「アンフェアだったNHKスペシャル」が、大雑把に書きすぎだ、という声が。さらに、誤解も招いているようなので、もう少し詳しく考えてみたい。
農業が環境に影響するというのは、自明のことであろう。OECDのリポート、EUのページなどを見ていただきたい。農水省や独立行政法人農業環境技術研究所にも、関連する情報が数多く載っている。
農業は、肥料として与えた養分の一部が作物に吸収されずに溶脱する(特に窒素分)/温室効果ガスを発生する/生物多様性を損なうーー等々、いろいろな影響を環境に及ぼす。肥料は、化学肥料だからだめ、有機質肥料・堆肥だから大丈夫、というわけではなく、有機質肥料・堆肥も化学肥料と同じように、施用しすぎると養分が水に溶け出していく。耕作放棄地に作物を植えるようになると、肥料や農薬を使い、以前に比べれば環境を大きく攪乱しながら収穫物を得ることになる。
私は、自給率を上げたら環境が悪化するから自給率を上げなくて良い、と考えているわけではない。自給率を上げずにほかの国に農業をやらせて、環境破壊を押しつけろ、と思っているわけでもない。日本が、「自給率を上げる」という目的だけに執着し、ほかの事情、とりわけ環境影響を考慮しない、あるいは軽視していると、「長続きしない、うまくいかないよ」と言いたいのだ。
実際には、多くの研究者が環境影響を小さくしつつ国内農業振興をしようと、さまざまな検討を重ねている。耕畜連携により自給率を上げ、環境に付加する養分量の総量を減らしていこうとする努力も既にある。また、耕作、特に田んぼの復活は、豊かな農業生態系を蘇らせプラスの効果をもたらすという意見もある。保水作用など「多面的機能」に注目する人も多いだろう。
多くの要素がからんでくる。緻密な議論を重ねながら少しずつ自給率を上げていくのがいい、と私は思う。前回書いたように、化石燃料に依存した農業形態から変わる努力も要る。消費者ももちろん、食生活、嗜好を変えなければならないだろう。
違和感を拭えないのは、食糧危機が来るから自給率アップを、という現在の性急な動き、ほとんど脅しに近いような方向性に対してだ。
もう一つ。「水田に限って言えば、窒素の汚染はそれほど心配ないのでは」という意見をいただいた。「現在の農業では、水田にはぎりぎりの窒素しか肥料として施用していませんよ」という。
これはその通り。窒素を多くやると、米がまずくなるし、倒伏しやすくなる。特にコシヒカリは倒れやすい品種なので、倒れずおいしいコシヒカリにするために、窒素の施用を制限している。
また、水を張ると田んぼは還元状態になるので、肥料として与えた窒素が硝酸態になりにくい。硝酸態窒素になると水に溶けやすく、周辺の水系に広がって環境中へと放出されやすくなってしまうけれど、田んぼであれば窒素分は拡散しにくい。
意見をくださった方は「環境汚染を最小限に、カロリーを最大限得るには日本では水田がベストでしょう」と言う。
現状の稲作を考えれば、その通りだと私は思う。ただ、自給率を上げるには人が食べる米を作るだけでなく、飼料米、飼料イネを育てて、輸入穀物を減らさなければならない。そうすると、味は悪いが倒伏しづらく、ガバガバ肥料を吸って大きく育ち籾が鈴なり、というようなイネの栽培が始まるだろう。もし、本気で米、イネの飼料化を進めるなら、肥料をたくさんやる稲作が拡大するのではないか? そして、吸われずに環境中に放出される窒素分、ほかの養分がやっぱり増えてしまうのでは? そんな事態を、私は予想している。
繰り返しになるが、国民がそういうことをきちんと把握して、「それでも自給率を上げる」という選択ができればいいのだ。「環境負荷はある程度我慢し食料生産力を上げ、同時に脂肪ギトギトの肉を良しとするような贅沢な嗜好を、変えていく」のだ。
だが、残念ながら現状は「農業は環境に良い」「国産は安全」というごまかしが、自給率アップの議論の根底にある。おかしくない? あまりにも一面的な見方になっていない? それが、私の言いたいことだ。
あなたはどう思う? 農業と環境の議論は非常に複雑で、私自身がずっと、勉強し混乱し、の繰り返しだ。これから折々、繰り返し書いていくことになると思う。お付き合いください。
農業が環境に影響するというのは、自明のことであろう。OECDのリポート、EUのページなどを見ていただきたい。農水省や独立行政法人農業環境技術研究所にも、関連する情報が数多く載っている。
