田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

うんちが出ない

2023-12-13 11:01:53 | 日記

 救急車を  よぼう。

  でんたくも携帯も  見つからいが   もれそう。
  トイレは0フォ歩く。


  失敗談を

    思いだそう。

  初めての   木っす。

     それと
   初めての  ポー  万芸。

        すうったもんだった

キイを書く

2023-12-11 04:48:27 | 日記
  又  酔っぱらった。

 記事を書く。
  
 キジを書く  恵やは息吹の砂嘴ぐさ
           さしもしらじな   もゆる思いも

  女遊び も 経験して
もゆる思いの  桜を   ゆの下でわかれて 
    上の  東京えきに  降りていた。


   不忍池  弁天小僧
  梅の  薩摩ご縁
   明治神宮  そして
            青山どおり




  わら口
       昨日は   にゃ九年債
           故郷を 離れた人が  何を思うか・・・。

  古里 ふるさと  同胞   ペペるモコ
      
 切ない     アパートのきい
             いつでも  愛テンス  どうぞ。

今朝も  酔ってます。
        幸せ。

        これ
           ばいりんがーp。

贅沢な朝食してみた

2023-12-10 05:44:12 | グルメ
 朝の暇な時間を使って自炊の練習をしてきた。
朝起きが早すぎて、今朝は1時半から活動している。
昨日は真弓先生の作ってくれた水炊きを三食 具を入れたして食べた。
豆乳を入れたらシチュー味がたのしめると、浜で出会ってお友達してる埼玉から移住した女史に教えてもらった。
早速試したら、美味しかった。二番汁はコンソメ、三番汁は豆乳にしよう。 三番汁は卵入れてかきたまにしていた。
私の鍋は  ちゃんこ」に似たようなものだ。
何でもあるものを入れて、とにかく煮込む。
だしの素をなんでも入れ、醤油も適当に味を濃くするために入れる。
味噌も適当に入れる。
味が上手くいかないときは、ゆずぽんと七味唐辛子でごまかして、
たくあん、ワサビ野菜、豚やカツオの油みそ、イカの塩辛、のりやふりかけ、いろいろなし好品が販売されているから、
ご飯が炊けたら  自炊は簡単だ。 学生時代に自炊をしていたから、あのころに比べれば今は楽ちん。
半自動の洗濯機、朝の冷たい水で顔を洗う、仕出し屋にも行けない。コロッケとアジの開き、トースト、卵焼きの目玉焼き。
インスタントのイタリアンスパゲッティ。もちろんインスタント札幌みそや出前一丁。
サバの味噌煮は料理の本を見ながら作った。
生サバの刺身は好物だったが、弟がサバに当たってアレルギーなので
彼がいないときに作った。
田舎の母がタコの燻製やら、豚の油みそなどを重宝して食べていた。
毎月の仕送りは9万円だったと思う。 お金が心配な時は田無市の下田夫婦のお宅に呼ばれてご馳走になっていた。
ちゃんとした食生活ができていたと回顧する。

 月に一度の現金封筒はには忙しいと言って、祖父が代筆して近況を送ってくれた。
母もミミズが張ったような文字で、おふくろの味のする手紙が届いた。
妹からも、おばさんたちからも、小遣いが送られてきて、
贅沢はできなかったが、友達には話せないぐらいの学生をしていたと思う。
同郷の学生だった知人の話を聞くとアルバイトで学校にはあまりいってないのもいた。 仕送りが続かないので、ラーメンばかり食べた。先輩の家でくわせてもらったなどと・・・。
下田さんが市会議員に当選して、奥さんは国立病院の婦長さんだった。 子どもができないので、僕を養子にしたいと言って、身だしなみをしっかりsるようにと、
かばんや服なども買ってくれた。
結婚式、下田のおばあさんの葬式の礼服は下田のおじさんおさがりだ。高級な仕立てで、カフスボタンとネクタイピンは真珠だった。
今でも形見に着ている。

 夢と希望に満ちた学生をさせてもらったので、私を包んで育てた方々の恩を忘れてはならないと思う。
還暦からアル中を認めて、入院治療して7年、スリップして3年経た今まだアルコールと真摯になって向き合っている。
来年の1月20日 飲むに挑戦する。
還暦の失態の埋め合わせをしたい。
リベンジする。
本気でやる気です。

 ふない神様・妹千賀子の恥をかかさないように 生活をきちんとしたい。
 最初に買ったカメラは妹のプレゼントだった。
学生の頃のアルバムはそれだったが、置き引きにあって熊本駅でオサラバした。
 兄妹仲良く孝行尽くす  手本になろう。
                           仮名手本忠臣蔵 泡盛窪

