くにたちの声

国立市の市政について、国立市民・納税者の立場から発言していきたいと思います☆ presented by Y.Suzuki

祝!国立市が上原公子元市長に対して損害賠償を求めた訴訟で市側の勝訴確定

2016年12月24日 22時04分00秒 | 国立マンション訴訟

国立市の上原公子元市長が、市内のマンション建設をめぐりマンション事業者の営業を妨害し、信用を毀損するという不法行為を行った結果、市に約3100万円の損害を与えたため、市から損害賠償を請求された訴訟で、最高裁判所は12月13日付けで上原元市長の上告を棄却した。

これにより、上原元市長に約3100万円の損害賠償を命じた東京高裁判決(2015年12月22日)が確定した。

この訴訟は、私たち国立市民有志が提起した住民訴訟(第一段階訴訟)で私たち原告が勝訴したことを受けて、国立市が地方自治法にしたがって提起した第二段階訴訟である。

総務省によれば、住民訴訟(2007年4月~2009年3月)の原告勝訴率は、わずか4.1%に過ぎない。言い換えれば、大部分の住民訴訟は、司法により門前払いにされているのが現状である。

こうしたなかで、第一段階訴訟、第二段階訴訟ともに原告側が勝訴したということは、私たちの主張の正当性を裏付けるものであり、大変意義深い。まさに、自治体の財務会計上の行為を住民がチェックするという住民自治が実現された典型例といえよう。

この事案は、今後、住民訴訟の重要な判例として、地方自治の分野に足跡を残すことになろう。

そしてまた、原告住民のひとりとして、自治体の首長による不法行為に苦しむ住民が住民訴訟を提起する際、この事案が道しるべになれば幸いである。

私たちが住民訴訟を提起してから、この度の勝訴確定まで約7年半の歳月が過ぎた。この長い闘いの間、私たちを応援してくださった方々に心より御礼を申し上げたい。

どうもありがとうございました。

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快挙! 市議会が求償権行使を求める決議を可決

2015年06月03日 00時06分08秒 | 国立マンション訴訟

さる5月19日に開催された国立市議会平成27年第1回臨時会で、素晴らしい決議が可決された。

「上原公子元市長に対する求償権の行使を求める決議」である。

市役所1階の情報コーナーで、決議の内容が公開されているとのことで、昨日、友人がコピーしてきてくれた。

この決議に賛成された13名の良識ある市議の方々には、当該住民訴訟原告のひとりとして、深く感謝したい。

これこそ、まさに最新の民意を反映させる形での責任ある市議会運営である。

 

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本日の期日延期について

2015年03月11日 01時23分02秒 | 国立マンション訴訟

本日3月11日に予定されていた、国立市vs上原公子元市長訴訟の控訴審口頭弁論期日は、延期となった。

次の期日は、未定である。

本来ならば本日で控訴審は結審し、判決言い渡し日が決められるはずであった。

延期の原因は、この訴訟が係属している東京高裁第17民事部における人事異動である。

具体的には、上記控訴審で裁判長を務めていた第17民事部部総括の菅野博之裁判官が転出し、後任に川神裕裁判官が就任したためである。

私は、先月はじめにこの人事異動が発表された時点で、こうした期日延期があり得るだろうと期待を込めて予想していた。

なぜなら、後任の部総括に就任した川神裕裁判官は、私たち国立市民有志が提起した住民訴訟(上原元市長への求償権行使を求めた訴訟:いわゆる1段目訴訟)において、2010年12月22日、私達の請求を全面的に認める判決を下した裁判長(東京地裁民事第2部)、その人だからである。

かつて、川神裁判官が裁判長として下した判決と180度違う地裁判決(2014年9月25日東京地裁民事第2部判決:いわゆる2段目訴訟の第一審判決)を不服として国立市側が控訴した結果、現在進行中の第二審は、前述のように東京高裁第17民事部に係属していて、偶然にも、その部の部総括に川神裁判官が就任したわけである。

川神裁判官が裁判長としてこの控訴審を担当するか否かは微妙であるが、その可能性は皆無ではなかろう。

いずれにせよ、川神裁判官は部総括として、自分の後任である東京地裁民事第2部の裁判官ら(裁判長は増田稔裁判官)が書いた上記2段目訴訟判決をじっくりと時間をかけて吟味するに違いない。

今回、期日が延期されたのは、主としてこのためであろう。

 

私たち国立市民有志が今回の控訴審の基となる住民訴訟を提起してからすでに6年近くになる。

その当時からこの訴訟に関心を持たれ、かつこのブログを読まれてきた方々なら、今回の期日延期がどのような意味を有するか、もうお解りのことと思う。

私がこれ以上述べる必要は、あるまい。

なかなか面白いことになってきた、というのが私の率直な感想である。

 

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国立市における債権放棄の議案を嗤う (その2 完)

2014年01月28日 21時29分20秒 | 国立マンション訴訟
前回このブログで紹介した、上原公子元国立市長に対する債権を放棄する議案(決議案)は、昨年12月の国立市議会第4回定例会最終日(12月19日)に理不尽にも可決されてしまった。
まさに、国立市議会の歴史に残る汚点である。
ちなみに、放棄する債権とは、上原元市長に対する3123万9726円及びこれに対する2008年3月28日から支払い済みまで年5分の割合による遅延損害金の求償権である。

しかしながら、前回も述べたとおり、この決議に法的な効力はない。
なぜなら、佐藤一夫市長が放棄の意思表示を行っていないからである。
その証拠に、12月20日付け読売新聞朝刊には、「請求権は放棄せず、司法の判断を待つ」という佐藤市長のコメントが掲載されている。

