松永和紀blog

科学情報の提供、時々私事

池田さんのムシだより2~オオキンカメムシ

2008-11-27 00:53:31 | Weblog
 静岡の池田二三高さんから、ムシだより第2弾が届ききました(第1弾はアサギマダラ)。今度は、オオキンカメムシです。

………………………池田さんのムシだより……………………………………………
 18日は天気が良かったので、虫友を誘い東伊豆の城ヶ崎海岸へオオキンカメムシの調査に行ってきました。
 このカメムシの幼虫は、この地ではアブラギリの実を食べて成長しています。成虫で越冬しますが、ほかの昆虫とは異なった珍しい方法で冬を越しています。
 成虫は晩秋から初冬に掛けてこの地に多いヒメユズリハ、ヤブニッケイ、トベラなど葉の厚い常緑樹に集まってきますが、そこでそのまま越冬します。しかも、毎年ほぼ同じ場所の同じ樹に集まる不思議な習性があります。多発生時には広く分散し、近くのみかん園にも飛来することがありますが収穫時と重なるのでその悪臭が大きな問題になることもあります。成虫が越冬している葉は何と目通りの高さから5mほどの梢であるため、仰ぎ見て探すことになります。また、樹は海岸に近い樹の方が多く、海風をまともに受けて葉が激しく揺れる葉裏にしがみついています。

 大多数の昆虫は、冬には当然そのような所を避けて株元や地面に下りて来ます。でも冬の樹上は、オオキンカメムシにとっては天敵もいなくなるのでかえって安全な場所と言えましょう。しかし、反面野鳥には目につき狙われやすい環境ですが、成虫のど派手な橙の模様は野鳥を忌避させる役目を果たしています。自然は上手い具合にできているものです。
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 池田さんの本はいろいろとありますが、最新のものは2年ほど前に出された「菜園の害虫と被害写真集」です。

義父の死と物質循環

2008-11-20 02:36:01 | Weblog
 入院中だった義父が先週木曜日に亡くなって、この4~5日間、夫の実家で「お嫁さん」をしていた。松永というのは私の旧姓なので、プライベートでは名前からして違う。さらに、喪服を着て夫よりも一歩下がって付き従うとか、エプロンをしておさんどんをする、というような生活。
 義父を失った哀しみはあるのだが、私の普段の生活とあまりにも違うので、なんだかコスプレをしているような気分だった。そんなことを言うと、お姑さんから怒られますね。

 夫の実家は富山にあり、いろいろな風習が興味深かった。もっとも驚いたのは、亡くなってから初七日まで、お坊さんが毎日家に着てお経をあげてくださる、という習わしだ。説教もして下さる。その内容にびっくりした。

 「体の大部分は水分なので、燃やされることで蒸発しますよ。今日の雨の中に、その水分が混じっているかもしれません。体の中にあった炭素は、二酸化炭素になって空気中に戻っていきますよ。人の体を作っている物質は、生きている間は次々に交換されているのです。お骨は、たまたま死ぬ間際に体として持っていて、焼いた後も残った物に過ぎません」。
 お坊さんはそう言うのだ。とにかく、驚いた。なんだか、科学読み物を読んでいるようではありませんか!
 
 聞いていたのは義母と義弟と私たち夫婦の計4人。たった4人に、お坊さんが真剣にこういう話をしてくださる。そして、死ぬと体も心もなくなるが、心は残された者たちの胸の内に刻まれるという。故人が残してくれた心の記憶を大切にして、残された人は生きなさい、と言うのが説教の内容だった。

 私の日々の生活はまったくの無宗教なのだが、日本の宗教の厚みを感じた。地方にはまだこういう生活が残っているのだ。


農水省の「有識者との意見交換会」

2008-11-13 00:01:18 | Weblog
 農林水産省改革チームが、5日に開催した「有識者との意見交換会」の内容が12日、農水省のウェブページにアップされた。有識者として招かれた神門善久氏(明治学院大学教授)の怒りが炸裂していて面白いので、一読を。

 神門氏、「この会合の開催について農林水産省の事務対応は緊張感を欠いている」といきなり噛みついている。そして、「私は2006年に『日本の食と農』を著しサントリー学芸賞と日経BP・BizTech図書賞を受け、新聞や雑誌で斬新な農政論を展開し続けている。石破大臣も私の著作を何度も読み直したという。ところが、農林水産省職員から選抜された改革チームのメンバーのほとんどは、私の著作を読んでいないことを、この会場で確認した。改革チームの意識に疑問を持たざるをえない」という趣旨の発言をしたようだ。

 うーん、すごい! 
 私は、こういう変な人がかなり好きだ。それはともかく、その後の神門氏の発言はなかなかに的を射ていると私は思う。改革チームはこれまでに、計4人の識者から話を聞いているのだが、ダントツに突っ込んでいる感じ。そして、その著書「日本の食と農 危機の本質」(NTT出版)も実際にとても面白かった。私の本も一部、引用していただきました。
 たしかに、この本を農水省の職員があまり読んでいないとしたら、「そりゃ、まずいよ」と思う。

