フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

インドネシアの集合住宅1223

2006-03-07 18:47:54 | インドネシア通信
 ホテルのフロントで、デンパサール行きの飛行機を予約した。バタビアエアーが40万ルピアだった。他の飛行機会社が65万程度なのに対して格安なので、ここを選んだ。以前、インドネシアに来たときには、ガルーダ、ムルパティ、センパティの3社のみだったと思うが、ここ数年の間に、飛行機会社の数が倍増している。競争が激化し、バタビアのように格安航空券がでるようになったのだろう。

 飛行機は、8時15分と決まったので、1日ジャカルタで時間ができた。ホテルから近いということもあって、クブンカチャンのルーマーススンを見に行くことにした。

 広島大学の横堀氏が20年ほど前に手がけたものである。1981年完成と石碑にあった。場所は、プレジデントホテルの向かいのそごうの裏手である。周辺には、いまだカンポンが広がる。私にとってはここを訪れるのは2度目になる。我々が歩いた範囲では3種のサイトをみることができた。2つのサイトは、広場を介して隣接し、1つは離れてある。

 最初にみた2つは、廊下をもたない形式である。階段室から直接に各住戸にアクセスする。そのため住戸まわりの空間の充実をはかれないしくみになっている。本来活発なはずの戸外のアクティビティーも限定されざるを得ない。1戸だけ内部を見せてもらった。ほぼ正方形平面をもち、内部は大きく2つに分かれる。入ってすぐにあるのは、いわゆるLDKである。窓際近くにKが配置され、その隣にトイレ・バスがくる。玄関入ってすぐが、LDである。ここではテレビが置かれ、白いタイル貼りの床に座って団欒する。奥のもう一つの部屋が寝室である。ここではさらに2つに区切られていた。この世帯では、向かいの住戸とあわせて2戸の住戸を所有している。今回見せてもらったのは、子供たち5人が住む住戸で、両親は向かいに住むという。所有関係は、すでに建設から20年を越えていることもあり、多様化しており、自ら所有しているものも賃貸のものもある。ここで見たように、1戸だけの所有もあれば、2戸つづきで所有するケースもある。

 この住棟は4階建てで切妻の傾斜屋根をもつ。妻面には窓を一つも持たない。平(ひら)面には階段室や住戸から開けられた窓がある。住棟へは一方向からのみ入る形式で、背面となる平面が向かい合わせとなる場所ができている。この場所は、特にデッドスペース化している。住棟の開口部が道路を向いているケースでも、住戸と道との活発な関係を見ることはできなかった。

 最後にみたルーマーススンは、片廊下形式で、階段上がってすぐのスペースも広くとられている。配列の形式としては、住戸のまわりの活発な利用があってもいいのであるが、あまり感じられなかった。想像するに、比較的裕福な層が居住しているため、昼間人口が少ないためではないだろうか。子どもが学校に通い、親が働きにでれば、残るのはお年寄りか女性となる。もしかしたら居住世代もある特定の世代に限定されているのかもしれない。

 そごうでは、紀伊国屋に行き、またシンガポール料理を食べた。紀伊国屋には、日本語の本が多く売られていて、その一画にはインドネシアコーナーがあった。まだまだインドネシアや東南アジア関係の日本語文献をチェックしきれていないと感じた。また、ボロブドゥールの文献を手にして、一つのテーマを思い起こした。ボロブドゥールは8世紀だか9世紀だか*の仏教遺跡である。その巨大な大きさで知られるが、レリーフが興味深い。かつての行動様式を知る貴重なヴィジュアル資料であるが、他にプランバナンなどの遺跡にも、同様にレリーフはある。これらのレリーフをもとに、どのような空間の使い方がされているのかを分析するのは一つのテーマである。チャンディ・スク?のレリーフが、ジャワでの高床式住居の存在を理由づける資料としてしばしば使われる。床レベルを視点に分析すると面白い。例えば、床上には、どういった人が座るのか、そこで何をするのか。地面ではどうか、床下ではどうか。床のレベルをいくつか用意して、それを場面に応じて使い分けていたことは分かるのだが、その詳細をレリーフの分析から知ろうというのである。

 またよく知られた文献であるが、ジャカルタの植民地建築の文献も見ることができた。マニラにいるときにも感じていたが、都市部の建築の中にいまだ植民地建築は多く残る。

 夜、バリについた。午前中に宿泊先のアピアピに電話をして、迎えをお願いしたが、うまく通じておらず、23万ルピアも払ってしまった。つく頃には既に夜中の0時を過ぎていたので、泊めてもらえるものかどうかもわからず不安だったが、快く引き受けてもらった。管理しているのはマデである。アピアピは日本人ごのみというか、近代人ごのみというか、バリらしさと利用の快適さがマッチした、素敵な場所であった。寝ていたマデさんを起こした上、3時までつき合わせてしまった。

 最初に戸惑ったのは、上足・下足の区別である。

 靴をどこで脱ぐのかは文化であり歴史であり、場所の認識の仕方の問題であるので、異文化の地を訪れるといつも迷うことである。アピアピは、高さ50cm程度のコンクリートの床によるテラスが前面にあり、戸を介して室内に入るという構成であるが、最初上がった時には、テラスまで下足と認識してしまった。西洋的には、室内までも下足となるだろうし、こちらでもホテルではそうするのであるが、直感的に室内は上足と認識した。しかし後で聞けば、床部分も上足であった。結局、50cmの壇が一つの揚げ床として認識されていて、そこにあがるときに靴を脱ぐという認識だと思う。ただ別棟に50cmの壇にくわえて、その上に床高80cm程度の高床の東屋をもつところがあるが、そこでは、当然高床の床は上足としても、50cmの壇は下足でよいとのことだった。すこし混乱する。ここでは高床とそうでない部分を別の場所として認識し、前者では、テラスと室内を一つの場所として認識しているからだと考えることができるが、果たして本当かどうかは不明である。

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