田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

平板測量

2017-02-18 05:04:24 | 日記

 採取した土器の破片から
 三千年前の住居があるらしいという畑で落ち合わせた。



 調査の手伝いを頼まれていたのだった。

 なんと測量の手伝いだった。

 測量は学生時代の必須科目だったので
 基本は勉強していたし、
 飛行場勤務では飛行機の侵入を補助する機械(バシス)の
 レベル調整など経験もあって
 ど素人ではなかったが、
 やり方を忘れてしまっていた。



 先生に教えてもらいながら、
 指示に従ってポールを持って測量地点を回り歩いた。

 同級生が巻き尺係、
 レベルの計測は教育委員会の若い職員がやってくれた。

 飛行場から産業課に異動し、、
 水田転作の担当もすることになって奨励金の額を確定するために
 平板測量が必要になった。

 学校で学んだことが生かせたのが嬉しかったことを思い出す。
 測量した田んぼの地域は今でも覚えていて、
 現在耕作されている地域のほとんどに点在している。



 アリダードを紛失して探し回った場所など
 懐かしく思い出す。
 水田転作の担当していた昭和55年頃には電算システムが採用されていた。
 そのころは県の職員も、
 電算システムの入力事務の仕事ができなかったようで、
 業者に任せっきりで、
 あまり説明もされないままに訳の分からない書類を作らされたような気がする。



 与論島に電算システムのパソコンが入ったのは
 畜産事業団体からの補助金だったと記憶する。
 経済連と単位農協と行政との連携の仕組みだったのだろう。

 役場住民基本台帳と税金、国民年金の電算システムとして
 役場にも他町村よりも遅れてパソコンが導入されていった。
 先進地視察と称して、
 初めて田代町の盤山の移住地に連れてくださった先輩を懐かしむ。

 私が国民年金を担当していた頃、受給者に個人ナンバーが振り当てられた。
 現行の個人登録ナンバーのシステムに私もかかわってきていたこと、
 避けて通れない時代の波にのまれこまれていたのだったことを今思っている。



 測量は光学機器を使うようになり、
 平板測量をすることはめったにないので、
 とても珍しい光景なので
 考古学入門の記念に残しておきたいと撮影した。



 畑の持ち主にも見せてあげたい。
 中学生のころから父が借りて耕作していた隣の畑だったのだ。
 野生のグラジオラスの生えている荒地だった場所がいずれ文化財にしていされる
 遺跡になるかもしれない。



 
 遺跡発掘調査の初日に記録する。