   夜が明けた  出かけよう。
      

福祉センターにて

2023-12-09 05:06:26 | 日記
 この施設は色んな会合や講演会、研修会等でよく利用されていると思う。
昨日は 朝活で日の出を拝む相棒の酒匂さんがボランティアで社会福祉協議会からお招きがあって
三味線で歌うという。



「頑張ってきてね!」と励ましたら、「ヤカもいっしょに応援に来てよ」と言われた。
有線の瓶」をもって踊ってくれたら  いいなー・・・。
あの施設は 国民年金係していた時、関わった思い出の施設だと、自慢話をしてしまった。
同僚のK君が担当していたが、ハード事業は不慣れだったようで、
心労の為か沖縄で治療を受けることになった。
課長が、お前は暇そうだから完成検査までの報告書を代りにやってくれという。
町民が勤務の間口業務にも慣れた頃だった。
産業課勤務時代から課長とは気が合った。
やりたいことをさせてもらっていたので、
補助金の手続き等はお手のもの、民生委員の担当も受けていたので、
喜んでさせてもらった。



その当時は町民課は大所帯だった。
保健も町民課が携わっていた。 保健所の担当も僕だった。
飲食店、美容、理容師組合の手続きも僕の担当だったので、
徳之島保健所には親しくしてもらった。
雇用保険も補佐していた。
そういえば、子供保育園も町民課に属していた。
国民年金係長で左遷されたと思っていたが、公務員は公務員だから文句は言わないで、
やりたいことを探してやっていた。
お昼時間は交代で正職員が窓口業務にあたる。
死亡届、婚姻届け、印鑑証明・・・・。
窓口業務は臨時職の女性がほとんどしてくれた。
勉強会をしてくれて、マニュアルをマット下に敷いて、
臨時職員のいない間の昼休みの長いことながいこと・・・。
そのうち窓口の受付も何とかできるようになった頃のことだった。
 火葬場の用地探しなども、課長の運転手として島めぐり。
エビの養殖場跡地が 現在の火葬場の建設になったが、 その前の段階だった。



 前の社会福祉協議会長の後を引き継いで新協議会長が前の教育委員長とだと酒匂さんが語った。
酒匂さんの応援には行くことを約束していたので、出番の時間に合わせていこうと思っていたが、
会長の挨拶が聞きたくなって2時ちょうど玄関に酒匂さんも同時についた。
受付で、見学ですかと聞かれて、そうですと答えて中に入ったら、
クリスマス兼忘年会。
会長の挨拶はとても良かった。




子どもと認知が近い老人、身体に障害を持った方々の前でのあいさつはむつかしいが、
見事にこなしていた。
並んで腰かけて舞台を楽しむことができた。
酒匂さんに誘われたので、友情出演で島有泉の一升瓶でアル中踊りを披露した。
僕だとわかる人に挨拶をしたことを  一生忘れないだろう。


母をデイサービスに連れてきたことなど、
この施設から福祉サービスは始まったと言っても菅ゴンにはならないだろう。
福祉とは「みんなのしあわせ」 みんなのみどり」 を 包括する。
現在は  包括センターもできている。
社会福祉協議会を考えた良き日でした。


核とダニ えやは息吹の砂嘴もぐさ

2023-12-08 19:15:06 | 日記
  
 

   これは私文書です。
 公文書を
   持ち帰った僕は犯罪者になる。

  日記を  公開したら  公開先に立たず・・・。

      暴露 生地になっちゃう。



 公務員は公務で得た秘密を保持することを宣誓させられる。

公務員のなりの果ての私の秘密は 国民年金の検認率を上げすぎて、
始末書を県庁まで持参せよとの通知であった。
検認率を上げるために  イーアール 算数  緒チョンがチョンと  やってしまった。
 因数分解が分からなかったので  分数に帰って考えてみた。  分母と分子で  %が出る。
100分の一が  一パーセント。 分母が  100でなくて  50だったらどうなるだろうか・・?
   想定外の数値が出た。
 これが  自分勝手のデータなんだ。
それからそれから  データをあれこれいじってみた。

  

 公務員の 秘密保持の時効は一生だろうか・・・。
記憶にございません。
 
  福祉センターで  お世話になった方に挨拶に言ったら  何方ですか  私はあほですけれど。
僕  僕ですよ。  モリクボ、 盛窪 え  !   覚えていない。
 まさか。

    有線瓶を抱きかかえて  踊ってきました。

  はっかーなー  ひゅうどーやー  ひゅー

    ひゅーから  まじみらん。



  埼玉から移住した人と長話をした。

 5時から放送する  帰りましょう。
   漂人語で  放送して  英語でも  中国語でも  放送したら面白いと思った。

  私は夕方  イタリアの漂流物クオリアの方と  ティよー間に用で会話した。
 すれ違いがあっても  いつかはわかる。

     ゆっくり。


   仁とよー人とよー・・・。
      これを分かってくれる教育者は少ない。