明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

最近「バカだね〜」と思ったニュース(後編)

2019-02-17 22:24:36 | 今日の話題
5結婚の自由を求めて裁判している「同性婚」だが、早いとこ解決してやればいいのに
裁判そのものはどうなるか分からないが、私は問題を2つに分けて考えることにしたい。1つは結婚の「実質的側面」、つまり結婚していることで保証される何かの権利、例えば遺産とか不動産居住権とか手術の同意とか諸々の「奥さんなら持っている当然の権利」をLGBTの人でも持てるようにする、ということ。これは内縁の妻が認められる権利はLGBTでも同じく認めて良いとするもので、「実際にはパートナーとして登録すること」で結婚と同じ効力が得られるものである。呼び名が「婚姻関係にある」というのにはちょっと抵抗があるから、「友婚」とかなんとかにして一応「普通の結婚と分けておく」ほうがベターだろう。個人的には友情の発展形と考えたいのだが、本人たちは肉体的にも愛情を感じているらしいから不満ではあるだろうと思うがまずは権利を確保するのが先である。男女の結婚とLGBTの友婚とで「法的に何か区別しなければならない理由」はないから、これで一件落着である。2つ目は「精神的側面」、つまり自分たちも「愛し合っている」ということを認めて欲しいということ。まあ、これは難しいのじゃないかな、特に50過ぎのいかついオッサン同志が熱烈キスするところを「想像するだけ」で気持ちが悪くなるのは、差別意識というよりは「自然の摂理」だと私は言いたい。他の人の迷惑にならない程度に愛し合うのであれば、まあ「お好きにどうぞ」と放置しておくのがいいだろう。蓼食う虫も好き好き、という言葉があるから、「男女の恋」であっても気持ち悪いカップルがあることは承知しているが、その気持ち悪さとはまた「別の種類」のゾゾっとするような悪寒が走るのは私だけではないと思う。結論としては、「世間から隠れて日陰でそっと咲いている」程度に生きていれば、法的権利は男女の婚姻と同じように認めてあげてもいいかな、と思っている。妥協である。どうせ子供は出来ないんだし、一回きりの人生を好きなように生きたいという権利は、「基本的人権」として彼らにもある、というのが私の考えである。それに、これを認めたからって「それほど大変なこと」にはならないからいいんじゃないの?

6細野剛志衆院議員の自民党二階派擦り寄りは支持者への裏切りか
細野剛志議員は見た目も爽やかで結構いいのかなと思っていたのだが、民社党分裂から小池都知事の希望の党空中分解に至る一連の流れの中で、存在感が薄れてきていたのは事実である。その状況を打開するべく「今度は自民党に鞍替えしよう」と画策しているのだから、本人の意図がどこにあるのかは分からないにしても「呆れる」こと尋常ではない。二階幹事長は唯一自民党の中でも中国との連携を推進しているなど、政策的にも「自民党の中では一線を画している感」があって私は好きな政治家であるのだが、調べたら血液型がB型ということで、以前にも増して親近感を感じていて、個人的には結構ファンになっている。今回、細野剛志議員が自民党に合流するにあたって、諸々のことを二階幹事長に打診したのは彼にとっても正解だったとしよう。安倍首相もB型だから好きかと言うと微妙だが、麻生財務大臣A型のように「今すぐ議員辞職させたいナンバーワン」のようなイカレ人間と比べるとまだマシなところがあって、少なくとも最近は田中宇国際ニュース解説にあるような「隠れ右翼」じゃないか、とさえ思えるほどに外交問題では「習近平やプーチンやトランプ」に擦り寄り・譲歩を連発している。どっちみち日本は主役にはなれないんだから、コバンザメみたいに強者にベッタリくっつく作戦の方が「現実的」なのは明らかだ。安倍首相、割と現実的な感覚を持っているところは評価したい。それに対して野党は揃いも揃って「出来の悪い落ちこぼれ」ばっかしで、どうも迫力がない。統計ウソ問題でも担当者を国会参考人招致で引っ張ると要求するだけで、有効な楔を打ち込む「切れ味のある質問」はとうとうなされなかった。要するに政権中枢を窮地に追い込むような質問ができていないから、答える方も「のらりくらり」で時間ばかりが過ぎてしまうのだ。野党の根本戦略が「揚げ足取り」をすることで閣僚を引きずり下ろせば安倍政権が倒れると思っているから、見ている一般有権者からすれば「政治の閉塞感が半端ない」となってしまう。こんなんじゃ選挙やっても「棄権が増える」ばっかりで、自民党が倒れる気遣いは「全然ない」。それで細野剛志議員の自民党入り、ということが出てきたわけである。当分自民党政権は安泰だから、政治をやりたいと思っているまっとうな議員は「今後、続々と自民党に鞍替えする」なんて現象が起きても少しも不思議ではない。むしろ野党でいるよりも、自民党に入って「内部で反旗を翻す」ほうが、実際的現実的かも知れない位である。まあ細野剛志議員が「そう考えているかどうか」は残念ながら未知数だけど。