さて、今回は、この決議に潜む矛盾について明らかにしていきたい。

この決議に賛成した11名の市議は、現在の市議会における野党側に属している。
厳密に言うなら、昨年までは与党会議にも野党会議にも顔を出していたコウモリのような市議1名を含む合計11名ということになる。
これらの市議らは、常日頃、住民自治や、市政への住民参加を声高に主張している。
いわゆる革新系の市議らである。
しかしその一方で、今回は、住民自治・住民参加の手段として制度化されている住民訴訟を空洞化するような行動をしている。
まさに自己矛盾としか言いようがない。

法を守らずに無法市政を続けた結果、司法の場で違法行為を認定された上原元市長と、その元市長を庇うために、司法の判断を全く顧みない市議ら。
法の支配や三権分立といった民主主義の原則はどこへ行ってしまったのだろう。
これが、文教都市と呼ばれる国立市の議会の実態である。

ところで、上記の市議らが債権放棄の決議をするということは、その債権の存在を認めるということが前提になることは言うまでもない。
もちろんその債権は、私たち国立市民有志が提起し、全面勝訴した住民訴訟において、東京地裁判決(平成22年12月22日:判例タイムズ1360号105頁)が認容したものである(この判決は既に確定している)。
すなわち上記市議らは、上原元市長には同元市長による違法行為に起因する国立市に対する損害賠償責任が存在し、ゆえに国立市には、同元市長に対する国家賠償法上の求償権が存在することを認めたうえで、この権利を放棄する決議を行ったということである。

しかし、今回の第二段階訴訟において、上原元市長は、第一段階訴訟(住民訴訟)で認定された自らの違法行為は景観保護のために行ったものであるから、違法ではないと主張している。
この主張は、上記市議らによる債権放棄決議と真っ向から対立する。
上原元市長を庇うためになされた債権放棄決議が、上原元市長の訴訟での主張と対立する、という皮肉な結果を招くこととなった。

当然ながら、上原元市長は、あくまで自らの信念を貫き、自らの行為の適法性を主張し、損害賠償責任など存在しない旨、主張し続けるべきであろう。
そして、堂々と司法の判断を仰ぐべきである。
それが、法治国家における政治家としての矜恃ではなかろうか。

それに、そもそも今回の国立市議らの債権放棄の動きや、議案の内容について、上原元市長は事前に知っていたはずである。
したがって上原元市長は、「債権放棄はやめてほしい。自分は景観保護のためにやったのだから、自分の行為は違法ではない。このことを司法の場で徹底的に争うので、違法行為に起因する自分の債務など認めるわけにはいかない。だから、債権放棄などという余計なことをするのはやめてほしい」と上記市議らに対して主張すべきであった。
もちろん、今からでも遅くはない。

にもかかわらず、現在に至るまで上原元市長は、今回の上記市議らによる債権放棄決議に反対の意思表明をしていない。
何故なのか?
実に不可解である。
このままでは、債権放棄決議にすがりついてでも構わないから、ただひたすら、第二段階訴訟で請求されている損害賠償金の支払いを免れたいがためであると解釈されても仕方あるまい。
そうだとしたら、無責任極まりないし、自己矛盾も甚だしい。
まったく筋の通らない話である。

最後に、参考までに紹介すると、上原元市長が8年間の市長時代に国立市から受け取った報酬が、2012年6月14日の国立市市議会第2回定例会において明らかにされている。
会議録によれば、同日、中川喜美代市議は、次のような質問をしている。
「一体、元市長は、市長時代の8年間、国立市から給与、期末手当、退職手当、合計で幾らもらったのですか。」

これに対する竹内正美総務部長(当時)の回答は次のとおり。
「条例上の月額給料が95万円でございますので、これに基づき算出しますと、10万円未満は切り捨ててございます。給料が8,960万円、これは8年間です。期末手当が4,000万円。退職手当が2,660万円で総額1億5,620万円となります。これは税等の控除前の収入の金額ということでございます。」

8年間で1億5,620万円。
これだけの報酬を受け取っておきながら、自らが国立市に与えた損害については頬被りするなど、決して許されることではない。 
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国立市における債権放棄の議案を嗤う (その1)

2013年12月18日 23時50分14秒 | 国立マンション訴訟
現在開催されている国立市議会第4回定例会において、上原公子元市長に対する債権を放棄する議案が提出され、明日19日の最終日に可決される見通しであるという。

この債権とは、私たち国立市民有志が提起した住民訴訟で私たち原告住民が全面勝訴した結果生じたもので、国立市が上原元市長に対して約3200万円及び遅延損害金を求償する権利のことである。
要するに、住民訴訟で上原元市長の違法行為が認定され、その結果、同元市長に損害賠償責任が生じたわけであるが、同元市長を支持する11名の市議が、同元市長に対する求償権を放棄するという議案を可決しようとしているのである。

このような、住民訴訟制度そのものを空洞化するような行為は、決して許されるべきではない。
また、これは明らかに議会の裁量権の濫用である。

現在の議会構成を考慮すると、この議案は19日に可決される可能性が高いが、その結果、上記債権の放棄は法的に有効となるのであろうか?

