フィールドワーク通信

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スラムは危ない?1212

2006-03-05 16:39:24 | フィリピン通信
 今日は、インターネットカフェ、国立図書館、パヤタス・スクウォッターエリア、イントラムロスの視察を予定していた。ホテルから一番近いと知らされたインターネットカフェを探すために歩き始めたが、そもそもホテルの場所自体間違って認識していたため、近いと思っていたカフェにたどり着くには30分以上歩かねばならなかった。さらに目的の場所についてみると、既にそのカフェはなくなったとのことだった。今日ははじめからつまずいてしまった。

 探す中で、和食の食材を売る店を見つけた。日本の米をはじめ、多くの食材を販売していた。こしひかり入荷というポスターが店頭には貼られていた。朝日新聞などの日本の新聞とともにマニラ新聞という日本語の現地情報メディアが販売されていた。さっそく一部購入した。そこの女性にロビンソン・モールに行けばインターネットカフェがあると教えてもらった。

 予定を変更して、国立図書館へと向かった。

 図書館は閉架式で、カードボックスから目的の本を見つけて出してもらうシステムだ。日本でも数年前まではこの仕組みだったが、デジタルデータベースの整備が浸透することでカードを検索することはほとんどしなくなった。

 5人で思い思いに検索しながら、いくつかの資料を探し出した。スクウォッターに関するもの、戦後直後の都市計画に関するもの、現行の都市計画制度に関するもの、フィリピン大学の修士論文などを見つけ出した。フィリピン大学の修論では、数は少ないが、毎年フィリピン国内の具体的な事例を対象に調査を積み重ねているようだ。今日はとりあえず感触をつかむことが目的だったので、2時間弱の滞在で、ロビンソンへ向かった。

 ロビンソンは、一大ショッピングセンターである。数多くの専門店やスーパーマーケット、レストランでにぎわう。モールとマニラの人々には呼ばれている。インターネットカフェでは30分のつもりが1時間を費やした。日本語の入力が思うようにいかずてこずった。読むことはできるのだが、入力ができないのだ。ゼミの坂本さんにイフガオの資料をお願いしようとメールの送信を試みたが、なかなかうまくいかなかった。最初英語で文章を書いていたが、途中からローマ字のほうがわかりやすいと思い、ローマ字入力とした。分かってもらえたかどうかは、返事をみたらわかる。明日結果が判明する。

 午後からは、パヤタスを訪れた。タクシーの運転手が、いくのをいやがったので、学生たちが不安を募らせた。スラムやスクウォッターのイメージをうまくいだけないのだ。日本で入る情報がベースにあって、また現地のフィリピン人が危ないと言えば、見なくても評価は固まってしまう。帰りたいというものまででて、情けない限りだが、まあ、仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。

 危なくないですか?という質問は、日本にいてもしばしば受けていた。何を基準に危ないというのか、よくわからないといえばよくわからないのである。危ないといえば危ないし、危なくないといえば危なくない。いまどきは日本にいても十分危ないので、まあ注意すべきことは注意して、あとは何かおこればしょうがないと思うしかない。

 危ないことが気になるのであれば、日本から外に出ず、日本でも家の外にでず、部屋にこもっていればいいのである。どこにいても危ない。そういう時代でありそういう世の中である。危ない状況に出会ったときに、どれだけ敏感にそれを感じられるかが勝負である。危ない地域、危なくない地域というのは明確に線引きできるわけではないし、べた塗りされているわけでもない。常に危険とは隣りあわせだという意識をもって状況に接しないといけない。

 マニラは十分に危ないが、その感覚は消えうせてしまいがちだ。大都市でデパートがあって、公園があってといった環境がそうさせるのかもしれない。日本の大都市を同じものが多くあることで安心感を抱くのかもしれない。しかし悪はすぐそこにあって、影を潜めているもので、近くにあるほど気づかないものだ。

 東南アジアのような開発途上国では、殺人などの犯罪に会う機会はほとんどなく、スリや詐欺などいわば初歩的な犯罪の率がすこぶる高い。この二つの間には、同じ罪であったとしても、深い深い溝があると感じる。それは、簡単にいえば、人の死に対して思いをはせれるかということである。

 一般に、あくまでも一般論であるが、スラムやスクウォッターエリアではコミュニティはしっかりと形成されているため、人との関わりの中で子どもたちは大人になっていく。その人格形成過程は、日本のような先進国都市部のコミュニティが既に崩壊した地域とは全く異なったプロセスになるはずである。かかわりの中で育てば、他人に対する想像力は獲得されるはずである。そんなスラムやスクウォッターエリアは安全なはずだ。コミュニティがあって、他人に対する想像力をもっている人間が、人を殺したりはできない。

