田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

命を吹き込む

2017-12-30 04:13:23 | 日記

 漂着した種が浜辺で芽を吹いて生えているのを目にしている。
 一年や二年、運が良ければ数年も生き延びた植物たちが浜辺の植生を守ってきた。



 50年、60年に一度とか言われる表現を最近やたらと聞くようになったが、
 まさしくそのような大型台風が与論島を襲い、大木や古木が痛めつけられ、
 浜辺の植物も高波に根こそぎさらわれてしまった。



 島中の緑の中に枯れ木の無残な姿が見られていたが、
 次第に元の緑の景観が修復してきているように感じられる。



 台風被害で処分されたゴミを拾ってきて使っていたが、
 活かしきれないものがついに、
 私にとってもゴミになってしまっているのもある。
 ゴミ博物館と笑われはしないかと気にしているが、
 またもや
 大きなゴミをもらうことになった。



 ひと月前かそれとも二月前か、
 写真を取り込んだ日にちを確認すればわかるのだが、
 ツイッターにも載せた漂着船、取得物届をしなかった。



 渚でいつものように石を積み上げていたら漂着船が打ち上げられていた。
 遭難船ではないようなので、
 こんなゴミ拾ったら処理するのが大変だからと思い、
 数日放置していたが、
 作業の邪魔になる場所だったので、
 波打ちぎわに引き下ろして、船を起こして浮かべて、沖に押し戻しておいた。



 数日、
 そんなことを繰り返していたらとうとう、

 海岸のはずれの西の砂浜に打ち上げられ、
 案の定の船の墓場になって、
 誰にも助けられないで放置されているの目にしていた。

 漁船登録の文字が読めたので、
 外国のものではないこと、!の頭文字だったので
 沖縄の糸満だと思っていた。



 何と、ITは岩手だった。

 岩手漁協によると持ち主が取りに行けないので、
 地元で処分をしてくれるようにとのことらしい。
 私との縁があったのだから
 この船に命を吹き込んでみようと引き取る手続きをすることにした。



 三陸沖地震災害から何年経っただろう。
 日暮里のエカツーリズムセンターの会議に参加したとき、
 ボランティアに行った話を聞いて恥ずかしい思いをしたことを思い出した。
 
 ちょっとお金はかかるが
 修理したら使えるかもしれない。

 私のボートも台風で流されたが、
 その代わりにやってきたのかもしれない。

 ミュージカル映画の「南太平洋」(チャタヌガ・チューチュー)
 「パピヨン」のすt-ぶまっくいーん、と
 ドガ役のだすてぃんホフマン。
 そして、キャスト・アウエイ」のサバイバル生活。
 天使との出会いがあるかもしれない。
 

  南の島のリバイバル生活。



 座間島からウーファーを受け入れて、
 新しい年を迎える。
 

 
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ゲストハウス みなと屋

2017-12-29 03:11:06 | 日記

  マラソンコース沿道で水かけをしていた。
 観光客から声をかけられて、
 中学校はここから遠いですか?」と聞かれた。




 歩いたら40分以上ですよ」と答えたら、
 中学校の教師が宿に来てくれるというので・・・、
 話しかけている間に奥さんは先に歩いて行った。




 人懐こい人柄を感じたので、
 何処からお越しですか?」と今度はこちらから聞いてみた。
 亀徳ですとの返事から
 徳之島にはついこの間行ってきたと話が弾み、
 名刺を交換することになった。




 「奄美大島エコツアーガイド会員」登録をうけてガイドもしているという。
 ガイド資格が必要だろうと思い、私も講義に数回は出席したが、
 受講回数も足りなく、試験があることも知らなかったので、
 いい出会いだったと思いだしている。



 奄美大島の出張のついでにガイド探検をしてみようと思う。
 明けて、17日前後を予定に入れておこう。

 昨日は
 計画していた蘇鉄を植え、
 ミナタ海岸で採取した浜砂利を使って足場を整地してみた。



 ついでに
 ミナタ海岸の船上げ斜路の基礎部分に砂利や砂が集まる仕掛けをしてみた。

 成功したら
 私の遊び事が有益になることでみんなに評価されるかもしれない。



 毎日の潮の満ち干で 仕事がはかどるので、
 今日も様子を見に行きたいが
 小雨模様。

 雨雨 降れ  降れ  もっと ふれ   木々が喜んでくれる。






  与論コースタルリゾートの渚の石積みが目論見通りに展開してきているので、
 ここ船倉では植物だけを使って防砂と防風防潮の植栽をしてみようと思って着手した。

 写真と記事の関連はありません。

 船倉はセブンーイレブン記念財団の環境市民活動の申請地を含んでいます。
 


 
 
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12月28日 今日から始めよう

2017-12-28 04:12:55 | 日記

 行く年くる年

 正月から始めなくてもいい。

 良いことは早い方がいいに決まっている。




 すでに
 始めているのだから。



 私の幼少の頃写真のこの地、
 船倉海岸で遊んだ想い出をたどっているが、
 確かにかの地であるという確証はないが、
 なんとなくではあるが、
 ミナタ海岸から海を左にして歩いていき着く大きな砂浜といえばここしかない。



 浜辺で遊んでいた、
 魚釣りしていた年上の兄弟に会って話しかけたことが記憶に残っている。
 なんとなく、西兄弟のような気がする。

 旧暦の三月三日はアジンチェー神社の氏子が集まるこの場所に
 幼少の頃連れて来られたのだろう。
 ここの近くに怖い場所があったと今でも、
 北側の岩場にはあまり近づきたくない森がある。
 多分、
 聖地だろう。



