明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

旅の記憶(1)小京都、秋田の角館を懐かしむ

2020-04-24 18:45:20 | 歴史・旅行
たまたまこないだテレビ欄を見ていたら、BSーTBSで「小京都・香り紀行」という番組を見つけた。賀来千香子のナレーションで、日本各地の小京都といわれる都市を巡る番組である。今回は、「秋田角館」ということで、微かな記憶を呼び出しながら画面を見て楽しんだ。昔訪れたことがあるというだけで、これほど映像の一コマ一コマが懐かしく心に蘇ってくるものなのか、と驚いてしまう。武家屋敷とか川端のサクラなど、断片的な記憶を辿っていたが、ふとPCの iCloud を見たら、「昔の写真がごっそり」出てきたのである。その中に2003年8月の「角館」が入っていた!。「あれ?、春じゃないのか?」・・・。

という訳で、なんだか記憶があいまいな自分がちょっぴり悲しい。人間の想い出なんて「そんな程度」のもんだとガックリした。気負って桜見物したつもりだったが、出てきた写真は夏の真っ盛りだったわけである。殆ど記憶が無い中で、僅かに私が覚えているのは、「歴史的保存地区の大通り」でタバコを吸おうとしたら、全面禁煙だったので「何だかなぁ」と肩を落とした・・・というのが一つ。角館は観光地になっていて、日本全国から人がやってくる。当時バカスカと煙草を吸っていた私は、風光明媚な角館の爽やかな空気を楽しむ暇はなかった。多分、灰皿のある場所を探し回って、何とか禁断症状を抑えていたと思う。以前、奈良の明日香を訪れた時に、有名な「飛鳥寺」を見に言った事がある。その時もそこかしこが禁煙になっていて、ようやく庭の一隅に喫煙場所を見つけて「安堵の一服」をした記憶がある。というか「それしか覚えていない」のだから、何しに飛鳥寺に行ったのかって話である。

もう一つは、保存されているどこかの武家屋敷の中を見ながら、廊下のはずれから外の庭に出ると、木々の緑が濃いのに思わずむせてしまった・・・という場面だ。覚えているのはそれしか無い。屋敷の名前も中の様子も、自分でも呆れるくらい「なんとも覚えていなく」て、空恐ろしく貧しい記憶力である。「B型の過去は闇だ」と血液型性格判断の権威「能見正比古」先生も言っておられたが、これは想像力や発想力とバーターだから、ある意味仕方のないことだと思っている。B型はA型などと違って「体験を抽象化」し、余計な雑念を除いた「本質の部分」のみを体系化・理論化して、自分の血肉に昇華するのだ。結果、単なる実際の風景は「記憶の外」に消え去っていくのである。・・・とまあ、言い訳はこのくらいにして、夏の角館を「当時の写真」で振り返ってみる事にしよう。

写真は撮影した順番に(訪問順)並んでいるから、私がどういうルートで名所旧跡を訪ねたかが分かるようになってはいるが、残念ながら私には写っている場所が「どこなのか」、皆目見当がつかないのだ。だから角館って「こんなところだっけ?」としか、皆様にお知らせする情報が無い。だから写真につき物のキャプションは今回は無しである。そんな訳で、私が独り東北をドライブし、むせ返るような夏の暑い盛りに秋田の清涼な小京都「角館」で体験した、優雅で自由気ままな散策をお楽しみ頂ければ幸いである。


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