結論から言うと、上記議案が可決されたとしても、法的な効力は生じない。
なぜなら、市議会が債権放棄の議決をしただけでは放棄の効力は生ぜず、その効力が生ずるには、市長による執行行為としての放棄の意思表示を要するからである。
このことは、昨年4月20日に下された大東市債権議決放棄事件神戸市債権議決放棄事件の最高裁判決が明確に判示している。

つまり、佐藤一夫市長が、上記債権を放棄する旨の意思表示をしない限り、放棄の効力は生じないということになる。
今さら言うまでもないことであるが、佐藤市長は、2011年の市長選における選挙公報で、「マンション訴訟で前市長が違法行為により市に与えた損失を請求する」と明示しており、上原元市長への求償権行使を選挙公約に掲げている。
したがって、佐藤市長が放棄の意思表示を行う可能性はゼロに等しい。

また、佐藤市長には、この議案が可決された場合、それに対する異議を示すために再議に付す権限が地方自治法176条によって与えられている。
ゆえに、再議に付して再度採決するという選択肢も残されている。もっともこの場合、再可決に必要な票は過半数なので、再び可決されてしまうことになるが、市長が債権放棄に反対であることは、証拠として残る。

いずれにせよ、明日可決される見込みの債権放棄の議決が、法的な効力を生じないことは間違いない。


次に、この議案には、事実に反する記述や矛盾が存在することに触れておきたい。

まず、議案には「2008年3月最高裁決定により確定した損害賠償金及び遅延損害金は、同額を明和地所が国立市に寄付したことにより、国立市側には実質的な損害は生じていない」とあるが、これは事実ではない。
これまでにも同様な言説が、上原元市長を支持する市議らによって、さまざまな場で公表されてきたが、全く事実に反する。

明和地所は、賠償金と同額の寄附をしているものの、この寄附は、あくまで国立市民のための教育・福祉の施策の充実にあててほしいとの趣旨の一般寄附であって、国立市が明和地所に支払った損害賠償金を補填する趣旨でなされたものではない。
この寄附について、第一段階訴訟(住民訴訟)における2010年12月22日の東京地裁判決(確定判決)は次のように判示している。

「本件寄附は、国立市による本件損害賠償金の支払を契機として行われたもので、本件損害賠償金と同額のものではあるが、 明和地所においては、本件損害賠償金に係る債権を放棄してこれを返還することは明示的に拒絶し、国立市における子供たちの教育環境の整備や福祉の施策等に役立ててほしいとの趣旨を明示して拠出されたものであり、 これを収受した国立市においても、本件損害賠償金の返還ではなく一般寄附として取り扱ったものであること、 明和地所は、本件寄附の申出前には、国立市が同社に対して本件損害賠償金に含まれていない前件訴訟の訴訟費用に係る請求をするのであれば、本件損害賠償金相当額から当該請求額を差し引いた額を寄附する旨述べ、結果的に、国立市が前件訴訟の訴訟費用に係る請求を放棄することを事実上の条件として本件寄附の金額が確定したことに照らすと、本件寄附は、本件損害賠償金を実質的に填補する趣旨でされたものとはいえず、これをもって国立市の損害が実質的に填補されたから本件求償権が消滅したと認めることはできない。」(判決36-37頁)

したがって、「明和地所の寄附によって国立市に実質的な損害が生じていない」という論理は成り立たないのである。

さらに、上原元市長の違法行為によって国立市が被った金銭的損害は、市が肩代わりしている約3200万円にとどまらない。
実際に国立市が被った金銭的損害は、合計約1億5000万円にものぼる。
この金額は、市が肩代わりして明和地所に支払った損害賠償金、上原元市長の違法行為を弁護するための弁護士費用、そして本来なら明和地所から市へ納入されるはずの協力金を合計した額である。

上記東京地裁判決は、市が肩代わりしている約3200万円以外にも、上原元市長が国立市に与えた金銭的損害について、次のような金額を認定している。

「国立市は、 前件訴訟に関して、弁護士費用等の裁判費用として3918万904円を公金から支出したほか、 本件建物についての新指導要綱に基づく清掃施設協力金及び公園・緑地整備協力金を7881万2000円と試算していたが、明和地所との間の都市景観形成条例に基づく手続きが未完であったため、指導要綱の事前協議の完了及びその後の手続きである当該事業計画に対する承認ができず、上記協力金の納入手続きが実施できない状況にある。」(判決36頁)

このように裁判所は、上原元市長が国立市に対して、合計約1億5000万円もの金銭的損害を与えたと認めている。
ということは、上原元市長が市の請求にしたがって、約3200万円及び遅延損害金を支払っても、まだ十分な補填をしたことにはならないのである。

(続く)
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東京新聞8月4日付け記事への反論 (その5-完)

2012年09月01日 12時11分47秒 | 国立マンション訴訟
(前回より続く)


<問われる東京新聞の姿勢>
最後になるが、こうした偏った記事を朝刊一面に掲載した東京新聞の姿勢を問いたい。

東京新聞は日本新聞協会会員であり、当然、同協会の倫理綱領を遵守する義務がある。
この倫理綱領の冒頭には、「国民の『知る権利』は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。」と書いてある。

そして、倫理綱領の「自由と責任」という項目には、次のような一文がある。
新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。

次に、「正確と公正」という項目には、以下のような文章が続く。
新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。

東京新聞は、こうした倫理綱領を遵守していると言えるのであろうか。

また、東京新聞は自らの親会社である中日新聞のホームページにおいて、社是は「真実」「公正」「進歩的」であるとしたうえで、「本当に読者が必要としている『真実』の情報を『公正』な視点で、そしてその一歩先行く考えを示す『進歩的』な報道姿勢を貫いていきます。」と述べている。

今回の記事を読む限り、東京新聞の姿勢は、上記倫理綱領および社是に謳われている文言とは全く懸け離れていると言わざるを得ない。

現在係争中の事件について、事実関係をよく調べずに、当事者の一方のみを取材してその一方を擁護する記事を書くという姿勢は、報道機関として如何なものであろうか。

東京新聞の報道機関としての中立性・公平性・正確性は、いったいどこに担保されているのであろうか。
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東京新聞8月4日付け記事への反論 (その4)

2012年08月31日 23時05分59秒 | 国立マンション訴訟
(前回より続く)

<詭弁と問題のすり替え>
最後の文章に至っては、ただただ、呆れ果てるばかりである。

・・・・・・・・・・・・
市長個人の責任とされることは、街づくりを住民自らが決めることの否定にもなる。だからこそ強く決意する。「この裁判、絶対負けるわけにはいかない」。国立の風景にほれ込んだ『市民』としての意地である。
・・・・・・・・・・・・

