明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

芸術についての一考察(8)ディスカバー・ビートルズ2を聴く

2023-05-04 13:59:30 | 芸術・読書・外国語
今日はNHKラジオ4月30日放送分の「ディスカバー・ビートルズ2」を聴いて、60年代の若者音楽の「黄金時代」を懐かしんでみた。これは毎回ラジコの「聞き逃し」に保存しておいて、大体2、3回は再生して聴きなおしている。音楽を聴くときはスマホのスピーカーは物足りないので、愛用のヘッドフォン「SHUREーSRH1540」で音を大きくして聴いているが、これがまた大迫力で思わず曲に合わせてシャウトしそうになるのが良い。やっぱり60年代は「音楽最高!」だったと改めて再認識した次第である。
 
私はこの時代に続々登場したシンガーソングライターという音楽の形が、如何に我々の心を鷲掴みにしたか?、それを確かめるためにSPOTIFYで「60年代洋楽」で検索してみた。ゾロゾロと当時のヒット曲が出て来たが知ってる曲も知らない曲もあり、私がそれ程音楽にのめり込んでいた訳じゃないのも分かって苦笑した。ただ私が60年代に「思春期」を迎えたということは、音楽を聴くうえで最も大事な「人生で感受性が一番豊かな時」に、知らず知らずのうちに「ビートルズという奇跡」と出会う運命だったのである。
 
振り返れば昭和20年の夏、長かった戦争に負けて国民が混乱の中に放り出され、自分が生きるのに精一杯で他人のことを構っている余裕が無い中、一方では何故か「もう戦争は終わった」という安堵感が、心を満たしていた不思議な時代に私は生まれた。つまり戦後5年も経ち、ようやく民心も落ち着きを取り戻して、人々が「未来を向いて生きて行こう」としていた時である。
 
私が小学校高学年に上がる頃にはテレビがようやく普及してきて、アメリカ製の人気ドラマ例えば「ララミー牧場」などが大流行していた。その頃テレビドラマに出てくるゲイリー・クーパーなどの外人俳優に「クーパー様」などと屈託なくはしゃいでいた母を、敗戦の心の傷未だ癒えぬ父が「無念の思い」を無言で噛み殺していたのを思い出す。勿論、同じく人気ドラマ銭形平次捕物控の大川橋蔵も「へしぞうさん」と呼んで喜んでいたので、何も外人ばかりに熱を上げていたわけではない。これは母の名誉の為に言っておきたい。
 
そんなこんなでベンチャーズが「エレキを引っ提げて」時代を席巻するまでは、小学校での私の音楽体験はクラシックを別にすればブラザース・フォーをちょっと齧った位だったと思う。ところが中学を卒業する時にクラスメートが教室で歌った(多分)ビートルズに「突然」心を奪われて、それから「いっぺんにバンド結成」へと走り出したのには、今でもどうしてなのか、全然理解出来ない行動だった。謎めいた「我が青春の1頁」である。
 
それからはベンチャーズのコピーバンドとして一世を風靡し(勝手に記憶を書き換えているが、まあ良しとしよう)、2年で大学受験の為にあっさりと活動を停止し、今に至っている。高校時代は受験勉強の傍らジョーン・バエズやPPМなどのフォーク・ソングを聞いたりしつつ、大学に入ると今度は「クラシック」に目覚めて大学オーケストラに「ビオラ奏者」としてもぐり込んだ(ビオラは誰もなり手が居なかったので、考えなしにやることにした)。
 
私は小さい頃、母の教育でバイオリンとピアノを習っていたので、楽譜も読めたし簡単な曲なら初見で弾く位に、音楽には素養があったのである。だからブラームスやチャイコフスキー、バートーベンなどを定期演奏会で取り上げながら、一方ではカルテットを組んで「モーツァルトの弦楽四重奏曲」なども全曲レパートリーとしていたくらいであった。思えば「読書と音楽活動」は、私の人生の無くてはならない両輪である。
 
で、そんな私が一週間ぶりにビートルズを聴き、それから始まって「60年代のヒット曲」を次々聴いて分かったことだが(これは余りにも言い古された言葉ではある)、音楽とは「時代そのもの」だという事実である。
 
実はこの時、SPOTIFYから「フランク・シナトラのマイ・ウエイ」が流れて来た。この曲は巷のスナックで赤ら顔のオッサン達が熱唱しまくったお陰で、随分と印象が悪くなってしまって損をしているがじっくり聴くと意外と良い曲なのだ。そして曲もさることながら「シナトラ畢生の歌声」が言いようの無い程に素晴らしく、聞き込むほどに胸が熱くなってジーンと来る名曲である。これはレコードじゃなく生のコンサートで聴きたかったと思う。
 
とまあ、ビートルズを語るつもりで書き始めたが、ついつい私の音楽遍歴に話が膨らんでしまった。私はどういうわけか日本のGSには全く興味がなかったが、洋楽は「ひと通りなんでも聴いた」人間である。そんな中でも「時代の意識の先端」を走り抜けたビートルズという存在は、今でも我々にとって「稀有のアイコン」であり続けているのではないだろうか。
 
今改めて彼らのヒット曲「ツイスト・アンド・シャウト」を大音量で聴いてみると、まるで全ての人工的な規制を取っ払って「自分を全解放する気分」に満たされるのが分かる。そう、完全な「自由の世界」に飛んでいくのだ。こうした、評価を超えた曲への同化と自己解放をもたらしてくれる音楽家というのは、長い人類の歴史の中でもそうそう居ないのではないだろうか。観客を「興奮のるつぼ」に引っ張り上げる能力は驚くばかりである。これじゃ女の子達が失神するのも無理からぬ事だと思う(日本のGS=オックスなどが女の子をキャーキャー言わせて失神させていたのとは「根本的に違う」と私は思っている。日本のGSには「音楽の力」はまるで無かったが、ビートルズはあくまでパーフェクトな「音楽家」だという違いである)。
 
ビートルズが武道館で来日コンサートを行った時ライブで観ていたという「奇跡の体験者SY氏」が、今度カラオケに行ったらビートルズばっかり歌っちゃおうかな、と独り言みたく呟いていた。私も嫌いじゃないから「お付き合いしますよ」と言っておいたが、その後どうなったかな?。今度聞いてみよう・・・


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