単な歴史が書いてありますので、ご紹介しておきます。

ドイツ王アルブレヒトⅠ世の末息子オットーⅣ世 (Otto der Fröhlicheオットー陽気公) により、1338年にガーミングのカルトゥジオ修道会に山の館 (Berghof) とともにバーデンのこのぶどう栽培に適した一帯がプレゼントされた。今でもこのあたりはガーミングの山と呼ばれる。
1881年バーデン市はここに森の旅館を造ることにしたが、歴史に配慮して「山の館」と名付ける予定にしていたところ、この年皇太子ルードルフとベルギー公女シュテファニーのご成婚と言うニュースが入った (ふたりの結婚は5月10日にウィーンで行われた)、そのため急きょ時流に乗ってバーデン市はこの館をルードルフの館と命名した。

このあたり、大昔は海 (地中海) だったところで、遠くに見える山々は当時は島で、レストランが建っているこのあたりが湾を見はらすには最適な場所でバーデンのリドとも呼ばれるようです。もちろんそんな大昔に景色を見て楽しむような人はいなかったんですが。
そのかわり現在はレストランの下は草地になっていて、無料の木製の寄りかかりベッドがいくつか置いてあり、夏の天気のいい日には、わたしたちもよくそこでお昼ねをします。
レストランは冬場は営業しませんのでご注意ください。

バーデンにいって、食事をしようという時のお勧めの場所は、イタリアンですが、Veneziaというお店があります。もちろんイタリア人のかたがやっているレストランです。夏場は庭で食事ができ、なにしろピザも抜群、ただ、わたしたちはスパゲッティを注文することが多いのですけど、とてもお勧めです。場所は手元に住所がなくて、不確かですが、Annagasseじゃなかったかな、と思います。通りから建物の中に入っていったところで、外からは見過ごしてしまいそうなレストランです。

あと、簡単な飲み物でケーキなどを楽しみたいという方に、ぜひともおすすめなのは、Kaiser Franz-Josefs-Museumです。前回の森の散歩コースの一つです。標識にしたがっていけば迷子になることはありません。民具の博物館を兼ねていますので、なかに入ってみるのも面白いですが、お茶は、外でするに限ります。


皇帝フランツ・ヨーゼフ博物館前庭のテラス (2006年撮影)

ここはルードルスホーフよりも市街地の真近にあるぶん、景色は抜群です。





ヘレーネンタール Helenental

ヘレーネンタールはバーデンの日本語パンフレットでは、「ヘレネ峡谷」と訳されています。

「市の西に位置し、峡谷に沿ってシュヴェヒャート川が流れ、聖ヘレナ教会 (1518年) や、11世紀から12世紀頃にさかのぼるラウエンネック (原文のママ) 城や、ラウエンシュタイン城の廃墟が見られる。この地域には、全長60kmのハイキングコースが整備され、シトー会派のハイリゲンクロイツ僧院や、かつてのハプスブルク家の狩りの館マイヤーリングまで続いている」

「ウィーンの森一日コース」のバスツアーに参加された方は、この峡谷を通ったはずです。そこをゆっくりとハイキングしてみませんか、というヨハンからのお誘いです。なにしろウィーンの人たちにとって昔から愛され続けた絶好のハイキングポイントで、ザウアーホーフに滞在したベートーヴェンにとってももちろんここはお気に入りの散歩道でした。

出発点となる場所は、バーデンの中心地から多少離れていますので、最初からいきなりそこまで歩く必要はありません。バーデナーバーン (バーデンローカル鉄道) の終点ヨーゼフスプラッツから、ラウエンシュタイン (Rauhenstein) 行きのバスが30分間隔で出ています。それに乗れば約6分で、終点のラウエンシュタインまで連れて行ってくれます。
降りれば、バス停の右側にラウエンシュタインの廃墟が見えています。聖ヘレナ教会も直ぐにそれとわかりますが、教会はカギが締まっていて中に入ることが出来るかどうかわかりません。

バス停の近くにホテル・ザッハーが見えます。あれ? ここにもザッハー? と不思議に思うかもしれませんが、れっきとしたウィーンの例の、ザッハートルテのザッハーです。



ラウエンシュタイン (2005年撮影)



ラウエンシュタインから聖ヘレナ教会を見る (2003年撮影)

この廃墟、ラウエンシュタイン、ラウエンエックはÖBB でウィーンからグラーツ方面に旅行すると、バーデンを通過していくとき車窓の右手かなたに見えています。
バスを降りて間近にきて、下から見上げる形になっても、まだ分かりませんが、実は、屋根が全くありません。廃墟というわけですから、例のトルコの軍隊に破壊でもされたんだろうと、わたしも思っていましたが、どうやらそうではないことが分かりました。

ウィキペディアの記事では、12世紀頃にトゥルゼンの騎士によって建てられたものと推測されていますが、どうやら住人は騎士を名乗っていても余り行いの良い輩ではなく、実態は盗賊だったようです。どうして廃墟になってしまったかと言うと18世紀に屋根税というのが課せられるようになったからのようです。屋根の広さで課税されるという法律で、これはたまらんと、多くのお城の屋根が取り外されたらしいです。


ラウエンシュタインから向こうにラウエンエックが見える (2003年撮影)

