和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

写実絵画専門美術館に行ってきました

2013-02-21 16:56:56 | 日記
千葉にあるホキ美術館です。
nhkの『日曜美術館』という番組で以前紹介され、気になっていたのです。

写実絵画ですから、一番気になるのは細かい筆さばきです。
しかし細かい。
少し離れて見ると、まるで写真のレベルです。

近くに寄ってみると細かすぎて目のピントが合わず、見えませんが、、、、
(;_;)

拡大鏡をかけて独りキャンバスに向かい、精神を擦り減らしながら、磨き上げてきた技術を駆使して重ねていく。

そんな映像が目に浮かびます。

しかしライバルは写真なのでしょうか?

技術が未熟だと写真を目指していても、近づけません。
若手だろう画家の中には、明らかに技術不足の作品がありました。
彼らは果たして写真を目指していたのでしょうか?
そうなると習作と言われてしまいそうですが、本人は怒るでしょうね。

技術が写真を超えるとすれば、それは何を目指しているのでしょう?

何点かの作品に、写真を超えた写実を感じることができました。

それはつまり、物や人物、風景などの内面を、作者の感性を通して浮かびあがらせることが出来ているように、私には感じられたと言うことです。

記録としての写真を超えた写実絵画。
記録としての写真を超えた写真より、リアルです。

取り組みが正面突破なだけに、並んだ作品を観ていくとどんどん重くなるのですが、、、


同じ感覚で書を鑑賞すると、新たに見えてくる物があると思います。

諺や漢詩、俳句や短歌などを書く事が多いのですが、作者が込めた意味ある文章を書くわけですから、その境地を理解しなければならない訳です。
技術がいくら優れていても、内容の理解なく書いてしまえば、まさに『ほとけ作って魂入れず』となるわけです。

ディテールだけに惚れ込み、ただ書きたいという衝動が画家にあることも知ってはいますが、それは晩年のマチスやダリぐらいにならないとたどり着けない境地だと思います。

書家も高齢の方で、その境地に達したと思われる作品がた沢山あります。

磨きあげた技術や感性は衰え、その感覚だけが残っている状態。
しかし書きたいものは、ただの線。?

子供がクレヨンでひたすら絵を書き続ける感じでしょうか、画家も書家も最終的には、ただただ気持ちよく書ける線を書きたいと言う衝動だけに突き動かされるのだと思うのです。

ほとんどの写実の画家は、そこには行かない気がしますが、、、

色々考えさせられた美術館でした~

杉山













競書中の教場の空気

2013-02-21 06:11:59 | 日記
実に充実しています。
重苦しいぐらいの充実感が大好きです。
壁にぶつかって、そこでもがきながらも一進一退を繰り返し、それでも前進するまでやめない気迫に敬服します。

私は、塾生の上達する気持ちと壁を突破する姿勢を後押しさせていただきながら、実はそのパワーをもらって、自身を奮い立たせています。

ありがたい事です。

実社会において、利害関係なく真剣に己と向き合う場は、そうはないでしょう。

礼節の範囲内で垣間見ることのできるそれぞれの魂に敬服し、白熱する教場に居られることに感謝します。

杉山