フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

サガダの貧乏な人の家1218

2006-03-05 16:29:12 | フィリピン通信
 6時半起床。床に寝るのは寝心地が悪い。早々と目が覚めてしまった。朝食は、野菜たっぷりのインスタントラーメンとご飯。この2つを一緒に食べるのである。まあ、日本では絶対に食べないが、ここで食べるのには、不満はない。それにしても日本のインスタントラーメンは、フィリピンの山奥にまで普及しているのである。10年ぐらい前になるだろうか、ロンボクのバヤン村で生活していたときも、朝ごはんにインスタントラーメンが出てきた。あの時は、それだけだったので、なかなかつらかったが、今回はそうでもない。

 8時前から仕事にかかる。現地で生活すると移動の時間がかからないので、仕事にすぐ関われるのが魅力である。一方生活してしまうと、生活の雑事に時間をとられるという問題点もある。ご飯を食べるにしても、一人で食べるわけではないので、それなりに時間がかかるし、洗濯もしなといけないし、夜は夜でみんなとのひとときを過ごす必要があるので、自分の仕事をすることができない。夜の時間は、重要なコミュニケーションの時間になるわけだが、毎日毎日つづくと、かならずしも毎日を有効な時間とすることはむずかしくなる。

 10時を完成予定とし、平面図断面図の採取に入った。なかなか構造を理解することができず手間取った。柱が正方形ではないのである。200mm×50~70mmの板が鉛直方向の力を支える構造材となっている。それも1層部分と2層部分の構造は分断されている。家の中に倉を持つ形式で、穀倉の下に彼らは住んでいることになるのであるが、構造形式からみても、主構造は倉を支える4本の柱であることから、倉がまず先にあって、後にその回りを壁で囲ったことが想定できる。当初の予定では、10時までで図面採取を終え、その後は小学校を見学したり、集落を歩き回ってその構造を把握する時間にあてるつもりにしていたのだが、それどころではなく、ぎりぎりの12時30分までかかってしまった。

 できれば7つあるダプアイすべての図面をとりたかった。まあ、来年の課題としよう。

 図面を取っている間、家の人が興味深そうに我々の行動を見守っていた。小学校から英語の勉強をしているフィリピンでは、日常会話程度の英語ならしゃべれる人はかなりいる。サガダの人々も多くの人が英語をしゃべることができる。東南アジアの他の国と比較して、インフォーマントからの情報収集のやりやすさはフィリピンが一番だと思う。

 貧乏な人の家に興味があるのか?という質問を受けた。彼らにとって、やはりこのニッパハウス(彼らは茅葺きの家をこう呼ぶ)は、貧乏が故のものであって、伝統や文化の象徴にはなりえないのである。デマング村にはニッパハウスは数棟しかない。ほとんどの家がトタンの家に変わっているということは、彼らがそういう変化を志向しているということである。彼らにとってニッパハウスは貧乏な人の家以外の何者でもない。

 学生が先の質問に答えられずにいたので、私はあわててすかさず、伝統的な家、土着的な家の価値を明らかにしたいからだと答え、学生たちはサガダの家を題材に卒業論文を書く予定だと付け加えた。

 1時にサガダをでたバスは、8時にバギオについた。相変わらず道は悪く、バスは大いに揺れた。ガードレールのない断崖絶壁の道をゆれながらバスがゆく。揺れながら、ガードレールがないからこそ、ここは安全なんだなあ、と思った。つまり危険を認識できるからこそ、ゆっくり走るわけで、ガードレールができて危険が認識できにくくなると、スピードを出す車も増え、事故が起こりやすくなるんじゃないかと考えたのである。

最新の画像もっと見る