松永和紀blog

科学情報の提供、時々私事

エコナ問題を伝えるのは難しい2~もし私が現役の新聞記者だったら

2010-09-04 01:46:11 | Weblog
 前回、8月26日の食品安全委員会におけるエコナ審議を報道した共同通信に対する疑問を書いた。(エコナ問題を伝えるのは難しい1
 この件については、共同通信のほか、朝日新聞も報道している。「ラットにエコナ成分大量投与、発がん性物質に 花王実験」である。

 こちらの記事は、共同通信とは違い、実験が高用量投与であることに字数を割き、「今回は血中濃度だけを測っており、実際に体内で吸収されるのかどうかは分かっていない」と慎重な書きぶりだ。ラットでのグリシドール検出がハザードであることは十分分かっているが、初知見だから書いておくべきだ、という判断だろうか。見出しはあまり変わらないのだが、読後感は共同通信とは大きく違う。

 ただし、朝日新聞も、カニクイザルの試験については触れていない。予備試験であることに慎重に配慮したのかもしれない。前回触れなかったが、グリシドールの定量法として、花王がまだ研究中の感度の少し高い方法を用いて、花王自身が行っている。責任を問われている企業の自主研究なんて当てにならないから取り上げない、というのも、一見識ではある。

 では、私が新聞記者だったらどうしただろう? 普通は、記事を書く記者と見出しを付ける記者は異なるのだが、大胆に両方考えてみたい。
 まず、記事にしない、という選択はなし。読者が関心を持っていることが大きく動いた時には、審議の途中であろうとリスク評価の前であろうと、早く情報として届けるべきだと判断する。
 そのうえで、見出しは「エコナ成分大量投与 体内で発がん物質に ラット試験で」。
 オリジナリティのある「先読み」を売り物にする科学ライターなら、カニクイザルの予備試験を見出しに持ってくることを検討するが、新聞記者としてはできない。記事の内容は朝日新聞とほぼ同じだが、サルを用いた予備試験でグリシドールが検出されず、種によって違いがある可能性が浮上したことを書き添えたい。まだ分からないことが山ほどあり、リスク評価はこれからであることも明確にしたい。
 でも、デスクがその記事を載せる価値ありと判断し、実際に紙面化されるかどうかは別問題。「どっちつかずなら、そんな原稿載せなくていい」という判断をするデスクもいるだろう。書いた原稿は日の目を見ないかもしれない。
 科学ライターだから報道の批判ができるけれど、実際に自分がその立場であれば、こんなものである。

 実は、科学的な厳密さを追求しようとすると、共同通信、朝日新聞だけでなく、私の見出し、原稿にも大きな問題がある。グリシドール脂肪酸エステルは、エコナ油だけでなく食用油などほかの油脂にも、量は少ないけれども含まれているから、「エコナ成分が発がん物質に変わった」という見出しは誤解を招く。「ラットに、食用油に含まれる成分を大量投与したところ、発がん物質に変化した」というのが、厳密な事実なのだ。
 だが、見出しにはどうしても「エコナ」という言葉を出しておきたい。そうでないと、ニュース価値はなくなる。
 なんとも悩ましいが、こうして、報道はどうしても科学的事実をゆがめて行ってしまう。前回、共同通信を批判した私自身も、事実をゆがめることに加担する一人だ。花王は怒るだろうが、それが報道する側の事情である。

 
 もし私が現役の新聞記者だったら、なんて妙な仮定をして、ぐだぐだと書いてきたのは、エコナに限らず発がん性、発がん物質について伝えるのは極めて難しい、と痛感しているからだ。リスクコミュニケーションの題材としては、極めて難易度が高い。報道する側も理解が深い人ほど悩んでいるはずだ。

 一般市民は、リスクとハザードの区別をしないし、毎日食べる食品に発がん物質が含まれていることも知らない。遺伝毒性のある発がん物質と非遺伝毒性発がん物質を区別した理解も難しい。がんに至るには、体内でさまざまな条件が成立しなければならないことも、まったく知らない。
 そして素朴に、「がんの原因となる食品を知りたい。なるべく食べないようにするから」「がんを予防できる食品を教えて。なるべくたくさん食べるようにするから」と願っている。こういう人たちが欲する情報を届けなければならない。