農業は、肥料として与えた養分の一部が作物に吸収されずに溶脱する(特に窒素分)/温室効果ガスを発生する/生物多様性を損なうーー等々、いろいろな影響を環境に及ぼす。肥料は、化学肥料だからだめ、有機質肥料・堆肥だから大丈夫、というわけではなく、有機質肥料・堆肥も化学肥料と同じように、施用しすぎると養分が水に溶け出していく。耕作放棄地に作物を植えるようになると、肥料や農薬を使い、以前に比べれば環境を大きく攪乱しながら収穫物を得ることになる。
私は、自給率を上げたら環境が悪化するから自給率を上げなくて良い、と考えているわけではない。自給率を上げずにほかの国に農業をやらせて、環境破壊を押しつけろ、と思っているわけでもない。日本が、「自給率を上げる」という目的だけに執着し、ほかの事情、とりわけ環境影響を考慮しない、あるいは軽視していると、「長続きしない、うまくいかないよ」と言いたいのだ。
実際には、多くの研究者が環境影響を小さくしつつ国内農業振興をしようと、さまざまな検討を重ねている。耕畜連携により自給率を上げ、環境に付加する養分量の総量を減らしていこうとする努力も既にある。また、耕作、特に田んぼの復活は、豊かな農業生態系を蘇らせプラスの効果をもたらすという意見もある。保水作用など「多面的機能」に注目する人も多いだろう。
多くの要素がからんでくる。緻密な議論を重ねながら少しずつ自給率を上げていくのがいい、と私は思う。前回書いたように、化石燃料に依存した農業形態から変わる努力も要る。消費者ももちろん、食生活、嗜好を変えなければならないだろう。
違和感を拭えないのは、食糧危機が来るから自給率アップを、という現在の性急な動き、ほとんど脅しに近いような方向性に対してだ。
もう一つ。「水田に限って言えば、窒素の汚染はそれほど心配ないのでは」という意見をいただいた。「現在の農業では、水田にはぎりぎりの窒素しか肥料として施用していませんよ」という。
これはその通り。窒素を多くやると、米がまずくなるし、倒伏しやすくなる。特にコシヒカリは倒れやすい品種なので、倒れずおいしいコシヒカリにするために、窒素の施用を制限している。
また、水を張ると田んぼは還元状態になるので、肥料として与えた窒素が硝酸態になりにくい。硝酸態窒素になると水に溶けやすく、周辺の水系に広がって環境中へと放出されやすくなってしまうけれど、田んぼであれば窒素分は拡散しにくい。
意見をくださった方は「環境汚染を最小限に、カロリーを最大限得るには日本では水田がベストでしょう」と言う。
現状の稲作を考えれば、その通りだと私は思う。ただ、自給率を上げるには人が食べる米を作るだけでなく、飼料米、飼料イネを育てて、輸入穀物を減らさなければならない。そうすると、味は悪いが倒伏しづらく、ガバガバ肥料を吸って大きく育ち籾が鈴なり、というようなイネの栽培が始まるだろう。もし、本気で米、イネの飼料化を進めるなら、肥料をたくさんやる稲作が拡大するのではないか? そして、吸われずに環境中に放出される窒素分、ほかの養分がやっぱり増えてしまうのでは? そんな事態を、私は予想している。
繰り返しになるが、国民がそういうことをきちんと把握して、「それでも自給率を上げる」という選択ができればいいのだ。「環境負荷はある程度我慢し食料生産力を上げ、同時に脂肪ギトギトの肉を良しとするような贅沢な嗜好を、変えていく」のだ。
だが、残念ながら現状は「農業は環境に良い」「国産は安全」というごまかしが、自給率アップの議論の根底にある。おかしくない? あまりにも一面的な見方になっていない? それが、私の言いたいことだ。
あなたはどう思う? 農業と環境の議論は非常に複雑で、私自身がずっと、勉強し混乱し、の繰り返しだ。これから折々、繰り返し書いていくことになると思う。お付き合いください。
そもそも耕作放棄地とはどのようなものなのでしょうか?一般に悪いもののように言われますがそうでしょうか。僕の住んでいる地域は傾斜地が多く、棚田を見るたびに、これを昔の人は手作業で作ったんだなあと感動すら覚えます。しかし実際に作物を作るとなると、道が狭くてトラクターが入らないので管理機を担いでいったり、3枚でたった10aの畑だったりして、とても大変です。栽培するには条件がよくないところが耕作放棄地になっている場合が多く、こんな所をちゃんと管理しなさいと70代、80代のお年寄りにとても言えません。
ですから考え方を変えて、商店街のシャッターを閉めているような店だと思うと良い悪いは別にして納得できるのではないでしょうか。
現代においては耕作放棄地も環境の一種ととらえるべきだと思います。
それと「農業は環境によい」が違うというのも「違う」のではないでしょうか?
