フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

スモーキーマウンテンの再定住1213

2006-03-05 16:36:54 | フィリピン通信
 おりしも今朝の朝刊で、スモーキーマウンテンが記事になっていた。仮定住地から集合住宅への引越しがはじまったという記事である。スモーキーマウンテンに居住していた2520世帯のうち第1期の移動が754世帯で、実に8年前のことだという。その754世帯がこの12月に、残りは来年の3月の引越しになるようだ。新しい集合住宅は、5階建てで21棟あるという。そのうちの7棟が第1期移住者によって占められる。

 仮定住地での生活、つまり環境適応の調査ならびに、その生活空間形態と、新しい集合住宅のプランとの相関関係が興味深い。スクウォッターエリアにあてがわれる集合住宅にどういったプランニングが現在適用されているのかの現状把握をしてみたいと思う。

 昨晩の部屋での話の中で、国際協力の話をした。昨日訪れたスクウォッターエリアの居住環境整備のためにできること、やるべきことは何かという議論を行い、例えばゼミ生一人一人が1万円ずつ出し合って、20万なりのお金を集めて、その投資でできることをしようという提案をした。

 物価の格差をうまく利用して、他に頼るのではなく、自分たちの持ち出しを利用して、具体的に考えていこうという提案である。そのスモールプロジェクトによって実績をつくり、あとにつなげていきたいという意図である。20万では難しいとしても100万とか200万あれば建物を建てられないことはない。

 マニラの昨日の地域というのは、話のネタであって、実際のサイトとしては、非現実的であるが、例えばインドネシア・ロンボク島のバヤン村だと、これまでのつながりもあるし、非現実的な話ではない。実際これまでにも、先方から手紙をなんどかもらって、施設整備のための資金提供をして欲しいという依頼もあった。これまでは、安易な発展を嫌悪する意図から、そういった申し出に対して考えることもしなかったが、我々の知らないところで、発展が進展していくぐらいなら、その発展をコントロールできれば、という思いも今はないわけではない。毎年1人ずつ卒業研究のテーマとしてとりあげ、経年変化を記録することだってできる。逆に学生からすると、そういったテーマはわかりやすいはずだ。目の前の村をどうするか?お金がこれだけある。なにができるか?という問いである。わかりやすさでいうと抜群だ。一つのテーマとして考慮の余地は十分にあると思っている。

 今日はそもそもバギオ発の日だったのだが、ドライバーの手配ができず、結局明日出発になってしまった。突然空いた一日であったが、基本的には、国立図書館での資料収集とイントラムロスの視察に当てることにした。午前中は図書館での作業で、われわれ5人ともにある程度は資料検索のコツがつかめてきた。ビルディングコードや近年のスラム対策の文献を見つけることができた。

 午後は、イントラムロス視察で、マニラ教会やアウグスティン教会を訪れた。いずれも結婚式をおこなっていた。多くの人々の思いが集まる瞬間に立ち会えたことを厳粛に受け止めた。

 アウグスティン教会では、聖堂に隣接して、中庭を囲む回廊があったのだが、そこで結婚式のためにヴァイオリンを演奏していたのが印象的であった。ボールト天井と中庭にうがたれた窓、そこから注ぐ光の織り成す光と影、そのなかで、本番を控えてヴァイオリンを練習する人、響きわたるヴァイオリンの音色。フィリピン・マニラの教会の中で、西洋楽器であるヴァイオリンの音色が響く光景は、アジアとヨーロッパの混交のさまである。アジアにおいてヨーロッパがどのように受容されていったかは、大きなテーマである。

 アウグスティン教会は、地震バロックとして知られる。スペイン人によって建てられた教会であり、バロック様式を基調にするものであるが、地震が多いこの地域への対応として、骨太のつくりになっている。

 そういう視点からみれば、イントラムロス自体の現状も十分に興味深い。

 イントラムロスは、中心に広場をもち、その広場をマニラ教会や行政施設などで囲まれた、スペインの植民都市の基本的形態をいまに伝える城砦都市である。碁盤目状に街路が走り、中庭をもつ2階建てのバハイナバトが散見される。フィリピン人がこのまちをどう使いこなしてきたかというテーマは、上記と同じ問題意識である。バハイナバトの残存状況や利用形態を明らかにしたり、土地利用の現状分析等も興味深いが、歩く中でもっとも興味を引いたのは、やはり初日に出会ったあの市場の周辺である。街路を屋台が占拠するかたちで建ち並び、多くの人でにぎわっている。周辺には庶民的なレストランが建ち並び、道端で豚肉や魚を焼いている。そんなフィリピン化の状況は非常に興味をそそった。

