ここ2日ほどニュースで取り上げられている柏児童相談所の事件だが、私の住んでいるのが柏だから他人事ではない。この事件のポイントは、心愛ちゃんのSOSを柏児童相談所が真摯に受け止めなかったことではなく、「DV被害者」を当の相手から保護しなかったことである。
「DV被害者」は何も大人に限ったことではない、と言うのは今や常識ではないだろうか。むしろ、何の抵抗もできない子供の方が深刻である。子供がアンケートで「親のいじめを訴えていた」そうだが、この親は「見せろ!」と怒鳴り込んできて、あげくには「訴訟する」と騒いでいたという。そんな親の元に子供を帰せばどうなるか、誰にでも想像がつこうと言うものである。自分の子がDV被害者だと訴えたのだから、「今度したら承知しないぞ」と虐待され、一層ひどい仕打ちを受けることは明々白々ではないか。それを親の剣幕に負けて「コピーを渡してしまった」と言うのだから、「腹を空かしたライオンの檻に、幼い子供を帰す」ようなものである。だがこれは児童相談所の職員を責めるだけでは解決しない。ではどうするか、私の考えを述べよう。
1 体に痣や傷を発見して、それが虐待の跡ではないかと疑われた場合には、即保護して親と分離する。ここまでは本人や親の説明・言い訳を聞かずに「自動的に行う」こと。親は、子供が体力的に大人と互角に戦える年齢になるまで、親権停止する。但し、養育費は払う。
2 子供が「親から暴力などの被害を訴えた場合」は、即保護して親と分離する。これも自動的に行う。親は、子供が親と対等に話し合いできる年齢になるまで、親権停止する。但し、養育費は払う。
3 第三者が「あの子は虐待されてるかもしれない」と通報した場合は、まず子供を保護する。これも自動的に行う。保護した後に通報した人から詳しく事情を聞き、実態調査を行って何もDVの徴候がなければ、家に帰す。但し「慎重に監視」を続けて安全だと確認するまで気を緩めない。
4 子供が親と離れて暮らしたいと言った場合は、無条件で新しい生活を始める権利があり、親の権利は無視される。
以上、子供を1つの独立した人格とみて、対応を考えました。虐待をやめさせて欲しい、と言う場合は「余程のこと」である。勿論、子供が「よその暮らしを羨ましく思ってウソをつく」場合も考えられなくはない。それでも子供の意思である。意思は尊重されるべきだ、と言うのが私の考えである。今までは子供の意思を尊重するなどと言う考え方は、なかった。昔は虐待は今以上にあったと思うが、それを虐待と言って問題視していなかっただけである。だが今は「親の方が異常な人格」が増えている気がする。親が子供を殺しちゃうのだ、異常と言わずに何んと言おう。動物でもやらない事である。だからDV被害者を出さない事を第一に考えて処置することが、求められる。児童相談所はもっと権限を強化すべきなのだ。子供は親の所有物ではない。子供は親と別個の、独立した人格である。この事を、子供の問題を考えるときに常に頭に置かなければいけない。児童相談所には(児童相談所だけではないが)、それが分かっていないと思った。親権以上の強制執行権、それが必要である。
まとめ:一回でもDV被害の兆候が見られたら「即、保護する」べきである。実態調査はその後でいい。児童相談所の第一の役目は、子供の安全である。親は子供に立派な教育を受けさせたいとか、まともな大人に育って欲しいとか、色々な理由で「子供の望まない事を強いる」事がある。言う事を聞かなければ、昔は「親の躾」と言って蔵に閉じ込めたりしていた。それでも「殺したりはしない」のである。もうこの夫婦のように、子育てが破綻している家庭が「いっぱいある」のではないか。だから児童相談所の職員が親と話し合っても良いが、「保護はする」と決めて欲しい。実態を見極めてからなどと「悠長な事を言っているから」殺されてしまうのだ。職員の判断などは、「曖昧すぎて、逆に職員の責任範囲が大きくなる」。結局、親に押し切られて問題の解決には使えないのだ。例え子供が「大丈夫だと言っても」、保護するのが児童相談所の仕事である。子供は家庭環境がどんなに悪くても、それ以外での生活を想像する力がない場合が多い。それが子供の世界観の限界である。だから大人がキチンと助けてやらねばならないのである。
DVの徴候が1つでもあったら、被害者は「必ず保護する」と法律で決めること。後の処理は「警察と弁護士」が行う、でどうだろう。この問題は究極は、親が「子供離れ」するしかないと思う。子供の人格、子供の意思、考える時が来ている。
