明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

私の好きな心に染みる歌(1)藤原忠平

2023-05-31 12:49:00 | 芸術・読書・外国語
私も70を過ぎて、いよいよ人生の総仕上げの時期に入ってきた。これから最後の10年を、どう過ごしていこうか。そう考えた時に、何か確かなものを掴んで人生を終わらせたい、そう思ったわけである。では、その「何か」って何だろう?と考えると、自分と一体になるほどに好きになってしまったものと一緒に暮らしていくことだ、と気がついた。人はそれぞれ、心にピタッと符合する好きなものがある筈だ。ある人はグルメであり、ある人は宇宙であり、ある人は山登りだったりと、百人百様である。私の場合は、それが「和歌」だった。

勿論それだけではない。練習場でゴルフのスイングを極めるのもも好きだし、自転車で田舎道をあちこち走り回るのも好きだ。古代史の謎を解き明かすのも更に大好きである。これらは言うなれば「探求」だ。探求をしていく過程で、読書は欠かせない。だが結局のところ、知識が得られたら本はいらなくなる。本はあくまで「探求の道具」なのだ。私は病気を機に断捨離をしてから、本はなるべく「電子書籍」にしている。だが私の求める古代史の分野は中々電子化が進んでいないようで、欲しくても電子版が出てないのが辛い。この辺は国家事業として、古典の全電子化を推進してもらえると有り難いのだが。

一方、和歌は私にとっては「出会い」と言える。心に染み入る歌に出会った時には、その歌を詠んだ人物から詠んだ場面や風景や経緯を知りたくなり、更にその歌が好きになる。だから旅行にかこつけて「歌枕を尋ねる旅」というのもやってみたい、というのが夢である。私の個人的な和歌の好みだが、その歌が作者と一体となり、その人の人柄や人間関係、はたまた人生のドラマを切り取ったかのごとくにその瞬間の感情を「眼前に彷彿」とさせるような歌が好きだ。和歌は生き物である。ただ美しい自然を描くのであれば、それは単なる過去の記録になってしまう。作者がその和歌の中に「そのまま生きて」こそ、名歌と言えると思うのだ。それが私の、歌の基準。その基準に合った名歌をいくつか挙げていこうという企画が、この「心に染みる歌」シリーズというわけである。今回は栄えある第一回として、藤原忠平を挙げてみた。この企画が今後も続くかどうかは「皆さん次第」である。

第1位  小倉山 峰のもみじ葉 心あらば  今ひとたびの みゆき待たなん

貞信公藤原忠平の作。亭子院(宇多上皇)が大堰川に遊んだ時、小倉山の紅葉の余りの美しさに感動して、「息子(醍醐天皇)にも見せたいものだ」と言ったのを聞いて作った歌とされている。歌意は「紅葉よ、もしおまえに心があるなら、もう一度天皇が来るまで散らずに待っていてくれ」というもの。私は30歳くらいの頃京都に行った時、亀山天皇記念公園に登って大堰川を見下ろす展望台に立ち、目の前に見える大悲閣千光寺を望んでは、この名歌を心のうちで口ずさんでいたものである。ところが後から調べてみると、小倉山というのは常寂光寺や二尊院・祇王寺などのある一帯で、私が眺めていたのは嵐山だったと知ったのだ(何という失態!)。私は当時小倉山と呼ばれていた山が、後世に嵐山と呼ばれるようになったとばかり思い込んでいて、秋になれば全山紅葉してさぞかし美しくなるだろうな、などと頓珍漢な想像に酔いしれていたのである。何とも恥ずかしい想い出だが、当時私は「死んだらこの公園に埋葬してもらいたい」と真剣に考えたのだった。公園だからそもそも無理なんだけど・・・。

その何年かのち、五条通から桂川を渡り団地が林立する中をてくてくと歩いて、松尾大社に行ったことがあった。ちょっと遠目に参拝してから、松尾橋のたもとの喫茶店に入ってアイスコーヒーを飲み、涼を取ったのだが、夏の盛りにあちこち歩き回ったせいか、吹き出す汗でシャツをビショビショにしたまま店内に入ったので、女主人から嫌がられた記憶がある。まあ、京都だからあからさまには言っては来ないが、そうとうな田舎者と思われたに違いない。京都には何度も行っているが、大概の想い出はこういう恥ずかしい出来事が多い。また別の年、渡月橋を渡り、大堰川沿いの急崖をハアハアと息を切らしながら、千光寺まで詣でた事があった。両手を付きながらやっとの思いで登りきったところには車が駐車していて、崖の反対側には車の通れる立派な道路が通っているのだった。そりゃそうに決まってる、何もこんな崖の急斜面をわざわざ参拝客が登ってくるわけはないのだと思い至らなかったのが私の間抜けな所である。崖に向かってせり出した展望部屋に入って窓から景色を眺めると、流石に一望のもとに京都市街が見渡せる。私はササッと眺めてから、また来た急斜面を下って大堰川沿いの道まで戻って行った。鬱蒼としたの木々の緑と、うるさいくらいジージーという蝉の声が耳に残った、大堰川の夏の思い出である。

そう言えば昔、まだ若かりし頃に女の子と正月旅行で京都に行ったことがあった。その時は運良く大晦日に雪が降って、有名な竹林の小径なども人通りが無く、真っ白な雪道を二人して歩いた思い出がある。ところがその時は、喫茶店で彼女と話しているうちに私が源氏物語を貶したことが発端となってちょっとした口論になった結果、帰りの新幹線は別々の列車に乗ることになった。なかなかロマンチックな思い出というのは無いものである。考えてみれば中学校の修学旅行で初めて京都旅行をして以来、かれこれ10数回京都には行っているが、まだまだ行って見たいところが多いのが京都の魅力である。いずれ奈良に飽きたら九条あたりにアパートを借りて、京都中を散策するのもいいかなと思う。

なお、この歌の素晴らしいところは小倉山という桜の名所を舞台設定にして、宇多上皇とそれに扈従する廷臣たちの優雅な雰囲気を暗黙のうちに想像させながら、「醍醐天皇にも見せてやりたい」という上皇の一言に対し、それとなく唱和した優しい気持ちを「桜に問いかける」という行為を通して、見事な一幅の絵画のごとく描いてみせたという所にある。その晴れやかな行事のなかの一瞬の情景と、貞信公の素直な嘘偽りのない愛情とが渾然一体となった瞬間、清新な宮廷文化の晴れ舞台の思い出として、人々の記憶に残る名作となったのだ。桓武以来の朝廷も清和・陽成を過ぎて人心が安定し、この宇多・醍醐の時代は「寛平・延喜の御時」と評されて、和歌隆盛の時でもあったと聞く。そんな朝廷の権威が花開いた平和な時代感覚を、最も見事に歌って見せたのがこの歌である。私が選ぶベスト1は、そんな綺羅びやかな宮廷の人々の、晴れ晴れと浮き立つ心を率直な言葉で歌い上げた貞信公のこの歌で決まりだと思う。宇多上皇はじめ宮廷の高位の面々が、小倉山の満開の桜を愛でている情景が目に見えるようではないか。

まるでその場に居合わせているかのような臨場感、これこそが和歌の持つ生命力である。


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