枝豆が堆肥になる

2008-11-10 22:55:13 | Weblog
 先週、中国・厦門を視察した。味の素冷凍食品の自社管理農場や冷凍野菜加工工場を見せていただいた。これから、何回かにわたって紹介する。

 まずは枝豆、いや、ごみの山の写真をご覧いただきたい。
 これは、味の素冷凍食品が中国の自社管理農場で栽培収穫し冷凍してあったもの。本来であれば日本に輸出され、家庭やレストラン、居酒屋さんなどでおいしく食べられたはずだった。だが、今年1月の冷凍ギョーザ事件を契機に、中国産というだけで売れ行き激減という事態に陥ってしまった。冷凍され長く倉庫に保管されていたが、時間が経って商品として出せなくなり、これから堆肥になる運命だ。


 枝豆だけでなく、青々としたいんげんも山と積まれていた。これらの野菜は、同社が種子の生産からかかわり自社管理農場で農薬などもしっかりと管理して栽培し、収穫やブランチングなどの加工、冷凍、包装まで完全に把握して、トレーサビリティが確保されている。はっきり言って、国産より品質はよい、と思う。しかし、「中国産は危ない」という報道に踊らされた消費者や流通、外食産業などが拒絶した。在庫はまだあり、さらに堆肥にしなければならない。見せてくれた同社の社員がつぶやいた。「身を切られるような思いだ」。


 中国産にも、当然のことながらピンからキリまで食品がある。日本に入ってくる中国産の食品のかなりの部分は、日本の食品メーカーや商社などが指導して、作ってもらったピンの食品だ。その中に不幸にも、犯罪が仕掛けられた食品が混じってしまった。それが、ギョーザ事件である。また、犯罪品の微量混入を防げなかったのが、(日本国内の)メラミン混入事件である。
 
 思い起こせば、日本でも食品犯罪はあった。70年代の青酸コーラ事件、80年代のグリコ森永事件、90年代の和歌山カレー事件…。そんな時に、外国人から「犯罪が起きたから、日本の食品は怖い。絶対に拒否する」と言われたら、日本人はどう反応しただろう?
 そんなことを考えながら、堆肥になる枝豆を眺めた。

 堆肥にするよりも、生ごみとして処分を中国側に任せた方が、はるかに安上がりだそうだ。だが、まとめて堆肥にして畑に戻したいと同社は言う。
 新聞や週刊誌などでは、未だに中国に詳しいと自称する「識者」が「危ない中国産」を語っている。そのエピソードは概して古い。そして、日本向けの食品の話なのかどうか、不明のままだ。そんないい加減な識者に騙されるな、まじめな日本企業や中国人の取り組みを見ろ、と記者たちに言いたくなる。

 だが、中にはあやしい識者を利用して自分の署名記事をインパクトのある読み物に仕立てている確信犯の全国紙記者もいる。そんなもくろみは行間ににじみ出るから、私はひどく苦い思いを味わうのだ。

<注>私が、メラミン混入事件と書いたのは、あくまでも日本国内で消費される食品において起きたメラミン混入事件です。ご指摘を受けて、(日本国内の)を追加しました。2008年11月13日

「栄養と料理」12月号

2008-11-10 22:09:16 | Weblog
 先々週末からめちゃくちゃに忙しくなって、更新がなかなかできません。すみません。

 今回は、ちょっとお知らせ。変なダイエット話や報道に遭遇しても、忙しかったり、億劫だったりして、「わざわざ自分で調べるなんてこと、しないわよ」という人が多いはず。そんな人にも気軽に読んでもらえて、すんなり理解してもらえる記事、というのを目指して、今年1月から連載をしている。「栄養と料理」という月刊誌の『飽食ニッポン 「食」の安全を読みとく』というコーナー。
 
 12月号が11月8日に出たばかり。書店やスーパーの雑誌棚、時にはコンビニにもあるので、覗いてみてください。
 今回は、事故米穀について取り上げている。12月に出る来年1月号は、朝バナナダイエットについてまとめるべく、現在制作中。

 「栄養と料理」は、女子栄養大学出版部というところが出しており、昭和10年創刊という由緒正しい雑誌。昔は栄養士向けだったが、今は読者には主婦も多いそうだ。
 この雑誌、私が幼い頃の“バイブル”だった。私の母は独身時代、栄養士をしていたので、家に古い「栄養と料理」が何十冊も積まれていたのだ。小学生の頃は、この古い雑誌を引っ張り出してきて、おいしそうな料理を眺めたり、銘菓の写真に付けられた中村 汀女さんの俳句を読んだりして楽しんだ。なんとも渋い小学生ですね。大学生になって自炊を始めた時にも、購読して参考にしながらいろいろな料理を作って自分で勉強した。
 だから、連載依頼をいただいた時には、本当に嬉しかった。私の記事を、私がそうしたように、小学生くらいのちっちゃな女の子が読んで記憶にとどめてくれると嬉しいのだけれど…。