フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

インドネシアの集合住宅1223

2006-03-07 18:47:54 | インドネシア通信
 ホテルのフロントで、デンパサール行きの飛行機を予約した。バタビアエアーが40万ルピアだった。他の飛行機会社が65万程度なのに対して格安なので、ここを選んだ。以前、インドネシアに来たときには、ガルーダ、ムルパティ、センパティの3社のみだったと思うが、ここ数年の間に、飛行機会社の数が倍増している。競争が激化し、バタビアのように格安航空券がでるようになったのだろう。  飛行機は、8時15分と決まった . . . 本文を読む

バリの闘鶏1224

2006-03-07 18:46:49 | インドネシア通信
 闘鶏にいった。はじめてバリに来た1991年に、民博の佐藤先生につれていってもらって以来である。バリは様々な面で十分に刺激的な島だが、闘鶏にまさるものはない。男達の熱気、かけ声、鶏の表情、飛び跳ねる姿、したたる血、バリの激しさを感じることができるのは、闘鶏しかない。バロンダンスもケチャダンスも、観光客向けに去勢されてしまって、ただの見世物にしか思えない。  闘鶏の賭けの仕組みを、マデさんに聞いた . . . 本文を読む

バリの日本人1225

2006-03-07 18:46:08 | インドネシア通信
 みなは朝から市場にいったが、私たちは夢の中だった。朝は市場で買ってきたナシ・チャンプル、昼は豚の丸焼きをスライスしたナシ・チャンプル、夜は弁当型ナシ・チャンプル。ナシ・チャンプルな一日であった。  午前中は土地区画整理の調査に関する作戦会議。3年生には、宿泊許可の申請と両替にウブドゥのまちまで行ってもらった。とりあえずローカル・ランド・オフィスで資料収集と思ったが、今日はクリスマスで休みだとい . . . 本文を読む

伝統への問い1226

2006-03-07 18:45:15 | インドネシア通信
 伝統への問いはまだまだ続く。  ソリキさんがへんな人形を買った。イリアンジャヤの人形をバリ人がリメイクしたものである。バリ・ウブドゥのまちなかには、石像や木彫や絵などが数多く並ぶ。芸術のまちと呼ばれるゆえんでもある。しかしその中にはバリのものではないものが数多くふくまれる。「バリのものではない」とは何をもってそう言うのか。そのモノの、センス・かたち・技術などがバリの伝統的なものではないものを原 . . . 本文を読む

アジア都市建築入門1227

2006-03-07 18:43:55 | インドネシア通信
 アジア都市建築入門という本があったらいいのにと思う。アジアを歩くときに、最低限これだけは身につけておけといえるような、知識やセンスが盛り込まれた本である。今回3週間の調査を組むに当たって、厚さ8cm程度の資料集を作成した。A4判で厚さが8cmとなるとかなりの重量で、持ち歩くだけで大変なのであるが、この内容がコンパクトにまとまっていればと思う。今回の資料集は、結局1冊でまとめきれずに、2冊になった . . . 本文を読む

スンギギ・ビーチ・ホテル1228

2006-03-07 18:42:58 | インドネシア通信
 マデさんとのお別れ。ロンボクへの出発。結局、チケットがなかなか取れず、28日に船でロンボクに渡り、その日はスンギギ泊。翌日バヤンへ向かい、バヤン泊。31日の朝8時の飛行機しか取れなかったので、前日はチャクラヌガラ泊。結局1泊2日のバヤン滞在となった。どういう状況が展開されるかは、皆目検討がつかない。  私がバヤンに1ヶ月滞在したのは、93年だったと思う。既に10年も時がたっている。みんな変わっ . . . 本文を読む

ロンボク島バヤン村の人々1229

2006-03-07 18:41:48 | インドネシア通信
 スナルの手前のレストランで、カンチに声をかけられた。10年ぶりの出会いなのに、すれ違っただけで、名前がわかるなんて。10年前の滞在のとき、近くに住んでいたこともあって、しばしばいっしょに遊んだ。あの時11歳。小学校5年生だった。そう言われれば面影を感じたが、私はまったくわからなかった。11歳の子どもが覚えていてくれるとは、と驚いた。リンジャニ山のなだらかな斜面をなにげなく眺めながら、一人で感動し . . . 本文を読む

