この施設は色んな会合や講演会、研修会等でよく利用されていると思う。
昨日は 朝活で日の出を拝む相棒の酒匂さんがボランティアで社会福祉協議会からお招きがあって
三味線で歌うという。
「頑張ってきてね!」と励ましたら、「ヤカもいっしょに応援に来てよ」と言われた。
有線の瓶」をもって踊ってくれたら いいなー・・・。
あの施設は 国民年金係していた時、関わった思い出の施設だと、自慢話をしてしまった。
同僚のK君が担当していたが、ハード事業は不慣れだったようで、
心労の為か沖縄で治療を受けることになった。
課長が、お前は暇そうだから完成検査までの報告書を代りにやってくれという。
町民が勤務の間口業務にも慣れた頃だった。
産業課勤務時代から課長とは気が合った。
やりたいことをさせてもらっていたので、
補助金の手続き等はお手のもの、民生委員の担当も受けていたので、
喜んでさせてもらった。
その当時は町民課は大所帯だった。
保健も町民課が携わっていた。 保健所の担当も僕だった。
飲食店、美容、理容師組合の手続きも僕の担当だったので、
徳之島保健所には親しくしてもらった。
雇用保険も補佐していた。
そういえば、子供保育園も町民課に属していた。
国民年金係長で左遷されたと思っていたが、公務員は公務員だから文句は言わないで、
やりたいことを探してやっていた。
お昼時間は交代で正職員が窓口業務にあたる。
死亡届、婚姻届け、印鑑証明・・・・。
窓口業務は臨時職の女性がほとんどしてくれた。
勉強会をしてくれて、マニュアルをマット下に敷いて、
臨時職員のいない間の昼休みの長いことながいこと・・・。
そのうち窓口の受付も何とかできるようになった頃のことだった。
火葬場の用地探しなども、課長の運転手として島めぐり。
エビの養殖場跡地が 現在の火葬場の建設になったが、 その前の段階だった。
前の社会福祉協議会長の後を引き継いで新協議会長が前の教育委員長とだと酒匂さんが語った。
酒匂さんの応援には行くことを約束していたので、出番の時間に合わせていこうと思っていたが、
会長の挨拶が聞きたくなって2時ちょうど玄関に酒匂さんも同時についた。
受付で、見学ですかと聞かれて、そうですと答えて中に入ったら、
クリスマス兼忘年会。
会長の挨拶はとても良かった。
子どもと認知が近い老人、身体に障害を持った方々の前でのあいさつはむつかしいが、
見事にこなしていた。
並んで腰かけて舞台を楽しむことができた。
酒匂さんに誘われたので、友情出演で島有泉の一升瓶でアル中踊りを披露した。
僕だとわかる人に挨拶をしたことを 一生忘れないだろう。
母をデイサービスに連れてきたことなど、
この施設から福祉サービスは始まったと言っても菅ゴンにはならないだろう。
福祉とは「みんなのしあわせ」 みんなのみどり」 を 包括する。
現在は 包括センターもできている。
社会福祉協議会を考えた良き日でした。