W.C.カラスの駄々漏れ日記

駄々漏れに日記をつけています

240503

2024-05-08 18:52:03 | 日常
朝は特段二日酔いといふわけでもないがなんだか気が重い。
酒をたくさん飲んだら大体そうなる。
酒でかなり躁になるから反動で鬱になるのだろうか。
あとは調子に乗りすぎたことを悔やんでくよくよする気持ちもある。
その時はあんなに調子に乗るのに、必ずあとからくよくよと反省してしまう。

ああ、仮にこんだまたプチ浪曲講座に申し込む機会があったとして来なくてよいと返事があったらどうしよう、そんなことになれば私は泣くだろうとか冷静に考えればそんな可能性は低いのに自意識過剰に過ぎる悲しい想像をして苦しんでみたり。

これは病的なのであろうか。

私は己れの自意識の強さに手を焼いている。

それでもとらつばをみる。

しばらくぐったり。
しかしながらこうしちゃあおれぬ。
稽古す。
次第に気分は治った。

夕刻 かなりギリでルーデンスへ。
早くいくと酒を飲んでしまって浪曲がぐだぐだになってしまうからだ。

本日は生音にしたから音響調整はいらない。

昨日、予約が2人しかないと連絡があったが結果まあまあの入りでありがてえ、ありがてえ。
昨日カウンターで少し話した音響エンジニアを目指す青年も来てくれた。

店主わかちゃんが、なんか浪曲が好きだといふひとが初めて来てくれたといふ。
へえ。珍しい。

前半一部は歌謡ショー(今までやって来た楽曲をやっただけだが、そう呼ぶ)

後半二部に浪曲(あくまで風だが)赤いヤッケ最新改訂版を唸った。

私はラジオをやっていたほどでおしゃべりはまあまあ大丈夫だし書く方も新聞連載を持っていた程であるからそれはもう苦にならないどころかかえって好きなくらいである。が、芝居なぞ殆どやったことがなくて
つまり
なかなか台詞のところが大の苦手である。しかしながらこれがないと浪曲はどうも駄目である。そういふところも好きなんである。

下手なのは充分自覚しているのに、
下手すぎて聞いていていたたまれないからやめろといふひともあって悲しみのずんどこに突き落とされたこともある。
私は負けない。私が負けると世界も負けることになるのだ。
だんだん良くはなっているから諦めずやり続けていく。

それでわかちゃんが浪曲好きのひとが話をしたいいっているからといふ。

私は云われてにっこと笑い立ち上がりこれは社長でこんにちは(浪曲社長より)とは云わない。

後ろの方にいたそのひとの席に行き話をしてみるとなんとガチの筋金入り浪曲ファンであった。
そんな日がいつかは来るだろうとは思ってはいたがまさかこんな早くに。
「どうやってわっしみてえな半端もんを見つけなすったんですかい」と問えば、Twitterで浪曲と検索をいれたら出てきたのだといふ。そいでわっしのツイートに興味を持ってくださったのか、ブログまで読むようになり寄席でも私のことをよく見かけてはいたが声をかけられるわけもない、そいでライヴに一辺いって話がしてみたいと思って来てくだすったそうだ。ありがてえ。ありがてえ。
そのひとは五十代半ばほどで私と割りと近い世代である。浪曲を実地に観に行くようになってから10年たつといふ。
それならあれはどうだこれはどうでしたかと私は嬉しくていろいろ聞いてみる。
何しろがちのひととこうしてゆくり話をするのは初めてなのである。
いろいろとこんなところに書いてはならぬ事情だとかそんなことも教えてくださったり。私の赤いヤッケにもアドバイスをくだすった。
嗚呼、私はブログを誠実につけていて良かった。少し一部浪曲ファンが気を悪くするかと思われることも生意気にも勝手に度々書いてきたが、こうしたこともあろうかとそんな部分は何度も読み返し推敲に推敲を重ねているのである。つまり懸命に誠実にさえ書いておけばわかってもらえる可能性が高いとのおもいからだ。