 誰もそういわないが、
 私の直感はあたる。


 景観アドバイザーを招いて、
 ミナタ海岸から船倉海岸までの開発と保全・保護について
 指導を受けようと思って講演会を持った。

 期待した指導は受けられなかったが、
 集落民や行政への働きかけ、議会への陳情の効果はいかされたと思う。
 自らが動くことから何かが起きる。



 石を投げたら波紋が起きる。
 考えてきたことをお墨付きでやりたいと思っている。

 自然の恵みを頂いて、
 造作をするのが造園の仕事だ。



 造形がここで出来ればと思ってきたので、
 今日を初日としようとしているのにはわけもある。



 輪廻転生。



 新しいものに生まれ変わって世のため人のために見守って下さい。
 植物の好きな人は
 宿るかもしれない。



 農業の神様と海の神様が合体する。
 そんな
 聖地巡礼する御嶽があったらいいな・・・・。


 
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深夜便をききながら書いています。

2017-12-27 03:16:04 | 日記

 日本の歌心の歌・・・、平成のヒット曲を今夜は第一回目。




 涙そうそう」は森山良子さん作だったのか・・。

 琉球民謡のリズムとは違うような気がするが、
 海の向こうとサトウキビ畑にこのようなゆったりした風土の中に
 なんとなくいじめられ続けてきた心情が隠されて
 こらえて生きていかなければならない
 そんな思いが込められているのかもしれない。



 なんとかなるさ・・・、
 あきらめともとれる 悟りの心情
 琉球であり与論でもある。

 台風と干ばつと 沖縄の戦後の歴史 かわることはない。
 ありのままを受け止めるしかないと
 年を取ってきたら思うようになったのかもしれない。



 パピヨンの色の海を眺めながら
 あの世とこの世の境界を考えながら 砂を運ぶ己の姿を
 蟻や蜂の巣作りの姿と重ねている。

 大自然の風景に囲まれて作業しながら、
 ランドスケープデザインを

 地球規模で考えたいと思うようななって来ている。


 
 自然保護を小さい視点でとらえると、
 人間中心の施策や方法であるように思わされる。



 過保護に整備、育成している植栽地に水をやりながら
 次の手を考える。
 生態系に負荷になる手法を避ける事だろう。






 今年もセブンイレブン記念財団から助成金を頂いて
 マラソンコース沿道緑化をすることができた。
 育成管理に力を入れる。
 看板に恥じないように・・・・。



 次の一手は
 自然に変えるお手伝いをするとともに、
 進化している地球に対応する手立てを試験することだ。



 移入種で与論の植生が豊かになってきたことを周知させる必要も感じている。
 希少動植物保護推進員の推薦依頼が届いた。



 委嘱期間 2年 活動交付金年額 8千円  見合う活動をしたい。




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風葬墓

2017-12-26 04:36:21 | 日記
静かな夜 深夜便を消して
与論島の風葬墓」 竹内 浩著(2017年12月)を読み終えた。
あとがきに、
なお、これいがいにも、フルバやヤバヤなどに該当する風葬墓が、
島内各地に数多く存在することが分かっていても、確認に至らなかったことが残念でならない。
としめて、別添として、位置図や写真が載せてある。
 風葬墓地調査報告書(財団法人観光資源保護財団・昭和47年)を元にして書かれたものである。
この報告書があることは知っていたが、手に入れることが出来なくて、
お酒の力を借りながら風葬跡を探し回って歩いていた。




呉屋先生が遺物調査(土器や磁器等)の資料として私に渡してくれたこの資料が、町立図書館にあったのを知っていたら
、もっと時間を有効に使えただろうにと思う反面、
知らないで探したのが良かったとも思えてくる。
 この報告書には、私が自分の先祖の墓にこだわった、クムンジョーの風葬墓の記録がない。
フルバやヤバヤに類する原始的な墓は疱瘡墓に利用されてもいるかもしれない。
となると、その手の墓も数か所確認しているので、記録しておく必要がある。



 近藤功行先生の「与論島における洗骨習俗の現状」と題した報告書から10年が過ぎた。

この聞き取り調査には感銘した。汗をふきふき足で稼いで回っていたのを思い出している。
私もやるなら、あんなにしたいと思って、怖いところはビールの泡の力も借りて分け入った。
クムンジョーにたどり着いたとき、お墓の一升瓶の残りを頂いたこともあった。
飲み残しておいたので、まだ残っているかを確認しに行ったが、空っぽだったので同じような人がいたのだろうか。
お墓の周りには青磁器など、時代考証になる土器もあるとのことで、R依存しての御嶽探しも無駄ではなくなっている。



 郷土研究会の発起人の一人として、与論郷土研究会会報 第二号「はじぴき」が発行できた喜は大きい。
研究発表したものを載せることになっていたが、私の発表は与論島の浜名(ハマナー)と遺跡」について、
Pポイントで写真主体に喋り散らしたので原稿にできなかった。 代わりに、ブログに乗せた「ショウロー祭り」を使ってもらった。
与論島に残っているショウローを調べた報告書を見たことがなかったので関心を持ってもらいたい。
シニグ祭りに繋がっていく先祖とのかかわりが重要になると思われる。
呉屋先生に教わりながら調査に加わっている遺跡の分布との関連性も出てきた。



 いよいよやってきた。
私の先祖のサークラは何処からやってきたのか、何時頃からなのか・・・、
ナイルの宝石の主人公は 案外  僕かもしれない。

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