 とはいえ一方では、スラム・スクウォッターエリアがマフィアの支配するエリアになっていたり、麻薬の取引の場所や、犯罪者をかくまう場所になるケースがあるといわれるのも、ある程度は真実であると思う。その場の危険度はかなり高い。それを察知する能力はもっておかねばならないだろう。一つはいっしょにいったタクシーの運転手がどういう行動をするかを見ておくことが重要だし、もう一つはその地域に子どもや女性たちがいるかどうかが判断基準になるんじゃないかと思っている。

 いずれにしても、人間と悪との関係はちゃんと考えないといけないテーマの一つである。人間は邪悪な存在だし、だれの中にも悪が存在する。人間はだれもがうんこをするのと同じだ。自分の中の悪に対して目をつぶったり、その存在を否定しても何もはじまらない。自分の中の悪の存在を肯定した上で、なにが言えるかが大切だ。

 農村において悪は封じ込められるが、都市において悪は活路を見出す。村では相互監視のシステムが厳しく働いているし、伝統的な行動規範に人々がストイックに従属しているケースが多いので、日常空間に発露の場面がない。悪は、かたちを変えて儀礼の中で排出されるんだと思う。都市においては、悪を押さえ込むシステムが機能しにくいので、地下に潜伏したり、都市のある特定の場所に居場所を見出し、悪は生き延びる。明確な境界を設けて封じ込められるか、日常世界と接触をもたないようななんとなくのルールが形成されるのが一般的ではないだろうか。

 で、今日は運転手につきあってもらって、パヤタスの入り口までいって撮影許可を取ろうと思ったが、警察だか管理人だかとの交渉の結果、ケソン市の市長の許可をもらって来いという話になった。なぜガードがきついのかという議論をその後したが、運転手によれば、中に入ることによって危険が身に降りかかることを恐れて、しかるべきところの許可をもらうべきだと管理者が考えたからだということだったが、寺本は、フィリピン自体の恥にもあたる部分であるため、外部者・観光客に対してガードが固くなっているのではないかとの意見だった。

 まあ、今回のケースは、とりあえずは管理者の事なかれ主義だと思っている。スラム・スクウォッターは社会的にも問題になっている地域だし、それをわざわざ見たいというわけのわからない外国人に見せることで何かが起こったときの責任を取りたくないんだと思う。まあ、そりゃそうだとも思う。めんどくさいんだ。ただ単に危険というだけではない。

 パヤタスのスクウォッターエリアが危険かどうかについては、基本的には危険でないと今でも思っているし、機会があれば調査をしたいと思っている。これまでの情報だと、彼らはもともとスモーキーマウンテンに住んでいて、スモーキーマウンテンの再開発によって立ち退きを命じられるとともに、仮定住地を与えられたが、そこに適応できず、パヤタスに移り住んだという。

 なぜか?スラム・スクウォッターエリアは再生産されつづけるのか?解消するための方策はないのか?というのが我々の問いになりうる。

 一つ考えているのは、生業開発の手助けが十分におこなわれないために、ごみとともに生きる生活を改善できないという理由が想定できる。ごみと共存する人々こそが、パヤタスや以前のスモーキーマウンテンに居住する人々であって、その生業形態の変化を促進するプログラムを用意しなければ、なにもかわらないし、次の定住地をもとめて彼らはごみの山に移り住むだけである。

 パヤタスからの帰りによってスクウォッターエリアは、うらやましいばかりのコミュニティの世界であった。子どもたちはみちで遊び、仕事を終えたあるいは仕事をしていない大人たちが子どもたちとともにすごし、道端では、焼き鳥をやき、ものをうり、市場がたち、活気にあふれている。つまりまちは人であふれているのである。

 十分な舗装がされていなかったり、水路が汚れた下水にまみれていたり、水路から水があふれだし、道に水がひたっていたりと、インフラの未整備はいたるところで指摘できるが、それを補って余りあるほどに、人と人との結びつきの強烈さを見せ付けられた。

 日本の都市が失ったものであり、取り戻そうと思っても取り戻せないものである。ここ数十年、高度成長期以降の30年であろうか、我々のメインテーマの一つにコミュニティ再生が掲げられ続けているが、いっこうにその契機は見つからずにいるし、違ったかたちでの再生の例は、いくつか見られるが、もとあったようには戻ることがないのは確実に言えるのである。もう少し具体的に言うと、かつてのような地域コミュニティはもう再生することはないだろう。ここでいうかつての地域コミュニティとは、地域に住むすべての人が構成員で、農業なら農業、商売なら商売とほぼ同じような生業をもち、男たちは昼間もその地域にいて、朝夕問わずそのコミュニティが機能しており、地域の問題の解決や祭りの運営など地域全体で取り組めるような状態があることをイメージしている。とはいえいま書きながら思ったが、そんなコミュニティがほんとうに近代において存在したのだろうか、もしかしたら幻想ではないだろうかと思った。