まず、これもいったい誰の言葉なのか?
これも上原元市長の言葉であるなら、前述の部分とともに、きちんとその旨を記述すべきである。

市長個人の責任とされることは、住民自らが決めることの否定になる」とあるが、これはまったくの詭弁である。
裁判で個人的な責任を取れと追及される政治家は、法を犯した政治家のみに限られる。
当然ながら大部分の政治家は、法を遵守しながら誠実に政策を遂行しているのであって、この発言は、こうした大部分の政治家を貶めることにもなろう。
法治国家において、法を犯した政治家が裁判で責任を追及されることが、何故、住民自治の否定につながるのであろうか。
理解し難い詭弁であり、法治国家の大原則を無視して、我田引水のために問題をすり替えているに過ぎない。

この問題を、景観保護問題にすり替えてはならない。
この問題の本質は、景観保護の是非にあるのではない。
国立市民のほとんどは、景観保護に賛成のはずである。
もちろん私も賛成する。

この問題の本質は、上原元市長が景観保護のためと称して行った行為の是非なのである。

既に確定している東京高裁判決は、この行為について、「マンション業者が営業活動の自由を保障されるのは当然であり、元市長らは地方公共団体又はその首長として、これを尊重すべき義務を負っている。また、地方公共団体及びその首長は一定の権力性を有し、首長は地方公共団体を代表する(地方自治法147条)ことなどから、行政目的を達成する上での中立性・公平性が要請されるものと解される。元市長らもこれらに沿った行為をする義務があるというべきである。」と判示している。

そのうえで、判決は「元市長は、反対住民らの妨害行為をも期待しながら、マンション業者に許されている適法な営業行為すなわち本件建物及び販売等を妨害したものと判断せざるを得ない」とし、元市長の営業妨害行為を違法と判断した。

この確定判決の判断が、現在東京地裁に係属している二段階目訴訟で覆ることはあり得まい。

(続く)
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東京新聞8月4日付け記事への反論 (その3)

2012年08月30日 23時05分00秒 | 国立マンション訴訟
(前回より続く)


<法治主義の否定>
こうした不正確な報道に加え、この記事には、次のような驚くべき記述が存在する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
政治家は、選挙を通じて託された民意を政策として実現することが求められる。ただ多数の同意はあっても、不利益を感じる人もいる。政策実現のために生じた不利益は、住民全体で責任を負う。つまりは税金で補填(ほてん)していくのが、民主主義の本来の姿のはずだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これを読んで、私は唖然とした。

政治家の政策実現のために不利益が生じることは、珍しくない。
しかし、不利益が違法行為に起因する場合には、政治家が国家賠償法上の責任を問われることは言うまでもない。

また、政策実現のために、地方公共団体において違法な財務会計行為がなされた場合にも、住民訴訟という手段によって政治家は責任を問われることになる。
これが、法治主義の原則である。

そして、法治主義の根幹をなすのが、「法律による行政の原則」である。
すなわち、行政の違法性を審査する裁判所によって、行政の司法による統制が行われる、という法理である。
この法理は、日本国憲法第41条により「法律の優位」として根拠づけられており、法律の規定と行政活動が抵触する場合、法律の規定が優位に立ち、行政活動は法律に違反してはならず、違法な行政活動は無効になる、とされている。
このような基本的な原則は、行政法の教科書で必ず解説されている(例えば宇賀克也『行政法概説Ⅰ 第4版』27~28頁)。
もし、この記事の言うように、政治家の政策実現で生じた不利益を税金で補填しなければならないとしたら、その政治システムとは、まさに専制独裁主義であろう。

人類は、専制君主の独裁から国民の権利を守るために「法治主義」を考え出し、現在の日本もこの法治主義を採用している。

にもかかわらず、あろうことか、この記事は法治主義を否定しているのである。
このような、目的のためなら何をやっても構わないという考え方は、鯨を保護するためなら、捕鯨船の乗組員や捕鯨船を傷つけても構わない、という無法者の思想と通底するものがある。
自明のことであるが、いかに自らの政策を実現するためであったとしても、違法行為を犯した政治家は、当然自らその責任を負わなければならない。
これは、法治国家の大原則である。

<意味不明な記述>
そしてさらに、誰が書いたのか、誰の発言なのかが不明な、偏った思い込みによる記述が続く。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
政治家は中立ではいられない。変革が求められる今の時代はなおさら、政策の継続性を求められるだけなら、選挙の意味がない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは、いったい誰の言葉なのか?
今までの脈絡からすると、恐らく上原元市長の発言なのであろう。
それにしても、意味不明な記述である。

昨年の市長選では、少なくとも国立市民は、政策の継続性など求めず、過去12年間の違法市政にNOを突きつけた結果、現在の佐藤市長が誕生したのである。
いったい誰が、政策の継続性を求めているというのか?
何が言いたいのか、まったく意味不明である。

(続く)
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東京新聞8月4日付け記事への反論 (その2)

2012年08月29日 22時03分00秒 | 国立マンション訴訟
(前回より続く)

<住民訴訟の提起>
国家賠償法は、公務員の犯した違法行為に起因する損害については、国または公共団体が賠償する責任を負うと定めている(国家賠償法第1条第1項)。
国立市は、この国家賠償法の規定に基づき、前記確定判決にしたがって損害賠償金約3100万円(遅延損害金を含む)をマンション業者に支払った。
つまり、上原元市長の違法行為に起因する損害賠償金を、国立市が肩代わりしたという構図である。
言うまでもなく、この支払いは、私たち国立市民の血税によって賄われている。

