国葬の日程がどんどん近づいて来ているが、世論調査では反対する人が53%も居るという(朝日の調査だったかどこだったか確かではない)。
今日のTBSゴゴスマにイェール大学の助教授とかいう成田悠輔氏がコメンティターで出ていて、この話題について「国葬なんて、そんな大袈裟なことじゃないんじゃないかな」とか発言していた。この人、実は今、若者に大人気の新進気鋭の学者だそうだが、私には言ってる内容が「余り刺さらない抽象的な言葉」を連発して聞く者を雲に巻く人、という印象だった(相田みつを的とも言える)。まあ、最初っから印象で判断してもいけないとは思うので人物評価は控えることにするが、この「国葬なんて」という発言にはちょっと引っかかったので一言言わせていただきたい。
成田氏は国葬云々と言っているが、そもそも国葬という行事の「主催は誰がやるもの」と考えているか、である。成田氏は当然「日本政府」と答えると思うが、私はそれは「間違った考え」だと思っている。国葬の「国」という意味は日本政府を指すのではなく、憲法にあるとおり「日本国民全体」なのである。「日本国民の総意」が是非やりたいとなった時に初めて「国葬」という行事が行われる、というのが私の国葬の理解だ。だから意識調査で過半数の国民が反対している以上、たとえ政府自民党が是非やりたいと言って閣議決定しても、「国葬の条件には該当しない」のである。
1945年、太平洋戦争の敗戦が玉音放送により確定し、それまでの旧日本国が解体消滅して新しく「国民主体の現日本国」が誕生した。そのとき以来ずっと「国の主権は国民にある」ということを成田氏は全然理解していないのではないか(成田氏を批判するつもりは無いが、ちょっと浅はかだったかな?、とは思う。まあ、間違いは誰にでもあるけど)。
こう考えると、岸田首相が「国葬」とか大上段に構えたことが逆に全国的な国葬論争を巻き起こしたとも言えるわけで、悲劇の人になった安倍元首相を悼んで「静かに見送」ろうとしていた家族親族や友人たちの悲しみの心を、更に大きな騒動に祭り上げあ責任は相当罪深いと言える。ここは猛省を促したいところだ。
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ところで私の独断でうがった見方をすれば、岸田政権は無能なようでいて案外と「強かな計算」のもとに着々と日本を変えているのかも、と憶測する。勿論、そういう深い考えは無くて、ただの無能なだけということもあり得るが。さて、岸田さんはどっちなのか?
岸田首相は安倍元首相を「国葬にする」といち早く閣議決定したわけだが、これは安倍元首相の在籍していた与党筆頭派閥「清和会」の意向を忖度したからと一般には思われている。しかし、かの暗殺された織田信長の葬儀を他の武将たちよりいち早く主催して大々的に行い、自身の権力掌握を確実にしたのが豊臣秀吉であったことを思い出してほしい。つまり今回の国葬を仕切って存在感を国内外に見せつけるのは、誰あろう岸田首相の「宏池会」なのである。しかも安倍元首相の直系後継者と目されている萩生田自民党政調会長は、旧統一教会の件で「泥沼にはまって」ニッチモサッチモ動けない状況だから、尚更なのだ。
これって、魔王信長亡き後は「俺が継ぐ宣言」に他ならないではないか。
私は岸田首相は清和会に強力な跡継ぎがいないという今を狙って、一気に流れを宏池会拡大・清和会解体に導こうという魂胆と見た。だって安倍元首相個人の葬儀であれば例え党葬だとしても当然「自分の派閥の清和会が仕切る」のは間違いない。しかし国葬となれば「内閣府の主体である宏池会」が全体を取り仕切って、清和会の「出る幕はない」ではないか。これが岸田首相が国葬にこだわった本当の理由かもね(お得意の陰謀論である)。二階元幹事長もその裏の意図を知っているから、堂々と擁護(爆弾)発言をして、ここぞとばかりに「清和会潰し」に加担したのだろう。国葬で内外の招待来賓が多数来れば来るほど、岸田首相・宏池会の存在感ば増し、その分「清和会の衰退」は白日の下に晒されるという算段である。
こんな政治の主導権争いにいやいや付き合わされる国民こそ、いい面の皮だと思いませんか?
世界は歴史の流れに沿って変化しつつある。それは集団が覇権を争う時代から、「個人が多様性の中で協調していく時代」への不可逆的な流れである(と、誰かが言っていた)。今更中止というのも難しいとは思うが、何だか日本という国が「全然進歩してないな」というのがハッキリした出来事である。日本と言う国は、一体いつになったら「国民一人ひとりの幸せを実現する国家」になるんだろうか?
やっぱりもう一回、フランス革命のような「支配者層の解体」が必要かも。
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