 私の例を書くと、編集者が望む原稿はやはり、「これを食べるのは避けましょう」とか「こうやってがんを予防しましょう」という内容。だから、とりあえずはこの線で書く。いくら正しくても、独りよがりの解説記事では、そもそも読んでもらえない。
 「こういう食生活をしましょう」となるべく具体的に書きつつ、農薬や食品添加物ではなく普通の食品に発がん物質が含まれていることを説明し、遺伝毒性のことを解説し、摂取量の管理が重要であることを述べたりする。それは容易ではなく、しばしば失敗して、「○○は避けるべきなのか」と誤解を招いたりする。いかに適切に情報を届けたらよいのか、とても悩みながら試行錯誤している。

 だから、なおさら思うのだ。やっぱり今回のエコナ問題での食品安全委員会の情報公開は、あまりにも無造作すぎた、と。
 食安委は、原則としてすべての会合、資料を公開することになっている。資料や議事録の非公開が認められるのは「公開することにより、個人の秘密、企業の知的財産等が開示され特定の者に不当な利益若しくは不利益をもたらすおそれがあるもの」だけだ。会合の非公開は、上記の理由かまたは、「委員の自由な発言が制限され公正かつ中立な審議に著しい支障を及ぼすおそれがある場合」のみだ。

 今回も、「洗いざらい公開」で筋は通っている。だが、繊細な問題をぽんと出してしまった。せめて、審議の中で事務局が説明する時に、傍聴者や報道関係者にも理解できるようにリスク評価の一連のステップ(ハザードの特定、ハザードの特性付け、暴露量の評価、リスクの判定)を簡単に説明し、今回の報告の位置づけを説明するくらいのことはしてもよかったのではないか、と思う。一部分だけをセンセーショナルにとりあげる報道につながりかねないことは、事前に予想がついたはずだ。私は審議を傍聴してはいないのだが、傍聴した人によると、その手の説明はいっさいなかったという。

 ひどい報道は批判されなければならない。当事者の反省が必要。でも、情報の出し方によっては報道も変わるのではないか。報道関係者だって悩んでいる。エコナ問題、発がん物質問題は、難易度が高い。だからこそ、ていねいな解説を求めたい。食品安全委員会だけでなく企業、研究機関にも。そうやって、エコナや発がん物質に関する報道を変えて行ければ、と願う。

エコナ問題を伝えるのは難しい1~共同通信の報道への疑問

2010-09-02 07:49:23 | Weblog
 「エコナ成分、発がん性物質に変化 動物実験で」というタイトル(見出し)の記事を共同通信が8月26日、配信した(47Newsの記事)。エコナに高濃度で含まれるとされるグリシドール脂肪酸エステルが、ラットの体内で発がん物質、グリシドールに変化したという実験結果を、厚労省が食品安全委員会に報告したという。「食安委は今後、人体に影響があるかどうかを審議、最終的な結論を出す」と書かれているが、見出しのインパクトは強い。「やっぱり、エコナを食べたらがんになるんだ」と受け止めた人も多かったかもしれない。


 これは、26日に開かれた食品安全委員会での配布資料と委員による議論を基にした記事らしい。だが、配布資料を読むと、共同通信の記事とは印象がかなり異なる。ヒトでのリスク評価という視点から言えば、「エコナで懸念された発がん性が、ヒトでは問題ないかもしれない可能性が浮上した」というのが、今回のもっとも重要なポイントではないか。
 共同通信の記事は、どうしてもエコナを悪者に仕立て上げたくてごく一部だけを記事にしたように見える。少々解説してみたい。
(第345回食品安全委員会の資料1)

 共同通信の記事は、ラットを用いた実験結果を厚労省が食品安全委員会に報告したと書いており、厚労省が発がん性を認定したような印象を受けるが、正確には花王が厚労省に提出した報告を、厚労省が食品安全委員会に報告したものだ。
 しかも、報告内容はラットの実験だけでなく、カニクイザルも用いた実験と、これらの実験の背景説明としての情報収集という三部構成になっている。