ところで、国家賠償法には、公務員が違法行為を犯した場合、当該公務員に故意又は重大な過失があったときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する、という規定がある(国家賠償法第1条第2項)。
そこで、私たち国立市民有志は、上記確定判決を熟読した末に、上原元市長の違法行為は故意によるものであると判断し、平成21年5月、当時の関口博国立市長を相手取り、上原元市長に対する求償権を行使するよう求める住民訴訟を提起した。
市が肩代わりした賠償金相当額を自ら弁償するよう上原元市長に請求せよ、というのが私たちの主張である。

国立市民・納税者としては、上原元市長の違法行為の尻ぬぐいに私たちの血税を3100万円も使うなんて、到底許しがたいというのが率直な気持ちであった。

平成22年12月22日の東京地裁判決は、私たちの主張を全面的に認め、被告の関口前市長に対して、上原元市長に約3100万円を請求するよう命じた。

この東京地裁判決は、上原元市長の違法行為について、「元市長はその職務を行うについて、重大な過失により、国家賠償法上違法である本件違法行為をし、これによってマンション業者に損害を与えた」と判示している。
関口前市長は、上原元市長の政策を引き継いでいたため、この判決を不服として東京高裁に控訴した。
しかし、平成23年4月の市長選において、「法を守る市政」をスローガンに掲げ、上原元市長に対する求償権行使を表明していた佐藤一夫氏が関口前市長を破って当選したため、当然、佐藤新市長は、控訴を取り下げるに至った。
これにより、上記東京地裁判決は確定することとなった。

佐藤市長は、確定した東京地裁判決にしたがって、上原元市長に約3100万円の損害賠償請求を行ったが、支払われなかった。このため、国立市は地方自治法の規定に基づいて、元市長に対する損害賠償請求訴訟を提起したのである。
住民訴訟で確定した判決に基づいて、公共団体が提訴をするという、地方自治法に規定されたいわゆる二段階目訴訟である。

<事実に反する記事内容>
このように改めて事実を確認してみると、当該記事にある「条例をつくったことがもとになって、市から三千万円払えと訴えられている」という記述は、事実に反していることがわかる。
国立市から損害賠償請求されている原因は、条例をつくったこと自体にあるのではないからである。
原因は、急激かつ強引な行政施策の変更と認定された、条例制定過程にある。

また、原因は、これだけではない。
確定した前記東京高裁判決が認めているように、他に三つの違法行為が損害賠償請求原因として存在するのである。
しかし、この記事は、上原元市長が犯した四つの違法行為には触れず、合法的な営業活動を行う企業の営業妨害・信用毀損を行ったために損害賠償を命じられたことも書かれていない。

国立マンション訴訟の詳細を知らぬ読者がこの記事を読んだら、「景観を守るために条例をつくったこと」に基づく損害賠償責任を「上原元市長個人」が負う、と誤解するに違いない。
もちろん実際はそうではなくて、前述したように、上原元市長が、重大な過失により営業妨害および信用毀損を行ったため、裁判所が元市長に賠償を命じた、というのが真実なのである。

(続く)
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東京新聞8月4日付け記事への反論 (その1)

2012年08月28日 23時31分33秒 | 国立マンション訴訟
前市長・元市長が2代続けて違法行為を犯し、住民から提起された住民訴訟でともに敗訴するという前代未聞の不祥事が続く国立市。
この住民訴訟が原告住民側勝訴で確定したため、現在、地方自治法の規定に則り、国立市が原告となって前市長・元市長に損害賠償を求める二段階目の訴訟が東京地裁に係属中である。
ところが、この訴訟をめぐって、最近、違法行為を犯した元市長を擁護する偏向報道が相次いでいる。

当該住民訴訟の原告代表としての立場から、こうした報道に対する反論を試みる。

<東京新聞の記事>
さる8月4日付け東京新聞朝刊の記事も、そのひとつである。
同朝刊1面トップに、「守った景観 自治か独裁か 元国立市長 求められた賠償3000万円」という見出しの記事が掲載された。
この記事には、小嶋麻友美という署名が入っている。

記事は、「東京都国立市のJR国立駅からまっすぐに延びる桜とイチョウの並木道。」という文章ではじまる。
そして、「元市長の上原公子さん(63)は在任当時、建物を並木と同じ高さまでに制限する条例を定めた。そのことがもとで今、市から三千万円払えと訴えられている。」と続く。

さらに、記事は次のように続く。

・・・・・・・・・・・・・・・・
上原元市長は、景観を守るために条例をつくったのに、それが原因でマンション業者から訴えられ、「業者の営業を妨害した」とする判決が確定したために国立市が業者に三千万円を支払った。これを上原元市長に請求するよう市に求める裁判が住民から起こされ、東京地裁は「強引に政策変更した行為は違法」とし、責任を市長一人に押しつけた。
こうした動きを疑問視する弁護士が全国から名乗りを上げ、約四十人が手弁当で元市長を支えている。

・・・・・・・・・・・・・・・・

要するに、この記事は上原公子元市長を一方的に擁護する、不公正な記事なのである。
つまり世に言う提灯記事である。
そればかりか、一連の訴訟に関する記述には不正確な部分があり、さらには、法治主義や「法律による行政」を否定するような主張もなされている。

このような低次元の言説については、本来黙殺するのが妥当であると思われるが、東京新聞という有力メディアが、多摩版ではなく朝刊一面といういわば全国版に掲載したことを重視して、敢えて反論をする。

<マンション建設をめぐる訴訟の経緯>
まず、上原元市長をめぐる訴訟について、事実関係を確認しておきたい。

平成13年、国立市内に建設されたマンションをめぐり、マンション業者が国立市を相手取って、信用毀損を理由に損害賠償を求める訴訟を提起したのが、今回の問題の発端である。
平成16年2月の東京地裁判決は、上原元市長の信用毀損行為を違法と判断し、その違法行為に起因する国立市の国家賠償法上の責任を認めたうえで、マンション業者の請求額の満額を認容し、国立市に4億円の損害賠償を命じた。

