穂の国 春夏秋冬

古来よりこの地方(東三河)を表すことば・穂の国より,日々見たまま感じたままを綴っています。

新しい発見

2024年01月19日 11時16分16秒 | 豊橋あれこれ

 朝方、割と暖かかったので駅前方面へ歩いていきました。穂の国百貨店跡地のマンションの建設状況はどうか、5,6階位までは鉄骨等が組みあがっているように見えました。11月下旬には完成予定のようです。その後、大通りから1本入った道を歩きました。すると神社がありました。「白山比咩(しらやまひめ)神社」と書いてあり、隣には吉田天満宮がありました。そして入り口に「吉田神銭座跡」と書かれた石碑を見つけました。ちょうど愛知銀行豊橋支店の裏側です。何かと思って石碑の裏を見たら由来が書かれていました。寛永14年(1637年)に幕府の命を受けて「寛永通宝」を鋳造するため銭座を設けた所です。全国で8か所設けられた一つです。寛永17年まで製造されました。将軍家光より命令で銭座を新銭座と命名し、町名を新銭(しんせん)町と名付けられ昭和33年に広小路3丁目と改名されるまで使われていました。近くにはこじんまりとしていますが「新銭ビル」と名の付いたビルもあります。製造を止めたのちは絵銭「吉田駒曳銭」またの名を「吉田牛曳銭」が造られた。神社境内に「新銭座金山神社」が設けられていて、お金の神様として信仰されているそうです。寛永通宝がこの地で製造されていたとは驚きました。それから奥まった所に「小林仁一郎」と書かれた石碑がありました。調べてみると高級筆の全国的産地豊橋ですが、戦中の空襲等で壊滅的打撃を受けた時、復興に尽力して功績から作られました。

 そして道路の向かい側にレトロ(失礼)な昭和の雰囲気を残す建物がありました。看板を見ると豆腐屋さんでした。「竹上豆腐店」で創業以来101年という老舗の豆腐屋さんです。豊橋名物の菜飯田楽豆腐も製造しているようです。裏道を歩くと新しい発見があり、興味がそそられます。

 

 

 

 

 

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