 我々が失われたと言っているコミュニティとは何かということであるが、その条件は別として、性質としては、そこで子どもたちが社会的な価値体系を十分に学び、互酬的な関係が存在しており、互いの世帯は互いの密接な関係の中で、生活上の様々な機能が満たされるような場を言うのだと思う。先ほどの説明で引っかかるのは、同じ生業、昼間の男たちの存在、全員が構成員という点である。昼間まちに男たちがいなくなったのは、サラリーマン社会の形成によるものだと思うが、その中でも商店街や農漁村といった生業と地域の結びつきが強い地域ではそのままの状態が存続した。東京資本、中央資本による商品経済の流通激化は、いわゆるスーパーがすみずみの地域にまで浸透することで起きたんだと思うが、それによって地場と密接に結びついた商店街が衰退していった。人と人との魅力やサービスの魅力よりも、多様なモノ、廉価なモノに引き寄せられていったのである。いずれにしても、かつての地域コミュニティの再生は、時代を逆行するものである、そこに依存する意味がなければ再生されることはない。ただ近年きざしを見せているのはテーマコミュニティである。阪神淡路大震災以降の市民活動の機運の高まりによって、行政依存から市民主体への流れが確実におきつつあるが、その時の起点になるのがテーマコミュニティである。地域に強く根づいたものが見られなくもないが、多世代の参加を担保するものは少ないし、ましてや全員が参加するなどということはありえない。

 日本における戦後の復興、高度成長のプロセスが、コミュニティ崩壊の一因になっているとすれば、我々はその経験から学んだことを活かすためにも、今後の東南アジア諸国の都市コミュニティの行方については注視していく必要があるのではないだろうか。

 成長史観、進歩史観の発想からみれば、日本がたどった高度成長は善であるわけだが、かならずしもそうは言い切れないところがある。得たものがある代わりに、失ったものもある。我々は、必要な成長と必要でない成長、必要な進歩と必要でない進歩の明確な区別を、身近なささやかな歴史から学ぶべきである。

 いくつものライムを搾り、購入してきたジンとあわせてジンライムをつくり、親族を集めてみんなで25歳の誕生日を祝うなんていうのは、なかなか素敵なことであり、こういったスクウォッターエリアだからこそ実現したのである。そこに異国の来訪者が突然訪れる環境があったということも、実はとても素敵なことなのである。私たちは、民間資本が高所得者相手に開発した住宅団地なんぞにお邪魔して、ふらりと家を訪れたりはしないわけで、こういった近づきやすい環境だからこそ、こういった状況が生じたことをきちんと明記しておきたい。

 これまでスラムという言葉を何気なくつかってきた。しかしスラムは存在しないという意見もある。スラムとは不良住宅地をいう。スクウォッターは不法占拠地をいう。不法は法律に違反するということで明快であるが、不良というのは何を良いとして何を悪いとするのか価値基準に従うものであり、あいまいといえばあいまいである。まさにここが論点であり、いわゆるスラムでは、道路・ガス・電気・下水道等のインフラ整備や住居そのものが不良であることが不良住宅地とされる理由となっている例が一般的であるが、一方で密接なコミュニティの存在は、他の地域と比較しても良好な地域であるという評価を受けるにしかるべき要因になりうる。つまりスラムという言葉は、前者にのみ目をむけ、後者に対して目をつぶる視線の産物である。

 晩御飯は、中華であった。たまにはビールでも飲みながらと思って、高そうな中華料理屋を選んだのであるが、麺類がメインの店であり、おまけにアルコールもなく、しけた夕食となった。中国系フィリピン人や中国人華僑が多く食事をとっていたので、間違いないと踏んだのであるが、間違ってしまった。近くのフィリピン人でにぎわっていた、ビールも飲める中華料理屋にすればよかったと後悔した夕食であった。

 タクシー運転手とは、明日からのボントック行きをめぐって、6日間車をチャーターする交渉をしていたが、夜9時に電話するといわれていたが、電話がかかってこないところをみると、振られたのだろう。5日間で、1万ペソ、2万円という提示であったが、断られてしまった。フィリピン人の所得水準が上昇したのか、我々が物価の読みを間違えたのか。

 適切な価格を考えるときには、いつも迷うのであるが、今回は基準を昨日の夕食においた。また一般的なタクシー料金においた。昨日ある程度の距離を走って、35ペソであった。日本であれば、700円~1000円はかかりそうなところが、35ペソ、70円なのである。定食屋やタクシー運転手世界では、日本の物価の10分の1とみたのである。すなわち1週間で2万円は、20万円を意味するはずであり、そんな仕事を断るなんて考えられないわけであるが、実際に断られたわけだから、私の物価の読みが間違っていたということであろう。

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