(1) ラットを用いた実験
 ラットにグリシドール脂肪酸エステル(この実験では、グリシドールリノール酸エステル=GEL)、あるいはグリシドール(G)を経口投与し、血中への移行を24時間にわたって調べたもの。
 ただし、ヒトがエコナを食べるときの曝露量とはまったく異なり、約4600倍もの量を投与している。とりあえず、GELとGの挙動を高用量投与で大づかみしてみよう、という実験だ。
 結果は、GEL投与群で血漿中からGが検出された。投与5分後にはGが検出され30分後には最大となり、24時間後には定量下限未満となった。

 Gを血漿中で確認したという実験結果は、これまで「グリシドール脂肪酸エステルが、動物の体内で発がん物質グリシドールになる可能性がある」と言われていたことをラットで実際に確認した、という点で非常に大事だ。世界的に見ても、初知見のようだ。
 だが、エコナのリスク評価、という点では、予想していた代謝反応の一つがラットで実際に確認されたという“第一段階”が済んだだけ。GELの何%がGになっているかは分からず、血中にあるGがどの程度、細胞組織に移行し遺伝毒性を発揮するのかもまったく不明。それに、ラットで確認されても、ヒトではどうかわからない。


(2) カニクイザルとラットを用いた血中移行性と種による代謝の違いを調べる実験
 (1)のラットでの結果をすぐにヒトにもあてはめて検討してよいのか? これまでの脂質代謝研究から、それが無理であることははっきりしている。
 動物が食べた脂質は、舌や胃、膵臓などから出る酵素「リパーゼ」によって加水分解され、脂肪酸を切り離す。これらの脂肪酸は、胃や小腸などから吸収され、小腸上皮細胞でまたグリセロールと結合し、リンパ系から血液循環系へと移行する。GELは脂溶性なので、ラットに投与した場合に口腔や消化管内でリパーゼによってリノール酸がはずれる代謝が起こり、水溶性であるGとなってそのまま素早く吸収され血中へと移行したと推測される。
 だが、リパーゼの口腔や消化管内での活性は動物によってかなり異なり、脂質代謝に大きく影響する。そのため、花王は、カニクイザルで試験してみた。(1)のラットの試験は、専門家がバリデーションを行っている。だが、この(2)の試験はまだ、花王の自主検討による予備試験、という位置づけだ。

 今回は、(1)の実験に比べて投与量が下げられた。カニクイザルにGELあるいはGを、それぞれヒト曝露量の100倍と300倍経口投与して、投与後の血漿中のG濃度を調べた。また、ヒト曝露量の1~125倍のGELやGをラットに投与する実験も行った。すると、実に興味深い結果となった。
 カニクイザルにGELを、ヒトの曝露量の100倍与えても、300倍与えても、その後血漿中からGを検出できなかったのだ。同じことをラットに行った実験では、25倍投与、125倍投与で、血漿中からGを検出している。つまり、ラットの体内ではGELがGになるが、カニクイザルの体内ではGになっていない可能性が示された。
 ヒトがラットよりもカニクイザルに近いことは言うまでもない。GELの代謝、血中移行性が種によって違い、もしかすると、ヒトではラットのようにGELがGになっていない可能性が出てきた。
 では、(1)(2)のこの両方の実験をどう考えるか? 推論の材料となるのが(3)の文献収集である。

(3)舌リパーゼに関する情報収集
 文献によれば、ラット、マウスなどのげっ歯類は、舌からリパーゼを分泌しており、舌リパーゼ活性が高い。一方、ウサギやブタ、ヒヒなどでは酵素活性がほとんど認められない。

 食品安全委員会の配布資料には書かれていないことだが補足すると、霊長類は舌リパーゼ活性がほとんどないかわりに胃リパーゼ活性が高く、油脂は胃の中で加水分解が進む。ただし、胃内での消化の割合は10~30%程度とみられており、残りは十二指腸に進み膵臓から分泌された膵リパーゼによって分解され消化されることになる。=「DAGの機能と栄養」(幸書房)より。