 夕方、イントラムロスからナショナルブックセンターへ向かおうとタクシーを捕まえようとしたが、30分たってもつかまらなかった。夕方5時から6時のイントラムロス外縁は、タクシーの奪い合いであり、渋滞の嵐である。結局、つかまえることをあきらめて、歩いて帰った。

 夜遊びの日だった。インターネットカフェをホテルの近くに見つけ、さらにそこでは日本語が使えるということがわかったので、まちづくり塾の原稿を仕上げて、送ってしまおうと思っていたが、みんなのリクエストで夜遊びにでることになった。

 近場ですませようと思って、ふらふらと歩いて、いつもとは違う南に向かった。あまり遠くまでいくつもりはなかったので、近くの日本料理屋にいくことにした。入った瞬間、はっぴを着たフィリピン人女性からのいらっしゃいませ!との叫び声に面食らったが、久しぶりの日本食を楽しんだ。

 これまでの経験から、まともな日本食を東南アジアで食べたことがなかったので、期待はしていなかったが、そんなにまずくはなかった。納豆巻きを食べたが、その日本的な味に懐かしさを覚えた。熱燗を飲みながら、日本の冬を思った。

 日本食とはなんとストイックな食なのだろうか、と思う。味付けは薄く薄く、シンプルな味である。豆、米、そばなど、魚や肉だけでなく、野菜類もその素材の味や香りを尊重し、味付けもだしを基本として、強烈な味付けで、素材そのものの持ち味をかき消すようなことをしない。

 東南アジアを歩いたり、アメリカで食事をしたりすると感じるが、日本食は、ストイックであるがゆえに豊かであり、この豊かさを他国の人間は、けっして理解することはできないんじゃないかと思う。

 アメリカでは健康食として尊重されると聞いたことがあるが、そんな理由をつけないと評価できない評価眼しかもちえないんだなあ、と実感する。

 その後、バアに行った。カクテルを飲みまくった。土曜の夜ということもあってか、かなりの人でにぎわっていた。最初我々が入ったときには、数組の客がいるだけであったが、出るときには、多くの人でごったがえしていた。流れている曲はアメリカあるいはイギリス発信の曲であり、放送されているヴィデオは、ハリーポッターであり、いずれも地球は一つであることを感じさせるものだ。日本でもアメリカでもイギリスでもフィリピンでも、同じ曲を聴き、同じ映像をみているのである。

 私と平川は、それだけではもの足りず、昼食をとった24時間営業の中華料理屋でラーメンを食べた。やはり飲んだ後はラーメンである。日本でもフィリピンでも、その習性は変えることはできない。

 酔っ払いながら、坂本さんから送ってもらったファイルをいじっていたら、いきなり開いた。pdfファイルでボントック族関連の資料を送ってもらったのであるが、どうしてもファイルを開けることができなかったのである。だが酔っ払って、いろいろいじっていたら突然開いた。ファイル名に文字化けして入っていたハングル文字を削除して、拡張子をつけたら、開いたのである。いろいろやってみるものである。

 結局この成功によって、ファックスだけでなく、メールのやりとりで資料の送付や情報交換ができることがわかった。理想的なのは、アジア通信を毎日みんなの携帯メールに送りつけたり、情報交換を自由にできるようになることであるが、まだまだ現段階では障害が多そうである。

 一つ記しておきたいのは、メディアの問題である。フィリピンにおいて一般的なのは、いまだにフロッピーディスクのようだ。メモリースティックでデータをやり取りしたいのであるが、対応するには、ウィンドウズ98ではだめで、xpなどがインストールされている必要がある。もう一つは、言葉の問題である。日本語に対応していないので、日本語サイトを見るときにすべて文字化けしてしまうという問題である。日本語に対応するシステムをダウンロードすればいいのであるが、ダウンロードも思うようにいかないケースがほとんどで、マニラのホテルの近くのインターネットカフェは非常にめずらしいケースである。

 あわせて、日本語を打つことができないというのは最大の問題である。メールを送るにしても、本文は英語かローマ字を使わざるをえない。これまで、日本語入力を成功したケースは一度もない。よって原稿の送付などは、持参のノートパソコンでワード文書等で完成版をつくって、それを添付して送るという方式によらざるを得ない。

 今日はスリにであったというのも特筆しておこう。夜まちを歩いている途中でである。みんなで歩いていたら多くのフィリピン人が親しげに集まってきて、どこにいくんだ?店を紹介しようか、などど言ってきた。やあやあと話していると、そのうちの一人が私のサイドバッグのジッパーをすっと開けた。幸い女の子たちがその様子を見ていてすぐ教えてくれたので、実際の被害はなかった。遠くに離れていた実行犯に詰め寄ったがノーノーというばかりである。

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