この後、平成17年9月の東京高裁判決は、損害賠償額を2500万円に減じたものの、上原元市長らの営業妨害行為および信用毀損行為を違法と判断し、第一審判決と同様に国立市の国家賠償法上の責任を認めた。

この高裁判決は、上原元市長らの違法行為について、以下の四点に分類している。

元市長による本件マンション建設計画の漏洩により、本件マンション建設計画に対する反対運動が発生し、マンション業者による本件マンション建設計画の説明会が大きく紛糾したこと(本件第一行為)。
元市長および国立市は当初は、本件マンション建設計画に対する具体的な指導は行わず、マンション業者に対し、専ら大学通り周辺の景観保全のための自主的な対応を期待していたが、元市長の強い意向もあって、建築物の高さを20メートル以下に規制する地区計画および条例の制定という方策に変更し、平成12年1月24日に地区計画の告示・施行、同年2月1日に条例公布・施行に至ったこと(本件第二行為)。
元市長は、平成13年3月6日および同月29日の定例国立市議会において、留保を付けずに本件マンションが違反建築物である旨答弁をし、これを受けた反対派住民らが、本件マンションが違反建築物である旨を記載したポスター、チラシ、看板等を街頭に配布・掲示したこと(本件第三行為)。
元市長は、平成12年12月27日、建築指導事務所長に対し、平成12年の東京高裁決定での本件マンションが違反建築物である旨の判断部分を尊重する対応を求めるとともに、平成13年12月20日、マンション業者に本件マンションの検査証を交付したことについて、反対派住民らと共に東京都建築主事に抗議し、また、東京都知事に対し、同年7月10日付け文書で、本件マンションのうち、高さが20メートルを超える部分について、電気、ガスおよび水道の供給承認を留保するよう働きかけ、これらについて広く報道されたこと(本件第四行為)。

そのうえで、高裁判決は次のように判示している。
上記四つの上原元市長らの行為については、「全体としてみれば、本件建物の建築・販売を阻止することを目的とする行為、すなわち第一審原告の営業活動を妨害する行為であり、かつ、その態様は地方公共団体及びその首長に要請される中立性・公平性を逸脱し(特に本件第一行為及び第四行為)、急激かつ強引な行政施策の変更であり(特に本件第二行為)、また、異例かつ執拗な目的達成行為(特に本件第一、第三及び第四行為)であって、地方公共団体又はその首長として社会通念上許容される限度を逸脱しているというべきである。」とし、「第一審被告らの本件第一ないし第四行為は、全体として第一審原告の営業活動を妨害する違法な行為であったということができる」と結論づけた。

この高裁判決は、平成20年3月の最高裁決定により確定している。

(続く)
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元市長は、少なくとも重大な過失により、自ら主体的かつ積極的に違法行為に及んだ(判決より)

2011年10月09日 22時46分09秒 | 国立マンション訴訟
残念なことに、国立市には、違法行為を犯した関口前市長と上原元市長を擁護する市議らが存在します。
法治国家の自治体において、2代続けて違法行為を犯す首長が出現すること自体前代未聞なのに、ふたりの違法首長を擁護する市議がいるなんて、国立市民としては情けない限りです。

こうした一部の市議らが、事実に反する言説を流布させていることは、すでに前回(9月27日)のこのブログでもご紹介しました。

今日は、第二弾をご紹介しましょう。
それは、「上原元市長の違法行為には、重大な過失は認められないから求償権は発生しない」というものです。
これは、事実に反するデマです。

市議会議員という公職に就いている人たちが、どうしてこのような虚偽の言説を流布させるのか、まったく理解できません。

私たち原告住民が、上原元市長への求償権行使を求めて提訴した住民訴訟では、昨年12月22日に東京地裁判決が言い渡されています。
この判決は、「上原元市長の重大な過失」について、次のように明快に述べています。

上原前市長は、普通地方公共団体の長として行政目的を達成する上での中立性・公平性が要請される立場にありながら、建築基準法に違反しない適法建築物である本件建物の建築・販売を阻止することを目的として、少なくとも重大な過失により、自ら主体的かつ積極的に違法行為に及び、これにより明和地所に損害を与えた」(判決書37頁)


公務員が違法な行為によって他人に損害を与えた場合、国家賠償法という法律に基づき国や地方公共団体がその公務員に代わって損害を賠償することになっています。したがって、上原元市長の違法行為が原因で生じた損害賠償金約3200万円は、国立市が肩代わりして明和地所に支払ったわけです。
ただし、公務員の違法行為に故意または重大な過失があった場合には、国や地方公共団体は、その公務員に対して求償することができます(国家賠償法第1条第2項)。

上原元市長の違法行為には故意又は重大な過失があったので、上原元市長は自らの責任で国立市が肩代わりした約3200万円を支払うべきだ、と私たち原告住民は考えて、今回の住民訴訟を提起しました。
国立市民・納税者としては、違法行為を犯した市長の後始末を私たちの血税で賄ってもらっては困ると考えたのです。
当然ですよね。

その結果、上記判決は、上原元市長の「少なくとも重大な過失」を認定しました。
この判決はすでに確定しているので、法治国家の自治体首長である佐藤市長は、判決にしたがって上原元市長に市が肩代わりしている損害賠償金の支払いを請求しましたが、上原元市長は支払を拒んでいます。
したがって、地方自治法の規定に基づき今度は国立市が原告となって、上原元市長に対して損害賠償請求訴訟を提起することになります。

上記のような、法に基づく一連の手続きは、上原元市長が「少なくとも重大な過失により違法行為に及んだ」という裁判所の認定に起因しています。
言うまでもなく、こうした認定がなければ、国立市が求償権を行使することもないわけです。
すなわち、このことは、一部市議らが流布している言説がデマに過ぎないという証左でもあります。
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「二重取り」説は、まったくのデタラメ!

