米の問題がすったもんだして農政の是非にまで発展している。はたして米は「何がなんでも」守らなきゃならないものなのかどうか?、というテーマで考えて見た。私の考えは「それ程のもんでもないだろう」です。ではいつものように食料全般の中からコメ問題を考察してみましょう。
1、日本の気候風土に最適の作物は?
他の競合作物と比較すると東南アジアでは米作が適しているようです。もっと寒冷な地域にいくと小麦が殆どになりますが、これには他の要素例えば「水が豊富」とかも影響してるかも知れないので、科学的な検証が必要でしょう。とにかくどんな作物が一番適しているかは生産効率という面で重要な判断要素であり、是非とも学者の皆さんで「はっきりさせて貰いたい」ものです。
2、生産コストは適正か?
そもそも日本の気候風土に合っているかというよりも、土地が狭いとか小規模農家が多いとかのシステムの問題で生産コストが高いのじゃないか、という疑問も有ります。昔ながらの田植え方式で作っている農家はもう殆ど無いのもかしれませんが、小麦などのように飛行機で種蒔き出来るなんてウワサの「楽チン作物」に比べると、苗作りから始めなければいけない米は「どうしても手間がかかります」ねぇ。市場に出る以前の「生産効率の面」で、他の穀物との選択がなされるべきでしょう。
3、食料安全保障という考え方
炭水化物を摂る上では「イモ類」なども含めて総合的に考える必要が有ります。昔日本が全国的に凶作に見舞われて多数の人が飢餓に苦しみ死者が続出した時に、薩摩では「イモを作って」危機を乗り越えたそうです。また、庶民が白米を食べるようになったのは明治になってからで、それまでは麦やアワ・ヒエ・ソバなどの雑穀を食べていた、という話も有ります。何も白米だけが「足りてる足りてない」じゃなく、他の作物で代替可能かどうかも考えるべきでしょう。また、保管が容易というのも重要だし、長期保存が可能という点も「食糧自給」という面では大事な要件です。そのような「扱いが楽」というのは案外と見過ごされていますが、実際に口に入れるまでの「総コスト」は考慮に入れるべきです。例えばイモは何処でも焼いて食べることが出来ますが、米などの穀物は「ひと手間」掛けないとそのままでは食べられません。何が一番安定して災害時に強いのか、とかの要素を考慮にいれて主食たる作物を考えるのが「食料安保」の考え方です。究極の選択ではありますが政府としては考えて置く必要があるでしょう。まあ、今のコメ価格問題とは関係ありませんけど。
4、我々の食事の中心はやっぱり米なのか?
色々あっても結局「日本人の食事」を考えると昔からの長い歴史もあり、米を主体にしての副食という「食文化」が完成されてしまっている感があります(そうでない人も最近は随分増えましたが)。これを変えていくにはそれ相当の生活の変化がなければ無理でしょう。よって当分の間は「ごはん」が主体で食糧自給を考えることになりそうです。しかし「ごはん=白米」と限らずに玄米や小麦(つまりパンや麺)もしくは麦飯も選択肢に入れて日本人の「主食を何にするか?」と考えた時、単一のものでまかなうのではなく「全体として栄養及びエネルギーを自給する」という考えもアリなのかな、と私は思います。食卓のスタイルは様々ですが、米は絶対に必要だ!とか、日本人なら米一択だろう!とかの意見は「今は変化している」とだけ答えておきましょう。
5、消費者の選択の自由
政府が全体としての食糧自給を考えて備蓄米等の災害対策を用意するとして、平常時には「国民の楽しみ」はグルメを謳歌することにあるのじゃないでしょうか。例えばアルコール業界では、ビールやワインやウィスキー・ブランデーに酒・焼酎・紹興酒など多種多様に売られています。メーカーはそれぞれに原料・製法・流通・価格・宣伝などありとあらゆる創意工夫を凝らして売らんかなに躍起ですが、全体としては需要と供給は上手く釣り合っていると言えるでしょう。小売システムも家飲みからレストランに居酒屋とバーそれとキャバレーなど、さまざまです(最後のは余計だったかな・・・)
つまり「米のような急激な価格変動」は想像できないくらいに「市場は安定」してると言えます。何故他の食品では米のような問題が発生しないのでしょうか?
