みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

奈良県立医科大は原点

2012-03-30 13:39:55 | 日記
今朝は長女たちと奈良県立医科大学付属病院に来ている。

長女は安定期に入り、 お腹には双子ちゃんが育っている。

ここ1ヶ月でお腹周りは拙僧と同じくらいまで成長。
拙僧がロッカーだった時の腹周りは68㎝で体重は58㎏。現在は腹周り98㎝で体重は83㎏なり。

孫のTには「じぃちゃんのお腹にも双子がいるのかも」と 言っている(ウソはアカンか)

そんなお腹に長女のお腹も近づいてきている。

「お父さん、ウンチあとのおしりふき、しんどいよねー」とか「足の爪を切るの苦しいよねー」とか言ってくるが、実に その通り。

メタル音楽の走りをやっていた拙僧がデブ、ハゲ、坊主になるとは思いもよらなかったが、きちんとDHBと成長した。
だから、メタボと厚労省が言うまえから、メタボなんですっ(以前、メタルやっていたメタボリックの坊主)

厚労省!なにか?

おっ、書きたいことが それてもうた

そうそう、奈良県立医科大学は拙僧が音楽を始めるキッカケになった大学病院なのだ。

以前にも書いたかも知れんが、書いておく。

勉強嫌いな拙僧を医者にしたいが為に 医者の娘だった母は家庭教師をつけることにした。中学二年だったろうか?

母親はさえていて、県立医科大の学生部を突然訪問し、「一番頭が良くて、成績が良いと思われる医学生を教えて!」と学生部長の目を丸くさせた。

一人っ子と言うのもあり、母親の気性が激しく、強い事もあり 拙僧の事を盲愛した。拙僧の出来不出来は関係なく

映画・フォレストガンプを観たことがあるだろうか?
あの映画に出てくるフォレストガンプの母親にほぼ同じの母親だった。

そんな母親だから、息子の事になると 怖いものは何一つなかった。

奈良県立医科大の学生部部長を口説くのは朝飯前で難なく説得し 翌週から奈良県立医科大一番の特優生が拙僧の家庭教師となった。
現在の和歌山病院協会会長の寺下先生である。

寺下さんには男兄弟がいて、全員がお医者さん。兄弟で家庭の医学(赤本)の監修もされている。長男は和歌山県立医科大、先生は奈良県立医科大、弟さんは東京大学医学部のかしこさん兄弟なんである。

そんなIQ160を遥かに超える先生は凡人の拙僧の家庭教師には向かなかった。イチローや長嶋さんの領域はブロでも理解し難いように、寺下先生の教え方はサラリとしたものだった。

凡人のコーチには凡人から苦学した人の方が良い。
寺下先生の教え方は風のようにはやく、揮発油よりもサラリとしていた。

ページをめくって、一度読んで、読ませて、ポイントを指摘して おわり。

はぁっ?

「分かったよね?説樹くん?覚えたでしょ?じゃ次行くねぇ、それではぁ~」

アカン、お母ちゃん、天才は教え方知らん。聞いたら 先生は一回読んだら丸ごと覚えられて 記憶できるんだって

そんな基準の人に教えてもらってもついてけないす

四時間ぐらい、教えてもらったが、分かったような分からないような、覚えたような、覚えてないような。
でも、一つハッキリしているのは「分かりましたっ!」を連発していると、学習時間が1時間とか1時間半を残して 終わると言うことだ。

そして、寺下先生のBeatles談義と講座が始まる。家庭教師たる先生としても、残り時間を余して フォレストガンプの母親とは顔を合わせられないからだ。

学習は勿論そっちのけで、中学生の拙僧はドンドンとBeatlesとrockに没頭して行った。サッカーとロック。

だから、寺下先生は拙僧を音楽の道に導いた恩師なんである。

その寺下先生の兄弟が、財務省の主計官を経て、和歌山一区の国会議員である、岸本周平議員の後援会長をしているのも奇遇ちゅうもんだし、拙僧がマネジメントしていた浪花エキスプレスの清水興は岸本周平と高校で同期だった。

廻り巡って再開もして、廻り巡って奇遇な出逢いもあった。

そんな記憶を思い起こさせる奈良県立医科大学付属病院で 長女は診察を受け、この付属病院で双子を出産する。

不思議で、不可思議。奇遇である。

双子でなければ、長女はきっとさいたま市で出産していただろう。

今日も底抜けにあたたかい。汗もにじむ とてもいい天気

なんか いい感じ。

医者にはなれなかったし、かすりもしなかったが、奈良県立医科大に来ると 懐かしくも 淡い青春時代が蘇ってくる。

人生は苦しい時も少なくないが、やっぱり嬉しい。人生は嬉しくて、ありがたい。

気温は18℃を突破した。もっと暑くなるな コレからは

人生は思い通りにはいかないが、なるようにはなる。

ケセラセラ

大好きなfmココロから流れてきた

なるようになる、人生は