2011年09月27日 23時42分27秒 | 国立マンション訴訟
9月18日付けのこのブログで、最近国立市では、私たち住民が提訴して私たち住民の勝訴が確定している2件の住民訴訟をめぐって、事実に反するデマが流布されていることをご紹介しました。

こうしたデマのひとつに、「二重取り」説というのがあります。

これは、自らの違法行為が原因で国立市に約3200万円もの損害を与えた上原公子元市長に対する損害賠償請求訴訟提起に反対する国立市議らが流布しているデマです。

要するに、国立市は、上原元市長の違法行為(営業妨害及び信用毀損)が原因で明和地所に約3200円の賠償金(遅延損害金を含む)を支払ったが、明和地所がこれと同額の寄附を国立市に行ったため、国立市には損害が発生していない、というものです。

したがって、国立市が上原元市長に損害賠償請求をすると「二重取り」になるという主張なのですが、これは事実に反しています。

まず、明和地所は、賠償金と同額の寄附をしているものの、この寄附は、あくまで国立市民のための教育・福祉の施策の充実にあててほしいとの趣旨の一般寄附であって、国立市が明和地所に支払った損害賠償金を補填する趣旨でなされたものではないのです。
この寄附について、昨年12月22日の東京地裁判決(確定判決)は次のように判示しています。

本件寄附は、国立市による本件損害賠償金の支払を契機として行われたもので、本件損害賠償金と同額のものではあるが、明和地所においては、本件損害賠償金に係る債権を放棄してこれを返還することは明示的に拒絶し、国立市における子供たちの教育環境の整備や福祉の施策等に役立ててほしいとの趣旨を明示して拠出されたものであり、これを収受した国立市においても、本件損害賠償金の返還ではなく一般寄附として取り扱ったものであること、明和地所は、本件寄附の申出前には、国立市が同社に対して本件損害賠償金に含まれていない前件訴訟の訴訟費用に係る請求をするのであれば、本件損害賠償金相当額から当該請求額を差し引いた額を寄附する旨述べ、結果的に、国立市が前件訴訟の訴訟費用に係る請求を放棄することを事実上の条件として本件寄附の金額が確定したことに照らすと、本件寄附は、本件損害賠償金を実質的に填補する趣旨でされたものとはいえず、これをもって国立市の損害が実質的に填補されたから本件求償権が消滅したと認めることはできない。」(判決36-37頁)

裁判所が明確に認めているように、明和地所による寄附は、国立市が支払った損害賠償金を補填するものではなく、求償権も消滅しないのです。

したがって、「明和地所の寄附によって国立市に損害が生じていない」という論理は成り立ちません。

さらに、上原元市長の一連の行為によって国立市が被った金銭的損害は、市が肩代わりしている3200万円にとどまらないのです。
実際に国立市が被った金銭的損害は、合計約1億5000万円にものぼります。
すなわち、市が肩代わりして明和地所に支払った損害賠償金、上原市長の違法行為を弁護するための弁護士費用、本来なら明和地所から市へ納入されるはずの協力金を合計した額です。

市が肩代わりしている3200万円以外にも、東京地裁は次のように認定しています。

国立市は、前件訴訟に関して、弁護士費用等の裁判費用として3918万904円を公金から支出したほか、本件建物についての新指導要綱に基づく清掃施設協力金及び公園・緑地整備協力金を7881万2000円と試算していたが、明和地所との間の都市景観形成条例に基づく手続きが未完であったため、指導要綱の事前協議の完了及びその後の手続きである当該事業計画に対する承認ができず、上記協力金の納入手続きが実施できない状況にある。」(判決36頁)


このように裁判所は、上原元市長が国立市に対して、合計約1億5000万円もの金銭的損害を与えたと認めています。
ということは、上原元市長が市の請求にしたがって、3200万円及び遅延損害金を支払っても、まだ十分な穴埋めをしたことにはならないのです。


「二重取り」説が、いかに事実に反しているか、おわかりいただけると思います。



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上原元市長への求償権行使請求住民訴訟においても原告側の勝訴確定!

2011年05月31日 23時02分38秒 | 国立マンション訴訟
本日、上原元市長への求償権行使請求住民訴訟で代理人をお願いしているH弁護士より、佐藤一夫市長が5月30日付けで控訴取下書を東京高裁に提出したとの連絡を受けました。

これで、先週の住基ネット関連住民訴訟の勝訴確定に続いて、上原元市長への求償権行使請求住民訴訟においても、私たち原告の勝訴が確定しました。

これらの勝訴確定により、違法行為を犯した上原公子元市長と関口博前市長に対して、相応の償いを求める手続きが粛々と進められることになります。

法治国家における自治体の首長が二代続けて違法行為を犯すという、前代未聞の不祥事の後始末が、いよいよ始まります。

今後の手続きの詳細については、このブログで順次紹介していきたいと思います。


最後に、私たち国立市民有志が提起した2件の住民訴訟(第一審はともに私たち原告側が勝訴)の控訴を取り下げた佐藤一夫市長の英断に敬意を表します。




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控訴状が届きました

2011年02月22日 22時33分39秒 | 国立マンション訴訟
上原前市長への求償権行使請求住民訴訟において、関口博市長は、全面敗訴しましたが、同市長はこのたび控訴の手続きを行ったようです。

