明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

人工ダイヤの脅威に怯える宝飾業界は生き延びられるのだろうか?

2019-01-11 23:29:01 | ニュース
工業ダイヤというのが今、宝石業界を混乱に陥れようとしている。つまり人工ダイヤが簡単に作られて、市場に流通するってわけである。今までもダイヤモドキはあった。キュービック・ジルコニアやスワロフスキー・ダイヤモンドなど、それなりに市場に出回っているが「本物のダイヤモンド」と認知されているわけではない。価格もそれなりに安い。何故かと言えば、本物の「美しさには明らかに及ばない」からである。ダイヤは光を集めて強く輝くから美しい。言うなれば、そのキラキラ具合で本物に劣るのである。だから「本物じゃない」として価値もグッと下がるわけだ。ところが今度の工業ダイヤは「出来上がった製品が本物」なのである。生産過程が天然と人工の違いはあるが、出来上がったダイヤは寸分違わない「炭素分子の塊」なのだ。言わば天然うなぎと養殖うなぎのようなものである。うなぎはうなぎ、生育環境が異なるだけでDNAが違うわけではないのだ。食通の意見は色々あるだろうが、旨いか旨くないかということであれば、中国うなぎと養殖うなぎとどっちが旨いかという面もあるわけで、一概に「天然が断然旨い」という話ではない。食べ物としては、天然かどうかより旨いかどうかが大事なのは言うまでもない。要は味で価格は決まるのである。

ではダイヤの場合はどうなのか。今まででも人工ダイヤはあった。だが宝石として通用するまでの大きさが作れなかったので、人工ダイヤという「工業製品用」の別のカテゴリーに入っていたのである。いわゆる研磨剤としての利用であり、ダイヤモンド・カッターであり、焦げ付かないダイヤモンド・フライパンであった。本物の宝石とは違う、「名前はダイヤモンドだが別物」と人々は考えていたのである。その住み分けに疑問を持つ人はいなかったというわけだ。ところが今回は「如何様にもデカく作れる」というから仰天したのである。言うなれば、100カラットの無色透明無傷の(宝石業界ではこれをDカラー・フローレスという最高グレードで呼ぶ)ダイヤモンドが、ポコポコ出来上がってくるのだから困っちゃうではないか。今まで1カラットのダイヤを何十万円かで購入して後生大事にタンスの奥にしまいこんでいた奥様方は、ある日突然数万円の価値しかない「ガラクタ」と一緒にされてしまう悪夢を想像して、悶々と夜も眠れないというわけである。これを混乱と言わずしてなんとする、だ。

確かに、製品として出来上がって来たものは「本物と見分けがつかない」、いや本物以上に完璧である。僅かに鉱物の特性である硬度は「ビッカース硬度で少し差がある」らしいので、全く同じではない。だから別物である。だが見分けがつかない以上は「美しさで同等」と言えるのじゃないだろうか。美しさとは「見た目」だからだ。ここがポイントである。ダイヤモンド・シンジケートのデ・ビアス社が危機感を感じて、早速この人工ダイヤを「別物として市場形成する」動きを始めた。偽物ダイヤとしてではなく、工業ダイヤつまり研磨剤ダイヤの大型版として「それなりの価格で流通させる」方法を取ったのである。名前を何と呼ぶかは知らないが、○○ダイヤモンドとかつけて「区別して売られる」ことになるだろうと思われる(まだ詳しくは知らない)。果たしてこのダイヤモンド、現在の宝飾品業界・宝石のファン層・ファッション全般などにどれほどの影響があるのか、じっくり考えてみようと思う。

視点はいくつかある。まず「希少性」についてであるが、天然ダイヤモンドは地中深く埋まっていて、掘り出す効率も良くないし掘り出してからの研磨も熟練の技術が必要なものである。そしてその希少性のために値段が高い。勿論のことではあるが、人の心を虜にする魔性の輝きが、その価格を正当なものにしているのは間違いない。だから4Cと言われるグレーディング(カラット=重量、カラー=色、クラリティ=透明度、カット=研磨)によって、一個一個厳密にラボで検査して「鑑定書」が発行され、ルースと言われるダイヤそのものとデザインに加工された宝飾品と形は少々沸かれるが小売店の店頭に並ぶのである。そこで鑑定書に基づいた値付けがされて価格が表示される仕組みである。この仕組みを世界規模で一手にコントロールしているのが供給元であるデ・ビアス社である。年間のグレード別供給量を匙加減することで、価格を安定させ一貫した普遍的価値のピラミッドを維持してきた。何度かその枠組みから外れたダイヤが市場に出回ることもあったが(ロシアンダイヤとか紛争ダイヤとか様々であるが)、今の処は上手く切り抜けて、ほぼ統一した価格秩序に保たれている。要は、「美しいものほど数が少ない、だから人気が出て高価」なのだ。もし最高グレードの2カラットのダイヤばかりが市場に溢れていて、商品の90%が「そればっかり」になったりしたらどうだろう。つまり希少性がない「どこにでもある品」になってしまったら、目の玉が飛び出るほどの値段がつくだろうか。誰もが持っていて珍しくとも何とも無い品では、どれだけ美しくても他人と自分とを差別化したい人にとっては無価値なのである。欲しいのに数が少ないので手に入りにくい、だから一番公平な差別化の方法として、価格が選ばれ「すなわち高い」と言う結果になったのである。市場原理に合致した戦略と言える。ダイヤの価値は「希少性にある」と言えるのだ。場合によっては(ブラウンダイヤなどといって茶色いダイヤがもてはやされた時期があったのがその最たるものである)、美しさよりも希少性が尊ばれる。だから数量コントロールが何よりも大事なのだ。