ロンボク島バヤン村1230

2006-03-07 18:40:28 | インドネシア通信
 バヤン・ティモールの中心的な住区グブック・テンガの住居の現状を一つ一つ調べた。変化の特徴をいくつか指摘できる。一つは火を外に出すことである。イナン・バレをもつ伝統的住居では、入り口入って左奥にかまどを置くが、既に使われていないものもあった。ブルガや住居の隣、入り口の脇に調理スペースを作るケースがほとんどである。新しい家で、住居内にかまどをもつものは皆無である。就寝分離が進むのも特徴の一つである。 . . . 本文を読む

インドネシアの都市問題1231

2006-03-07 18:39:22 | インドネシア通信
 朝グラナダホテルを出て、8時半にバリ着。マデさんに再会。3日ぶりである。1時間ほどお茶を飲みながら、別れを惜しむ。白石とはここでお別れである。何かあれば白石を頼むと言い残した。少なくとも車はお世話になったほうがいい。いまどき1日10万ルピアは安い。空港からウブドゥまでだけでも、普通車で8万ルピアである。キジャンクラスだと10万ルピアが相場ではないか。  かつてつきあっていたバヤンの友の一人が3 . . . 本文を読む

人類の学へ向けて0101

2006-03-07 18:37:52 | インドネシア通信
 今回フィリピンでは英語、インドネシアではインドネシア語を使って基本的にコミュニケーションをとったわけだが、インドネシア語はしゃべれないとしても、英語はしゃべれないはずはない。中学・高校と6年間も勉強しているわけで、少なくとも中学英語は理解できるはずだし、それならば自分の意志を伝えようと思えば伝えられるはずである。しかし学生たちは、コミュニケーションをとろうとしない。勝手に自分は英語ができないと思 . . . 本文を読む

バリ風のあり方0824

2006-01-22 21:45:36 | インドネシア通信
 移動の日。今朝スモーキーマウンテンで作業をする予定であったが、段取りが悪く、始動が遅れたので、予定を変更した。フィリピン残留組に作業を任せて、我々は直接空港に向かうことにした。11時にホテルを出発して、バリに着いたのは10時。シンガポール航空を利用して、シンガポール経由での移動だった。久しぶりのSQはなかなか快適で、食事もおいしかった。  インドネシアがビザを入国の際に課すようになっていたのが . . . 本文を読む

ウブドの今0825

2006-01-22 21:44:54 | インドネシア通信
 今日は、休みの日にした。  アピアピには今日から山口の秋本さんがやってくるため、我々は別の宿に移ることにした。マデさんが管理しているもう一つの別荘があるというので、そこへ移った。アメリカ人建築家が所有しているもので年に一度程度しか利用しないという。2階建てで、1階はキッチンとリビング、広いテラス、寝室は2階に2室とられている。階段が家の中心を分断し、そのことで1階部分リビングとダイニングに区切 . . . 本文を読む

トゥルニャンと金0826

2006-01-22 21:44:14 | インドネシア通信
 なかなか調査のテーマが決まらない。今日は、トゥルニャン村とプンリプラン村、それとバンリの王宮に行った。後半の本調査のための視察である。午前中、アピアピに泊まる秋本さんにお会いしたり、警察に宿泊の許可を取りにいったりしたために、出発は11時になった。トゥルニャンに到着したのは1時であった。  一人30ドルといわれたが、4人で70万ルピアまで値切った。おそらくそれでもかなり高い。まず驚いたのは、あ . . . 本文を読む

バリのヌガラ0827

2006-01-22 21:43:27 | インドネシア通信
 9時からクタで、PT BALI IDEのスンハジ氏と面会。入国審査の際にパスポートに挟み込まれる「じゃらんじゃらん」という情報誌を発行している会社である。不動産や家の購入に関する記述が掲載されていたので、電話して面会を申し込んだ。電話をした白石によると、相手は日本人ということだったので、目の前にインドネシア人が現れたときは多少戸惑った。昨年度アピアピに泊まったときに、夜酔っ払いながら話した話を思 . . . 本文を読む

興味をもったことだけやる人生なんて貧しい0828

2006-01-22 21:42:41 | インドネシア通信
 トゥルニャンへ向かう日。12時にトゥルニャンの隣の村で、待ち合わせをしていた。午前中バトゥール湖湖畔のバリ・アガ村であるソアンガン村を訪れた。車の通る道の両側に集落が形成されている。数本の細い道が車道と垂直に走り、家々はそれと平行に建てられている。多くが新しく建てかえられたものだが、古い家が数軒みられる。分棟式ではなく、単棟で、近隣で採れる赤い石で周囲を囲む形式や3方を石の壁とし前面のみを木でか . . . 本文を読む