かなりの長時間酒を酌み交わす。
そのひとは住んでいるのは町田で終電は私より早いし明日も昼の木馬亭定席にいってから小ゆきねえさんの会に行くといふのでダメージは残したくないといっていたのだが、結果終電までいてはりました。

ひとつほっとする話があった。
それはプリコロナの頃の火曜亭のことである。いまは口演が済んだら質問コーナーといふ少しだけファンとの交流みたな時間があるが、コナロ前ではファンとのお茶会があって、とはいろんなものに書いてあるし、例えば絶唱浪曲ストーリーの中でも語られていて羨ましいなあとは思っていた。
だが実はもっと羨ましいことが繰り広げられていたのだ。
お茶会ではなくおちゃけ会であった。
一升瓶が並びファン演者入り乱れ呑みまくるのだそうだ。それでいろんな話をする。なんとうらやましい。誰がどうだったとかは書けぬがはっはあーん、あのひとはそうだろうなと思うが、酒豪であるとか、あのひとは意外と乱れるとか、

て、ことは普通はまあそうだろう、芸人さんは下世話な酔っぱらいにも免疫があるのだ。浪曲界も勿論そうだったといふことだ。
私は少し気が軽くなった。
だが、本当はいやな酔っぱらいにならず紳士でいたいことに変わりはない。


終電で無事帰宅す。

240502②

2024-05-08 01:39:27 | 日常
それから玉川太福
三味鈴

今月は木馬亭で観られて嬉しい
6日も来るつもりだからこの度の別宅滞在では三度観ることになる。

寅次郎あじさいの恋
太福さんの寅さんはBSテレ東で少し観たことがあるだけで実地に観られてありがてえ、ありがてえ

やはりいくら凝縮しても一話全部は無理のようだ。伊根へ行ったあたりで終わり。
続きはまた今度。

講談は神田阿久鯉

私は浪曲の方は完全に傾倒し病的に執心して短期間でいろいろ調べたり観たり聴いたりしてきたが、それでもまだまだほんの一部分のことしか知らぬ。

講談は浪曲よりも歴史はあるし、だからひとつも知らぬのと同じことだと思う。
そんな私だが阿久鯉さんは2回目である。二ツ目の桜子さんも二度みているが真打ちのひとで二度観たとなると阿久鯉さんだけとなる。
それで二度とも実に良かった。
私はこのひとは好きだなと素直に感じる。
それ以上のことをいふことはいまの私には出来ないが、頭に話がくいっと入ってくる。
徳川天一坊 伊豆味噌

もたれは
富士琴美
三味金魚
今日ネタ下ろしだといふ
愛馬の勝鬨
ドキドキしているとおっしゃり緊張がこちらに伝わる。
先日の火曜亭では御自分で喉が不調であると告白されたが
本日はお見事 スカーンと抜けた
堪らない。痺れた。目ぇから涎。
途中詰まる場面もあるにはあったが、だいぶお姉さまになってからの新ネタ披露に敬意を表す。
琴美さんは何しろ強力なカンの声が抜けたら万事良し。

トリは三門柳
三味美舟
一本刀土俵入
ご婦人は年齢は公表されないが
昭和35年入門とあるから私の母(1942年生まれ)より高齢の可能性もある。
背筋も伸び品があってお元気そうで何よりだ。

今日は珍しく最後まで1個も眠くならなかった。
激眠打破は念のため持っていたのだが。

そういえば、関係ないが頭がルンペンみたいにみえるのかなんなのか、電車で座ったら隣の高齢のご婦人が私を見て物凄嫌な顔をして睨みサッと振り払うようにあちらを向きなるべくくっつかないようにしていてなんといふあからさまな。頭が悪いのか。実に感じが悪かった。
私はちゃんと清潔にしているつもりだ。
老いも若きもおかしな者は必ずおるので立腹しても仕方がない。