7食べ合わせは昔からある迷信と切り捨ててはいけない
私の飲んでいる脳梗塞の薬には、血小板抗凝固剤のクロピドグレル、血圧を下げるテルミサルタン、「血管を拡げて」狭心症の発作を予防するアムロジピンと、都合毎朝3錠ずつ飲んでいる。が、アムロジピンはグレープフルーツと一緒に飲むとその効果が「強くなりすぎるので」飲まないこと、と注意書きが書いてあるので、薬を飲みだしてから一度もグレープフルーツジュースは飲んでいない。ところが今日、薬は使い方を間違えると逆効果だから気をつけなきゃ、と思っていたら何と「食物繊維は薬の前後に取っちゃダメ」っていうニュースが目に飛び込んで来た、「どうゆうこと?」。どうも食物繊維が薬の効果を妨げる場合があるみたいなのだ。他にもコエンザイムQ10には血液凝固抑制剤の「ワルファリンの血流促進作用を阻害」する、とある。また、チーズが抗結核薬に悪影響があるというのも出ていた。チーズにはチラミンという物質が含まれていて、場合によっては血圧急上昇を引き起こすというから気をつけなければならないのである。血管収縮作用があるチラミンを抑制している「モノアミンオキシダーゼB」という物質の役目を、何故かチーズが減らしてしまうのだそうだ。これが「赤ワインにも入っている」というからビックリである(この前から日本酒をワインに変えたばかりの私にすれば大問題である)。この抗結核薬「イソニアジド」は魚の「鮪や鰹や鯖」のヒスチジンと反応してヒスタミンの代謝を阻害するというから、結核だけはならないようにしなくては、と気をつけることにした。ニュースで見る限りは「結核になったら食べ物が相当制限される」と思っていいみたいである。とにかく病気になったら何か薬が処方されて、「副作用の恐れ」に注意しながら生活しなくていけない事になる。やっぱ健康が第一、だね。これから毎年恒例の花粉の季節がやって来るが、このニュースを読んでからは「今年は多少辛くても我慢して何とか乗り切る」ことにしよう、と心に誓った次第である。というよりか心の中で、「何とか日本全国のスギを全滅させるように」政府が法律で対策してくれないかな、とか考えてしまうのは僕の我儘でしょうか?。だって、薬で何とか誤魔化すよりも、「原因の杉」を無くしたほうが「ずっと良くない?」