 こうした予備知識を持って、食品安全委員会の配布資料に掲載されている(1)(2)のグラフを見てほしい。(1)では、Gを投与した群で、すぐに血中からGが高濃度で検出された後、一気に下がり投与後8時間で、もうほとんど検出されなくなっている。GELを投与した場合のGの検出の推移は、G投与に比べてピークが出る時間に15分の遅れがあるものの、ほぼ同じような経過をたどっている。このことから、GELの分解が投与直後に一気に進んで、あとはG投与と同じ挙動を示した可能性が高い。つまり、ラットでは、舌リパーゼによってGELからGへの分解が急速に進んだのではないか、と考えられるのだ。
 一方、カニクイザルでは、舌リパーゼ活性はほとんどない。そのため、GELはそのまま胃へと進んだのではないか。

 だが、これだけでは、カニクイザルの血中からGが検出されない理由が分からない。そこで、さらに検討されるのが胃中のpHだ。実は、GELやGはエポキシ環と呼ばれるC二つとOが結合した環があるのが特徴。このエポキシ環はpHが低いと壊れやすことが、ほかのさまざまな研究からわかっている。
 ラットの胃内はpH2.5~6.0。一方、霊長類は2前後が普通。カニクイザルの実験では、胃中でエポキシ環が壊れ、GEL、G共に分解されてしまった可能性がある。
 配布資料では、エポキシ環が壊れる可能性にまで言及されているわけではないのだが、深読みするとこのようなストーリー、“仮説”が見えてくる。

 ラットの試験は、専門家のバリデーションを受けたもの。一方、(2)のカニクイザルとの比較試験は花王による予備的なものであり、結果を評価する場合の信頼性、中立性は大きく異なる。だが、私には花王がいい加減な実験を行うとは思えず、バリデーションを受けた本試験で結論がひっくり返るとは考えにくい。今後、エコナのリスク評価は、この種間差の検討が重要項目となるのは間違いない、と思う。

 以上のことをまとめると、
i) ラットで、GELがGに変換し血中に移行していることが確認された
ii) カニクイザルを用いた予備試験では、GELを投与してもGは血中から検出されず、GELの吸収、代謝に大きな種間差があることが示唆された

ということは、言える。
 でも、まだ分からないことが多すぎる。GELの体内動態(吸収、代謝、排泄等)を調べるには、GELやGを放射性同位元素でラベルして調べるなど、さまざまな角度からの検討が必要だ。もし、胃でエポキシ環が壊れる可能性があるのなら、胃内pHは一緒に食べる食物によっても変動しpHが上昇する時間が長くなることも考慮に入れる必要があるだろう。
 それに、これらの研究において重要なのはグリシドールの定量なのだが、グリシドールの感度のよい定量法はまだ確立されていない。より優れた定量法の確立は急務だ。
 花王が求められている資料はこのページにあるように多岐にわたっている。これらを総合して検討するのがリスク評価である。

 改めて、共同通信の記事を読んでみると、やはりあまりにも不十分で、読者に不誠実な記事ではないか、と思えてならない。
 「ラットで、GELがGに変換されているのがわかった」というのは、リスク評価のための検討項目のごく一部であり、ハザードが確認されたに過ぎない。しかも、今後のリスク評価はこのハザードの単純な適用では済まないことが、予備試験で既に示されている。にもかかわらず、一般市民にハザードのみを伝えているのだ。
 エコナがまだ販売されているならまだしも、もう販売もされていない。そういう状況で、ハザードのみを伝える意図が、私にはよくわからない。
 
 エコナ報道は、最初からこの手の記事が多かったが、またしても、である。この記事で消費者が不安に陥ったり、消費者団体が騒ぎだしたりしないように、と願うしかない。
 一方で、今回の食品安全委員会での情報提供と議論は、どういう報道をしたらよいのか、悩ましいところがある。共同通信の記事はひどすぎるが、私が新聞記者だったとしても非常に迷ったはずだ。専門家のバリデーションを受けた試験結果と、自主的な予備試験の結果を、どう判断しどこまで書いたら良いとするのか? そのことを次回、考えてみたい(つづく)