答えは簡単です。消費者の選択の自由が確保されていて、「高ければ買わない」から程々の値段に落ち着かざるを得ないのです。勿論好事家やグルメの欲しがる逸品となればそれ相当の値段が付きますし、酔いさえすればいいというのであれば「いくらでも安い」のが用意されているというわけです。さらに言えば「全然飲まくても」何の問題も有りません。価格が上がれば需要が減少する、それで上手い具合にバランスが取れるというわけです。だから米もそろそろ「完全自由化」にして、ラーメンやうどんやパンやそばやパスタなどと同列の「ひとつの食材」と考える頃じゃないでしょうか。消費者の意識や好みも多様化しているのですから、米が高いと感じたなら「他の代替品にシフト」すべきです。そうすれば「ブランド米などの高級なもの」はグルメ垂涎の食品として一定の地位を獲得し、それほど美味しくはない「一般の低級な米」は仕方なく買うものまたは学校給食その他「コスト最重視」のものとして使われる、という「ランク付け」に従った市場が定着すると想定されます。
要は「米がなきゃ困る」じゃなくて、麦でもパンでも麺でも何でも、それぞれに美味しい食べ方があってその中で「今日は」これを選択しよう・・・が正しい消費者の対応でしょう。消費者側に多様な選択肢があれば、当然価格は落ち着くところに落ちてゆく。どうしても米じゃなきゃ生きていけない!という人は一定数いると思いますが、それならそれで「少々高かろうが我慢」しても買うしかないですね、あるいは「自分で作るか」です。もし本当に困るようなら「農家と直接契約して」毎年一定量を買うというのもアリなんじゃないでしょうか?、今の法律では「誰に売っても構わない」そうですからね。そうすればJAとか卸とか小売りとかの面倒な流通をすっ飛ばして「原価で購入」出来るでしょう。但し、色んなブランド米を食べてみたい・・・という自由はなくなるけど、それは仕方ないですね。お友達を誘ってある程度の量を確保した上で農家に交渉する、って手もなくはないがそれじゃ「卸と変わらない」ので面倒だ、となります。まあ、それほど「米が好きなら」お好きなようにどうぞ、です。
これが理不尽だとか政府の無策だとか騒ぐ人は、例えば「タバコ」の値段が如何に高くなったかを思い出してほしいと思います。たまにコンビニで買っている人を見かけますが、どれだけ高くなっても文句一つ言わずに黙って買い続ける人が現実にはいるんですねぇ。やめたら良いのにって私などは思いますけど、「やめられない」んだろねぇ、中毒だから・・・。
で、米が5Kgで5千円もするって騒いでる暇があったら、黙ってパンやラーメンやうどんに切り替えるのも手じゃないかと思います。いわゆる「米離れ」ですね。勿論、必要な栄養とエネルギーを摂る手段として最低限の品質のもので構わないから購入したいと思っても「価格がこれでは手を出すのが難しい」ような選択の自由がない貧困家庭に関しては、一定の供給量を国が準備して「とにかくお腹一杯に食べられる」ようにしてあげるのが国民に対する「政府の役割」だと思っています。これについては市場の価格云々に関わらず、国民生活の最低保証の目的に沿って「キチンとした安定価格での供給」を考えるべきでしょう。が、今回の米価格高騰の問題とは別なので、別途対策を立てる必要があるとだけ書いておきます。
それ以外の人はサッサと「選択の自由」を謳歌して、米の価格は「市場に任せ」ましょう。小泉大臣には申し訳ないけど、冷静に考えれば「米の価格は放っておく」のが一番じゃないかな、でした。以上、門外漢たる私の「米の価格問題に対する答え」とします。
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