8テキシアジャパンの巨額詐欺事件の被害が460億円だって!
最近は減っているとばかり思っていたが、このネズミ講まがいの投資詐欺事件は「日本を元気にする」とか訳わかんないこと言って客の善行意識を煽り、「元気玉」みたいな新語を作り出しては有り得ない高配当を謳う「新興宗教」でもある。実際逮捕された会長を自称する銅子正人とかは神主として色々なイベントを企画実行して、戦没者慰霊祭など「それらしき活動」をやっていたというから「どこまで本気」なのか謎である。基本、詐欺というのは事業として成り立っていないから、これをやっている人は必ず破綻するようになっている。だから最後はケツをまくってトンズラするのが鉄則なのだが、何故か破綻するまで続けていて捕まるというのが不思議なのだ。どう考えても割が合わない筈なのに何故やるのかというと、例えば銅子容疑者は踊らされている下っ端で、実際の黒幕は「もっと悪い集団」だというのが「この手の詐欺事件の本当の姿」ではないか、とも考えられる。つまり銅子容疑者は、最初っから黒幕に使われて最後は逮捕される役回りを演じているだけの「道化」であり、集めた資金は「そっくり横流し」させられていた、という寸法だ。グループには警察OBも入っていたというから、とにかく手が込んでいる。こないだ破綻したケフィア事業振興会の「元代表の息子が自殺らしい」と報じられたが、テキシアと違って純然たる詐欺行為とは言えない部分もあって、ちょっと複雑である。こちらの場合は「途中から資金が回らなくなって詐欺まがいの行動に走ってしまった」という辺りが本当の所だと思うがそうだろう。「はれのひ」や「てるみくらぶ」の事件も記憶に新しいが、色々形は変えてはいるものの要するに「金を集めていながら、それを回収する方法が空想レベル」というのに尽きるのではないか。今回のテキシアジャパンはもっともっと悪辣だが、これを信用するほうが悪いというのは簡単であるとしても、何で460億円にも被害が拡大するまで「警察はずっと傍観して」いたのか、というのが腹立たしい。警察はこういう詐欺の専門家であるから、奴らの手口を見れば「すぐ詐欺だと分かる」はずである。資金の流れが何処へ行っていたのか、全容の解明と証拠固めのために様子を見ていたという言い訳には、「どんだけ証拠集めりゃ良いんだよ!」と叱責が飛ぶのは必定ではないか。騙されたという連中は完全に頭がおかしいとしか思えないので救済する必要はないにしても、いくらなんでも「被害額がでかすぎるだろう?!」と怒り爆発だ。せめて1000万ぐらいの被害で抑えることが警察の役目である、猛省すべし!。ところで引っかかる被害者の共通の心理だが、判断基準は「見た目が豪華だから信用した」ということらしい。金回りが良いというのと「言っていることがしっかりしてる」と言うことが同じである、と思っているのは「典型的な田舎の老人」だが、バカじゃないの?。そもそも実態の確認をしないで人の言うことを信じてしまう人というのは、何をやっても「騙されるタイプ」である。こういう人を「疑うことを知らない善良な人」と被害者ぶってマスコミも持ち上げるから、いつまで経ってもこういう事件が後を絶たないのだ。これからは「こんな詐欺事件が発生したが、引っかかったバカは〇〇人です」ぐらいの厳しい報道をして「二重の恥をかかせる」のが良いと思う。でもそれだと被害にあったことを「隠して黙っている」なんてことが起きるので、詐欺を見抜けなかった「罪」を新設して、法の裁きを受けさせるってのはどうだろう。詐欺は騙したほうが悪いのは当然だが、「騙された方も」罪になるってのがこれからのトレンドというのが面白そうである。詐欺が成立するには、代金の支払いより「サービスが後」だ、という鉄則がある。そういうことが分かっている人は今回の被害者には居ないみたいだけどね。