私たちのところへ届いた控訴状をみると、控訴の費用として印紙代が174,000円かかっています。
もちろん、これも私たちの血税から賄われています。

代理人弁護士には、第一審と同様に後藤邦春弁護士と、顧問弁護士の杉井静子弁護士が選定されています。
顧問弁護士がいるのに、なぜ、さらにもうひとり弁護士を選定しなくてはならないのでしょうか
それも、なぜ後藤弁護士なのでしょう。同弁護士は、今回の住民訴訟の契機となった明和マンション訴訟で敗訴した国立市側の代理人を務めていました。
明和マンション訴訟でも敗訴、そして今回の住民訴訟第一審でも敗訴です。
このように敗訴を繰り返す弁護士を、国立市は、控訴審でも懲りずにまた選定しています。
そして何より、昨日のこのブログで書いたように、後藤弁護士は、着手金以外に不可解な費用を請求する弁護士なのです。
日当は、1日6万円も請求しています。
遠隔地に出張するわけでもないのに、一般的な弁護士報酬相場からは、かけ離れた請求であると言わざるを得ません。

国立市には、このような弁護士を敢えて選定する合理的な理由があるのでしょうか

私たちの血税が、違法行為を行った上原前市長のために湯水のように使われることについては、納税者として憤りを禁じ得ません。

良識ある市議の方々には、是非市議会で、こうした弁護士の選定プロセスと不可解な弁護士費用の支払いについて、関口市長に問いただしていただきたいと思います。
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全員協議会の議事録を読んで呆れかえる(その3-完)

2011年02月03日 23時18分45秒 | 国立マンション訴訟
さて、阿部市議の発言は続きます。

「次に、この判決文をじっくりと読み返してみますと、大変重要なことに気づきます。この判決は原告の訴状をほぼそのまま引用している。また、その訴状は高裁判決の内容の一部を引用して新しい事実がないままに違法性と言われた部分のみを組み合わせたものにすぎない。市民の方々からは、都合のよいところのつまみ食いという声さえもあります。そしてまた、この判決は裁判官が事実関係の証言を求めないままに丸のみにしてしまった結果と考えられる。日本の司法のレベルの低さに改めて愕然といたしました。」(全員協議会議事録15頁)

私は、阿部市議の法律知識の乏しさに愕然としました。

阿部市議は、「この判決が原告の訴状をほぼそのまま引用している」と言っていますが、そうではなくて、裁判官が私たち原告の主張を全面的に認めているから、判決内容と私たちの訴状での主張とが一致しているのです。このようなことは、原告が全面勝訴した場合の判決においては、珍しいことではありません。

日本の裁判では、例えばAという訴訟が現在進行中で、それに類似したBという訴訟が過去に存在して、その訴訟の判決が確定している場合、A訴訟が係属している裁判所は必ずB訴訟の判決を参考にします。そして、かなり高い確率でB訴訟の判決と同じ法的解釈・判断をします。
英米法諸国では、裁判所の判決が後の類似事件の先例として拘束力をもつのですが、わが国の裁判にはこうした先例拘束性の原則はありません。
しかし、前述のように裁判実務上は、過去の類似した訴訟の判決(判例)を参考にして、それと同様の判断が下される場合が多いのです。
これには、合理的な理由があります。
すなわち、過去の判例が蓄積されて先例が踏襲されることになれば、裁判の安定性につながるからです。
類似した訴訟は、どの裁判所に係属しても、同じような判断が示されることになるので、国民の予見可能性も高まります。
同じような内容の訴訟なのに、裁判所によって判断が異なるようでは、裁判の一貫性・整合性が失われてしまいます。
私は、法律学を30数年にわたって研究していますが、同じ内容のふたつの訴訟で、裁判所の判断が真っ二つに分かれた例は、ひとつしか記憶にありません。
それは、中古ゲームソフトの販売が合法か違法かをめぐって争われたふたつの訴訟です。ひとつは東京地裁に、もうひとつは大阪地裁に係属したのですが、1999年5月に出された東京地裁判決では「合法」、同年10月に出された大阪地裁判決では「違法」と、見事に判断が分かれました。
このような、30数年に一度あるかないかの例外はさておき、日本の裁判では、先例が踏襲されることが常態であると言ってもいいでしょう。

したがって、私たち原告は、上原前市長の違法行為認定が確定している東京高裁判決を参考にして、今回の住民訴訟の訴状を作成したのです。これは、法律家であれば誰でも採用する当たり前の戦略です。

阿部市議は、「この判決は裁判官が事実関係の証言を求めないままに丸のみにしてしまった結果と考えられる」などと言っていますが、今回のような住民訴訟で、裁判官から証言を求めることは、まずあり得ません。証言が必要なのであれば、被告側が証人を準備して、法廷で証言を求めればいいだけのことです。今回の法廷では、被告側からそのような要請は一切ありませんでした。
したがって、裁判官が証言を求めないまま丸のみにしてしまった、などとは的外れも甚だしいのであって、むしろ文句を言うなら、新たな証拠を出して反論することができなかった被告側弁護士に言うべきでしょう。

重松市議も同様の的外れな発言をしています。

「そもそも地裁の判断はかなり原告の訴状をそのままなぞった判断をしています。そして、その原告の訴えの大半は2006年の控訴審判決、これは明和地所と国立市、両方にけんか両成敗的な判決です。国立市の一方的な敗訴ではありません。このけんか両成敗的な判決文の中から都合のいい部分、国立市にとって分の悪い部分だけを引用したものが原告の訴えの大半です。それをさらに引用した判決文は我田引水の引用の引用、コピペのコピペ判決であり、極めて偏向していると私は判断せざるを得ません。」(全員協議会議事録38頁)

阿部市議と重松市議の発言は、法律的な無知を通り越して、憲法76条3項にある「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」という規定を遵守しながら職務を全うしている裁判官諸氏への侮辱以外の何ものでもないですよね。

思いつきで的外れなことばかり言うのではなく、もっと法律の勉強をされたらいかがですか。

お二人とも、市議という公職の立場で、全員協議会という公式の会議で発言していることを十分にわきまえて、もう少し知性と品格を備えていただきたいものです。
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