フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

結局カネか1216

2006-03-05 16:32:00 | フィリピン通信
 さてさてわけのわからない鉱山から抜け出して、ボントックへ向かい、時間のかぎりサガダやイフガオの集落をまわる予定にしていた。しかし、またもや事件発生。

 今日は、5時半から朝食をとり、6時には出発の予定にしていた。が、早々からドライバーが遅れてきて、6時半出発。ボントックへついたのは、10時半ごろ。両替を試みるが、なんと日本円からのペソのレートが100円=40ペソという信じられない数値。これまで50ペソ近辺で変えてきたのだから、いくら為替が変動したからといって、1日で8割に変わるわけはない。そんな円安が起こったら世界は大変なことになる、と思いながら、ドルのレートを聞くと、これまでと同じ、100ドル=55ペソだった。この出来事は、市井のマネーチェンジャーではなく、フィリピン銀行での出来事。わけがわからん。

 とはいえ、これもまだまし。両替が終わった時にドライバーが、サガダやイフガオにいくのであれば、6000ペソ追加だ、といいはじめた。最初の契約では、ボントックに行くことしか聞いてないから、その周辺にいくのなら追加を払えというわけだ。この対処で、また1時半近く時間をとった。結局、彼の話は却下して、我々で勝手にこの周辺を回るという決断をした。おまけにボントックからビガンへ行って、ビガンからボントックへ帰ってくるというのが契約内容なのに、帰ってくる気はないという。なんという勝手なやつだと思いながら、ボントックーバギオ間の4人分のバス代を彼に支払わせることにして、ここはおさめた。本来ならば契約内容変更によって、彼の運転距離が短縮されるわけであるから、契約料金の減額をするのが当然だし、そうさせるべきだという声もあったが、交渉に費やされる時間と労力とその実現可能性を考えて、やめにした。

 寺本は単独で彼といっしょにビガンに向かい、18日の夜にバギオのホテルで落ち合うことにした。

 我々は、ボントックで泊まることになったパインズ・キッチネットで、ガイドのキナドに出会った。分かりやすい英語と柔和なものごしで我々を案内してくれたが、結局もろもろの金額をあわせると6000ペソを超える額になりそうだ。なんだかんだと金のかかる旅である。

 結局なんだかんだとお金がかかるのである。車を利用する場合トラブルが起こらないようにしようとすれば、ある程度名の知れたタクシー会社を利用するか、親しい人(つまり研究協力の大学の先生など)の紹介に頼るかしかない。その他の方法では、トラブルはつきものだと考えたほうがいい。十分な時間を確保するか、十分な金額をつぎ込みかしかないのである。寺本は契約書を作成して、そこに詳細な契約内容を記載して、それを確認させて契約を結ぶ方式をとろうとしていたが、その契約書がどこまで効力をもつものになるのかは疑わしい。そんなこと知らん、と反故にされるのが落ちである。訴える手段を持たない我々に勝ち目はないとも言える。

 今日は、サガダを訪れた。当初、キナドとの話では、ボントックのとある村に連れて行ってもらう話だったが、そこで死者がでて、外部の人間は入れない状態にあるとのことだった。そういう時にこそ、行きたいのだが、イチゲンサンにはその権利はないのだろう。

 そう考えると、これまで通っていたインドネシア・ロンボク島のバヤン村は特別だったのかもしれない。最初に訪問するとき、事前に訪れたバリのカランガセム王宮のアナック・アグン・グデ・クトッゥトゥライ氏の紹介状があったために、村長はじめ村の多くの人が丁重にもてなしてくれたのかもしれない。イチゲンサンには、葬式の参加や聖域へ足を踏み入れることなど一般にはできはしないものだと今は思う。

 で、結局サガダになった。最初キナドはサガダには伝統的な住居はもはやないといっていたのだが、とりあえず行って探してみることになった。行ってみればあるもので、入村許可を取った場所に観光マップがあり、そこにオールドヴィレッジと表記のある村があった。

 そこで興味を引いたのは、まずダプアイdap-ayである。ボントックでいうところのアトである。機能は3つある。一つは、若者男性の就寝所、一つは、長老たちによる協議の場、一つは、儀礼の場である。切妻妻入りの建物と、その前面の火を囲むスペースがセットになっている。石や草で作られた柱が立てられ領域化されている。集落に1つというわけでなく、7世帯程度に1つのダプアイがある。血縁というよりも地縁コミュニティの中心的な場所である。

 数は少ないがいわゆる伝統的な住居も残っている。みたところ5~6棟程度あっただろうか。急傾斜の背の高いかやぶきの寄棟屋根が特徴的である。前面に豚の飼育スペースをもつのが一般的で、残飯などの処理の利点があるといっていた。住居内部には倉があり、人々は倉の下で生活する形式である。床は土間ではなく板敷きとなっていて、調理をするスペースのみが土間になっている。真ん中に入り口をもち、左側にかまどスペース、右側が就寝スペースとなる。蔵には右手前から登るのが一般的だろうか。

 相手の顔色を伺いながら、まず女の子をだしにつかい、彼女が泊まりたいといっているが今夜泊まることができるかと聞いてみた。もし望むのならばOK、という答えだったので、一人ずつ人数を増やしていき、最終的には4人全員を泊めてもうことにした。結局2箇所の住居を確保したが、あまりにも我々の準備が整っていないため、翌日泊めてもらうことに決めた。特に拒絶する様子はなかった。

 キナドの説明の中で一番興味深かったのは、サガダはトラジャの出だが、ボントック・カリンガはダヤクの出だという話だった。アト・ダブアイはほぼ同じ形式をもつが、ボントック・カリンガには首狩の風習があるため、首狩後の鎮めの儀式のために、アトに立てられている柱は先が尖っているという。尖った部分に狩取った首をさし、柱の下に狩ったものを座らせ、よどんだ霊を抜き取る儀式を行うという。また実際にみたのだが、サガダには、トラジャと同じように、埋葬を断崖絶壁で行ったり、岩場に放置したりする風習があるという。この風習はトラジャに特異なものだと思っていただけに、驚きを禁じえなかった。

 まだまだあるが、そろそろ寒くなってきたので、今日のところはやめにする。明日は6時半朝食、7時出発で、カリンガとボントックの集落視察で、夜はサガダ泊まりである。

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