1993年から魔女が集まるという例のワルプルギスの夜、4月30日から5月1日にかけてですね、ラウエンシュタインでも「古城祭り Ruinenfestl」が行われるようになったとのことです。



ヘレーネンタールのホテル・ザッハー (2005年撮影)

ザッハートルテの考案者フランツ・ザッハー (1816年12月19日ウィーン生まれ) は1907年3月11にバーデンでその生涯を終えました。1881年からフランツ・ザッハーは家族とともにバーデンに住むようになっていました。二人の息子さんがいましたが、長男のエドゥアルトが1876年にウィーンにホテル・ザッハーを造り、次男のカールが1881年このヘレーネンタールにホテル・ザッハーを造ったのです (*ただこのカールについては人名事典にも記載がないので詳細はわかりません)。このホテルにはシシーも訪れたようですよ。goo検索では、Rauhensteinと入力すると、このホテルについて、日本語で情報がとれます。

ヘレーネンタールの散歩道の入り口は、シュヴェヒャート川の左岸、ホテル・ザッハーの脇を進んでいきます。間もなく右手に、国道を分断する大きな岩が見えます。ウルテルの岩と言います。



ウルテルの岩

正しくはウルタイル (Urteil) であるべき言葉が変化して Urtel になりました。「判決」という言葉です。ここがちょうどバーデンの市境で、昔は町の境界で罪人が裁かれ、処刑されました。以前ご紹介した森の散歩道にも、火の見やぐらみたいな木組の展望台がありますが、たしかそこも罪人が処刑された場所だと説明書きがありました。
この大きな岩に、1826年、たくさんの爆薬を使ってトンネルが造られ、ときの皇帝フランツⅠ世に献げられました。なんとなく通ってみたくなりますね。わたしたちも一度、わざわざ向こう岸にでて、歩いて通り抜けたことがありますが、この国道、なにしろ車が頻繁に通ります、それにツーリングの格好のルートだそうで、余りお勧めはできません。

というわけで、せっかく自然に満ち満ちた遊歩道です、おとなしくもとの道に戻って歩いて行くことにしましょう。この散歩道にはたくさんのガイドボードがたてられていて、その場所ならではの、いろいろな情報が書かれています。そして、このような案内プレートにも目がとまることと思います。



《Ich kenn ein kleines Wegerl im Helenental》「ヘレーネンタールの馴染みの小道」

この歌、わたしは残念ながら、いまだに実際に聞いたことはないのですが、ウィーンの人たちにはよく知られたヘレーネンタールの散歩道を歌ったリートで、その曲を記念し、タイトルが記されているものです。
作曲したのはアレクサンダー・シュタインブレッヒャー (1910-1982)という方です。

バーデン側からみて、どっちが先に出てくるか、記憶が定かではありませんが、ベートーヴェンのレリーフもあります。



遊歩道にあるベートーヴェンのレリーフ (2005年撮影)

歩いていると、川の向こう岸にわたる木橋が出てきます (*川を渡る橋は途中ではここだけだったと思います、そしてトイレも長時間のハイキングとなると気になるところですが、ここにあります。ちなみにここはバス停もあります)。渡ればもちろん国道に出ていくわけですが、そこにコレラ礼拝堂 (Cholerakapelle) があります。ウィーンも、バーデンもペスト流行の惨禍をまぬかれませんでした。そのため街の中心に大きな記念柱がたっています。こちらはコレラの方です。1830/31年に大流行、命を長らえることができたウィーンのカール・ボルドリーノとエリーザベトの兄妹が感謝をこめて建てたのだそうです。オーストリア国内にはいたるところに巡礼教会がありますが、このカペレも巡礼者が訪れる場所です。すこし、奥まっているので分かりにくいのですが、道路から上がって行く場所に立っています (1847年と1892年、二度にわたって増築され、カペレというより今は立派な教会です。ベートーヴェンもよくここまで散歩してきて、休憩したのだと書いてあります。カフェあり!!)

ちょうどこのコレラ礼拝堂の反対側あたりに、1829年ころに一帯の自然プロムナードの開発に尽力したアントン大公 (1779-1835) の名を冠したアントン洞窟があります。
このあたりを過ぎると、ときに野趣豊かな自然、そしてときに広々とした草地と変化に富んだ散歩道になり、さらに進んでいくと、およそザッハー・ホテルがあった入口から一時間ほどでレストラン、クライナーヒュッテの庭側に出ます。少しこれも、どこかの寮のような建物の敷地の1メートル幅くらいの道を通り抜けて行く形で、分かりにくく、戸惑うかもしれませんが、国道に出ないように、と気をつけていれば大丈夫です。



庭側から見たクライナーヒュッテ (2005年撮影)

このゼミナール・ホテル兼レストラン、夏の天気の良い日は、テラスはほとんど満員のお客さんです。でも、レストランの中もとてもいい雰囲気なので、そういうときはテラスにこだわらずに、中に入って、少し気取ってお食事するのも素敵です。

クライナーヒュッテの正面真向かいにバス停があります。食事の前に時間を確認しておけば、帰りはバスで帰ることができます。
いや、これでは、物足りない、という方は、さらにバスに乗ってマイヤーリンクまでいきましょうか?



国道側から見たKrainerhütte (2006年撮影)

ヨハン



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