9松坂投手がファンとの接触で右肩故障
プロ野球選手が利き腕をファンに引っ張られて肩を痛める、というのはたまにあるらしい。もしそういう事故が起きると分かっているのなら、それなりの防衛策を取っておくのが投手の努めであろう、言うなれば自己責任の範囲である。元巨人のエース江川は現役の頃、「ボールより重いものは決して持たなかった」ってエピソードを誰かが言ってた。まあそれはオーバーにしても、其れぐらいの心配りがあっても「プロだから当然」だとも言える。ましてや松坂の肩は何度も手術している「ガラスの肩」だ。ファンに悪気はないとか不可抗力とか、あるいはファンに対しても「そういう配慮が望ましい」とか、バカも程々にしてもらいたいもんである。右肩が「投手にとって大切なもの」であればあるほど、本人が怪我しないように慎重に慎重を重ねて行動すべきではないのか。例えば常に右手をポケットに入れておく、とかである。それが怪我しないための予防策だと分からない人から見れば不謹慎な行為に見えるかも知れないが、プロである以上は「誤解を恐れず」に、キチンと守るべきことはやるべきなのである。と、正論を言ったがそれにしても、腕を引っ張られたぐらいで違和感を感じるなんて、プロの肩ってのは繊細なんだね。我々の鈍感な肉体は「競馬で言えば駄馬」だから、「走る芸術品サラブレッド」とは、生まれながらにしてDNAが違ってるってことのようだ。これ、滅多に無いことだが、駄馬で良かったと思える瞬間である。

10不倫の慰謝料は5年前でも取れる
しょうもない知識だが、5年前に妻と不倫関係にあった相手に「離婚の慰謝料」を請求できるかどうかで、ひるおびメンバーが盛り上がっていたという話題。まったくつまらないことを取り上げるのがワイドショーの悪いところではあるが、どの道暇つぶしに見てるだけだから怒るほどでもない。で、そんな昔の話を持ち出して慰謝料を取ろうなんていうんじゃ、まるで韓国政府のやっていることと同じじゃないか?、と、ごぼうサラダをつまみながら突っ込んで見た。どうせ訴えた側だってロクな男じゃないに決まっているが、結局は金を取れるところから「出来るだけ取ろう」という話である。 今、借金返済で払いすぎたお金を取り戻すという宣伝がテレビでも大流行だが、どうも「さもしくっていけない」。私なぞは有り難いことに親が頑張ったお陰で、経済的に困ったことが一度もないという幸せな生活を送っていられる、というのは嬉しい限りである。こういうのを真剣に考えなければいけない状態というのは「今の生活が苦しい」からである。普通の人間は、現状裕福な暮らしが出来ていれば、「面倒くさい過去のことはどうでもいい」となるのは理解できる。勿論、相手に何とか仕返しをしてやりたいと思って財産を「思いっ切りふんだくってやる!」と息巻く場合は、別である。これは事例として女のほうが多いと思うが、調べたわけではないので「確かな事は言えない」。どちらにしても、不倫がバレた時から3年ぐらいは請求権が残っているみたいである(番組調べ)。つまり30年経っていても「昨日発覚した」のなら慰謝料が取れるらしい、怖いですね〜。私などは、腹が立っても「いつまでも怒っていることが出来ない」性分だから困っているくらいなので、B型特有の「忘れっぽい」脳構造がストレス軽減に一役買っているのは間違いがない。ケンカ中はカッとなり感情的にあれこれ相手にダメージを与えるフレーズをひねりだそうと苦心三歎しているのだが、そうこうしているうちにいつのまにか他のことに興味が移ってしまって、何に怒っていたか思い出せなくなっている。これ認知症の症状だったら憂慮すべきことだろうけど、いまんところそうじゃないみたいだから放っといている。しばらく経ってふと振り返ってみると、何故か悪い印象は消えて「楽しい思い出ばかり」が思い出されるから、人生を楽しむためにはベストな性格ではないかと自慢している。これは良いことしか頭に残らないという選択の結果ではなく、B型特有の「何でも良い方に解釈する性格」が寄与しているみたいだ。いわゆるコップの水が「もう」半分も減ってしまったと考えるか、「まだ」半分も残っていると考えるかの違いである。「もう」は過去にこだわってクヨクヨするタイプ、「まだ」は未来を想像してワクワクするタイプ。どっちが有利かは、分かるよね?

と言う訳で、暇潰し第二弾の終了です。何とか「話題提供の役には立ったのかな」と不安いっぱいですが、次回からは本気で議論のネタを書けるように努力しますので、今回は勘弁して頂こうと思っています。それでは次回まで、お疲れ様でした〜。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