「DV被害者」は何も大人に限ったことではない、と言うのは今や常識ではないだろうか。むしろ、何の抵抗もできない子供の方が深刻である。子供がアンケートで「親のいじめを訴えていた」そうだが、この親は「見せろ!」と怒鳴り込んできて、あげくには「訴訟する」と騒いでいたという。そんな親の元に子供を帰せばどうなるか、誰にでも想像がつこうと言うものである。自分の子がDV被害者だと訴えたのだから、「今度したら承知しないぞ」と虐待され、一層ひどい仕打ちを受けることは明々白々ではないか。それを親の剣幕に負けて「コピーを渡してしまった」と言うのだから、「腹を空かしたライオンの檻に、幼い子供を帰す」ようなものである。だがこれは児童相談所の職員を責めるだけでは解決しない。ではどうするか、私の考えを述べよう。
1 体に痣や傷を発見して、それが虐待の跡ではないかと疑われた場合には、即保護して親と分離する。ここまでは本人や親の説明・言い訳を聞かずに「自動的に行う」こと。親は、子供が体力的に大人と互角に戦える年齢になるまで、親権停止する。但し、養育費は払う。
2 子供が「親から暴力などの被害を訴えた場合」は、即保護して親と分離する。これも自動的に行う。親は、子供が親と対等に話し合いできる年齢になるまで、親権停止する。但し、養育費は払う。
3 第三者が「あの子は虐待されてるかもしれない」と通報した場合は、まず子供を保護する。これも自動的に行う。保護した後に通報した人から詳しく事情を聞き、実態調査を行って何もDVの徴候がなければ、家に帰す。但し「慎重に監視」を続けて安全だと確認するまで気を緩めない。
4 子供が親と離れて暮らしたいと言った場合は、無条件で新しい生活を始める権利があり、親の権利は無視される。
以上、子供を1つの独立した人格とみて、対応を考えました。虐待をやめさせて欲しい、と言う場合は「余程のこと」である。勿論、子供が「よその暮らしを羨ましく思ってウソをつく」場合も考えられなくはない。それでも子供の意思である。意思は尊重されるべきだ、と言うのが私の考えである。今までは子供の意思を尊重するなどと言う考え方は、なかった。昔は虐待は今以上にあったと思うが、それを虐待と言って問題視していなかっただけである。だが今は「親の方が異常な人格」が増えている気がする。親が子供を殺しちゃうのだ、異常と言わずに何んと言おう。動物でもやらない事である。だからDV被害者を出さない事を第一に考えて処置することが、求められる。児童相談所はもっと権限を強化すべきなのだ。子供は親の所有物ではない。子供は親と別個の、独立した人格である。この事を、子供の問題を考えるときに常に頭に置かなければいけない。児童相談所には(児童相談所だけではないが)、それが分かっていないと思った。親権以上の強制執行権、それが必要である。
まとめ:一回でもDV被害の兆候が見られたら「即、保護する」べきである。実態調査はその後でいい。児童相談所の第一の役目は、子供の安全である。親は子供に立派な教育を受けさせたいとか、まともな大人に育って欲しいとか、色々な理由で「子供の望まない事を強いる」事がある。言う事を聞かなければ、昔は「親の躾」と言って蔵に閉じ込めたりしていた。それでも「殺したりはしない」のである。もうこの夫婦のように、子育てが破綻している家庭が「いっぱいある」のではないか。だから児童相談所の職員が親と話し合っても良いが、「保護はする」と決めて欲しい。実態を見極めてからなどと「悠長な事を言っているから」殺されてしまうのだ。職員の判断などは、「曖昧すぎて、逆に職員の責任範囲が大きくなる」。結局、親に押し切られて問題の解決には使えないのだ。例え子供が「大丈夫だと言っても」、保護するのが児童相談所の仕事である。子供は家庭環境がどんなに悪くても、それ以外での生活を想像する力がない場合が多い。それが子供の世界観の限界である。だから大人がキチンと助けてやらねばならないのである。
DVの徴候が1つでもあったら、被害者は「必ず保護する」と法律で決めること。後の処理は「警察と弁護士」が行う、でどうだろう。この問題は究極は、親が「子供離れ」するしかないと思う。子供の人格、子供の意思、考える時が来ている。
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