例えば、「今の東京湾の富栄養化」が報道でもありましたが、この原因は農業なのでしょうか?農地が多くあった昔はどうなのでしょうか?
ブログ開設を待ち望んでました。
しぶとく、深く分析、考え、どんどん書いてください。楽しみにしています。
NHKスペシャル、私はムカムカしながら見ていました。また同じ頃、NHK-BSで江川紹子さんがイギリスが自給率を上げたことを取材した番組が放映されていましたが、補助金、大規模農業、そして最後は有機農業礼賛という内容でした。
まさに世の中、自給率ファシズムですね。先日、商社の方の話を伺っていたら、外国の人は、自給率とは言わず、海外(輸入)依存度とそうですよ。自給率という言葉は、ナチスドイツ時代に使われた言葉らしいです。
私も自給率を上げるのがいいのか、下げるのがいいのか、わかりません。それは、結果であって、考えるべき論点は、健全な農業経営、環境への負荷であり、安定供給であり、・・と思うのですが、
自給率上げるぞ!進め!って、恐ろしいものを感じます。
松永さんのスタンスや考え方は賛同できるところが多くて好きなんですが、本質的にフェアなTV番組なんてありえないでしょう。
本でもドキュメンタリーでもまずコンセプトがあって動き出すんじゃないのでしょうか。誰かが企画書持ち込んで面白そう(売れる・視聴率が稼げる・話題性がある)ならGOサインがでる。
そこに制作者、あるいはその後ろにある物の考え方が反映される。それは致し方ないのでは?
おっと、釈迦に説法ですね。
さて、今回のNHKの報道を見ると相変わらずGM作物に対しては批判的な発言が多く見られましたが、本日のあの朝日新聞ではGM種子開発をすべきだ、そしてGMゴーゴー的な記事が載っているそうですが、アメリカ、ヨーロッパの先行国には勝ち目がないのが事実でしょう。ただ諦めてはいけないと言って特定除草剤耐性を飛び越し機能性を目指しても大豆、小麦農家の私には不思議なことに思えます。
コメントにある耕作放棄地の考えですが、何もしないのも考えの一つですが、やはり埼玉県と同じ面積が使われていないのはモッタイナイです。その面積にGMコーンを播種すればアメリカからの輸入量と同じ1500万トンの生産量ができます。また稲作のほうが効率的…ですが、それは間違いです、より機械化できる麦の方が効率が高いです。TVを見ても田植えのシーンで20代のお兄ちゃんが作業をしているところを見たことがありませんし、当地においても存在しません。機械化(自動化、エアコン、GPS オートステアー、)しないと将来のじいさんである若者はついてきません。
稲作しかできない60歳のおじいちゃんに日本農業を語ってもらってもいかがなものでしょうか。そのような環境の中で11/15土曜日NHK19:30スタートの番組で宮崎の長友さんがGM作物について語っていただけることに期待いたします。
本日の日本農業新聞でアメリカ最大のエタノール製造会社が破産申請したとあります。もしすべてのエタノールプラントが潰れたら現在よりも25%以上のコーンが市場に流れ込みます。
その余波は… 考えたくないです。
北海道
遺伝子の香りのするまち
長沼町
宮井能雅