では顧客の心理はどうだろうかというと、これはこれで客層はコアなファンが多く、それが宝石業界をしっかりと支えている。彼ら(殆どは女性なので彼女等というべきだが)は「宝石が好き」なのである。私の会社は宝飾品製造卸で、その営業部長に話を聞いたら「宝石を買う人は100人にせいぜい2人」というデータがあるそうだ。そのまた4割が高額な品物を買うヘビーユーザーだと言うのだから、つまり0.8%である。微々たるものではないか。つまるところここが重要なのだが、彼女らは「コレクター」なのである。集める事が目的なのであって、身につけたりしてデザインや美しさを楽しむ「ユーザー」ではない。例えば絵画の例で言うならば、ピカソのコレクターは「とにかくピカソを集めることに」関心があって、名画と駄作の区別なく「ひたすらピカソ作」を集める。作品の良し悪しには勿論関心があるが、それはその絵に心打たれたからではなく「人気があり価格が高いから」に過ぎないのだ。だからピカソを愛し、ピカソの作品を見ることで心が癒やされる絵画ファンの「ユーザー」にしてみれば、もし文字通り「本物と寸分違わぬ絵」が目の前にあれば、それで目的は達成されてしまう。よくテレビで茶器や掛け軸を鑑定する番組があるが、実に主観的な判断基準で本物と偽物を区別し「断言して」いるのに驚かされることがある。だいたい「この筆致は少々荒くて◯◯の画風である雄大さ緻密さに欠けますね」などと尤もらしく理由づけして贋作と言い切るが、本当のところは「単なる推測」に過ぎないのである。もちろん作品に使われている絵の具が「科学的な分析」によって当時はまだ作られていなかった新しいものだと言う場合には、確実な証拠として断言できるであろう。しかし、そのような場合は稀である。多くは有名な鑑定士の「個人的な見解」がそう言っているだけである。だがこれらの「有名な鑑定士」は、作品の価格を決定し絵画全体を「1つの価格体系に統一」している「コレクター育成機構の一部分」なのだ。作品の質や量を計算し、それらを芸術作品全体の中のカテゴリーに分類し、最上のものから入門者用のものまでを「価格のピラミッドに作り上げる」役目を担っている。作家と美術商とコレクターとが三位一体となって、絵画のマーケットは運営されているのである。宝石業界も同じだ。供給元と宝石商と宝石マニアが一体となって、「華麗な宝石ワールド」を維持しているのが現状だ。彼女らが「コレクター」であることを考えれば、ダイヤと全く同じ「人工のダイヤモンドが出現した」としても、この宝石取引の世界は「お茶の裏千家」同様に、堅固でビクともしない本物を媒介とした「コレクター同士の強い絆」で結ばれた世界なのである。「あら、この◯◯ダイヤっていうの、意外と綺麗じゃない?」などと一瞬でも思ったりするような不届きな輩は、真っ先に「ものの価値がわからない人間」として排除されてしまうのである。つまり、顧客は「美しいから買う」のではなく、デ・ビアス社の計算され尽くした戦略に則った製造・卸・小売の流通世界に取り込まれて、「価値があるから買う」または「欲しいから買う」と言うマインドに洗脳されて買い続ける、それが我が社の営業部長の見解である。見事だ。

ものの価値は買う側が決めるのではなく、実は売る側が決める、と言うのが業界の常識である。価格ピラミッドの中に商品がぴったり嵌まっていることで、消費者も安心して購入する事ができるのである。「良いものは高い」と言う鉄則が、ここでも絶大な力を発揮する。およそ価格がついているもの全てが、上から下までの「価値のスケール」で綺麗に並べられているのである。私が感じる価値の基準ではなく、「市場が認めた価値の体系」に従って値段がつけられているのだ。結局、その体系の「外」に存在する◯◯ダイヤモンドのような商品は、いっそ「ダイヤ」と言う名称をやめて、「マカロン」みたいな新しい名称をつけて「ファッション業界のような美しいデザインが認められる世界」で売り出す方が、消費者には受け入れやすいのではないだろうか。ルイ・ヴィトンやポール・スミスやシャネルのような超有名ブランドが、この新しいダイヤ(名前は◯◯であるが)を使った「新しい装飾品」を作って売り出せば、一気に認知度がアップしてバカ売れすると思うがどうだろう。コレクターである宝石のコアなファン層へ食い込むのは「理論的に無理」なのであるから、ここは方針を変更して「名前も業界も変える」事でブレイクを目指すのが正しい戦略のような気がする。

結論:「コレクター」に支えられた宝石業界はほとんど影響を受けずに、従来通り「クローズド」な世界でやっていくだろう。逆に、美しさを求める「まだ宝石には手が届かないユーザー」たちは、ファッションのアクセサリーとして「新しい市場」で活性化する、と言うのが私の読みである。果たして結果はどうなるか。結局、両者は別々の世界に住み分けることになる。所詮、天然と養殖では「顧客層が違う」と言う事なのだろう。どちらが良いとは言えない、それが答えである。

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