それから、君塚食堂はやっぱりやっていなくてそんなら吾妻屋か。ヤバイか。

入ってみたら、他に二三人いるだけでカウンターにどうぞと通してもらえた。

おでんお任せ6品(といって空いているので全部要求できた)とお刺身盛り(880円と安い)をといったら多いかも知れないから半分にしておいたらどうだといわれそうす。明細はみなかったが半額になったのか、
やはり量は充分であった。
清酒は黒龍純吟(二合を燗でがここの流儀)
智則、ちえびじん、カネナカ、七賢といく。旨すぎる。
やはり吾妻屋はヤバかった。
一時間あまりで六合いってしまった。
磯一と今日は早くも計七合だ。

私はしかしながらまだまだしっかりしていた。よい清酒はソフトな酔い心地なのである。でぇじょぶだ。絶対に粗相はしない。
絶対に調子に乗らぬよう注意だ。

かつちよかい
丸美京屋へ
私はギリギリになってしまった。

席に着く。
まずプチ浪曲講座
ふむふむ、と思って勝千代さんのいふ通りやっていたが、
ひとりずつやってもらうといふ。
え、いやあ、やばい。調子に乗りそうで心配だ。
と、ジャンケンとかいったはずなのにジャンケーン大屋さんって、え、なんで
不意に最初に私が指名を受けた。
え、あ、いやー、
とはいふもののこんなばやい当てられたら嬉しいガキのような私。性である。小心なくせに地金は目立ちたがり。これは石器時代からの脳の作用ゆえ仕方がない。

ここはまずは粗相のないよう、恥ずかしいからとかなんとかいって私にしてはかなり加減してなるべくいきまぬようほんのひと節だけ。ほっ。じじぃ調子に乗んなよと嫌われたくない。少し拍子に乗れなかったのは不覚であったが、まあ、そのくらいちょと下手がかえって良かろう。反省し家に帰ったら練習しよう。

そのあとまた、別のパターンを学んで皆でやったりひとりずつやったりで、ふむふむ。勉強になりまっさ。
そいでなんかロングなバージョンのをやるのをまた指名された。あ、いや、はあ。
私は酒もよい感じに回っていて楽しい気持ちの盛りになってしまって、
やっちまったなあ。
気が付いたら思い切り塩辛声を出して血管が浮くくらいいきんで唸り、しかも立ち上がって身振りまでいれてしまっていた。そんなひとは他におらない。しまったー、と思ったが止まらない。またしても拍子を外しているのがわかったがもはやそんな細かいことはどうでもよくなりいきってしまって唸りたくてならない。もう気持ちがぐんぐんになってしまっている。先生のいふ通りにしなくて勝手に節をつけ三味線のまみさんにリタルダンドするよう目をみて身振りまでする始末。あー、私は。絵に描いたような酔っぱらって調子に乗る親父になってしまった。
もう、駄目だあ。
あれだけ自重せねばと固く心に決めていたのに。自分に驚くよ。
勝千代さんにもう来なくていいと云われるのではないか。
勝千代さんはなんと云ったか、なんだか、ロックですねえ、とかそんなようなことをやや覚めた調子で云ったか、これはロックとは無関係のただのアホなおやじです。
私は頭がマクマクになりよく聞けなかったが呆れ返っているとは云えないようすで助かった。
すみません。

私はじじぃになっても自分の気持ちを抑えることが出来ぬ人間なのだなあ。
まあ、しかしながら、死ぬわけでもなし少しだけ大屋さんはアホかなと思われただけだ。

一旦、休憩。
と、なんとアニキの奥さんがいて声をかけてくれた!
寺山修司の青森のせむし男といふ芝居でかつて勝千代さんが演じた浪曲師の役をやるので勉強に来たそうだ。


私は勝千代さんの浪曲を楽しんだ。

慶安太平記やってくれたあ!
無茶苦茶YouTubeで観ているのを実地に体験でけてなんと嬉しい。

日光のも良かった!

アホだけれども
勉強になった
ああ、楽しかった!
勝千代さんありがとう!ありがとう!


まだ早かったから下北沢
ルーデンスによる。
また清酒
一升酒になってしまった。
無事帰宅。