住民訴訟における原告住民勝訴判決確定に起因する元市長に対する損害賠償請求権をうやむやにしようとする市議会、自らの違法行為の責任をとろうとしない元市長と前市長、そして前市長の違法行為を助長する東京高裁による極めて不当な判決に対して、上告をしない現市長。
こうした滅茶苦茶な出来事が、法治国家たるわが国の自治体で実際に起こっている。
それも、オール与党化した、どこかの田舎の村議会で起こっているのではない。
東京西郊の「文教都市」と呼ばれる国立市の議会で起こっているのである。
昨年暮れからこの3月にかけての国立市政の無法ぶりには、国立市民・納税者として怒りの念を禁じ得ない。
この無法ぶりは、昨年12月の市議会定例会において、上原公子元市長に対する債権を放棄する決議が可決されるという理不尽極まりない出来事から始まった(この債権放棄決議の愚かしさについては既にこのブログで紹介したとおりである)。
さらに、さる2月26日に東京高裁から下された不当判決(住基ネット関連住民訴訟の第2段目訴訟控訴審判決)に対して、佐藤一夫市長は、3月7日の市議会全員協議会で、あろうことか上告をしない旨表明した。
これは、上述の理不尽な決議に引き続いて、国立市議会の歴史に残る大きな汚点である。
まさに無法市政がここに極まった感がある。
佐藤市長の上告断念は、信じられない愚行である。
これで、佐藤市長の政治姿勢が明確になったといえよう。
「法を守る市政」を公約に掲げて当選したにもかかわらず、法を守らない関口博前市長を利するような行動をとるとは、佐藤市長へ一票を投じた市民への裏切り行為に他ならない。
こうした政治姿勢は、断じて許せない。
加えて、住基ネット不接続の違法性は重大かつ明白と認めながら、不接続に伴う支出に違法性はない、などという訳のわからぬ理不尽な東京高裁判決を確定させてしまった佐藤市長の罪は重い。
この判決の内容については、後日詳細にお伝えすることにして、今回はこの判決の理不尽さを平たく言い表すだけにしておく。
要するに、こういうことである。
ある自治体の市長が、違法と知りながら市内への水道供給を止めたとしよう。この市長は、知事による是正勧告や総務大臣による是正要求を悉く無視し、水道の供給を止め続けていた。しかし、それでは市民が不便であるから、市役所の窓口に出頭した人には飲料水の入ったペットボトルを配布することにした。むろん、このペットボトル配布のための費用は市民の血税で賄われている。市民的感覚からすると、こんな支出は許せない、違法だ、と思うのが普通ではなかろうか。しかし、もし裁判所が、「市長が水道を止めるという行為の違法性は重大かつ明白であり、このペットボトル配布の費用は、水道を止めなければ必要のない支出であることも明らかであるが、この支出は住民の負担を軽減するためのものであるから、違法ではない。したがって市長への損害賠償請求は認められない。」と判断したら、読者の皆さんはどう感じるであろうか?
今回の東京高裁判決は、まさにこのような判断なのである。
まったく信じ難い不当判決である。
こうした判決が罷り通るなら、今後、自治体の首長が関口前市長のごとく故意にかつ確信犯的に違法行為を犯し、その結果として市の財政に損害を与えても、何ら賠償責任を負わないでよい、というお墨付きを与えてしまうことになる。
違法行為のやり得、やり放題という無法状態が出現するのである。
法による行政、法の支配といった法治国家の基本原理はどこへ行ってしまったのであろうか。
言うまでもなく、こんな不当判決は、最高裁判所で覆される可能性が高い。
したがって、今回は当然、最高裁の判断を仰ぐべきなのである。
にもかかわらず、上述のように佐藤市長は、上告をしなかった。
これは、住民訴訟で勝訴した私たち原告住民の意思を無視した判断でもある。
また、今回の第2段目訴訟は、住民訴訟(第1段目訴訟)における原告住民の勝訴が確定したことによって、地方自治法で義務づけられている以上、上告断念は同法の趣旨にも反している。自治体の首長は、地方自治法242条の3に基づいて、最後まで損害賠償請求をし続けるべきなのである。
そもそも住民訴訟(第1段目訴訟)において勝訴した原告住民に、第2段目訴訟における上訴権が与えられていないという、地方自治法の構造に制度的問題がある。
原告住民は、第2段目訴訟に補助参加すらできないのである。これも平成14年の地方自治法改悪の産物といえよう。
まさに法の欠缺であるとしか言いようがないが、ここではこれ以上深入りしない。
全員協議会の正式な会議録が未だ公表されていないため、あくまで新聞報道で得られる情報の範囲内で判断するしかないが、読売新聞3月8日付け朝刊によれば、佐藤市長は、「市民生活や市政運営の安定を考慮し、争いをこれ以上継続することは適切ではないと判断」して、上告を断念したという。
何という弱腰姿勢なのであろうか。
そもそも争いの原因は、上原元市長が住基ネットを切断し、関口前市長が不接続状態を継続したことにある。
そして今回の東京高裁判決でさえ、関口前市長の住基ネット不接続は違法行為であると認定している。
こうした違法行為を犯した関口前市長が自らの行為を反省し、市民に謝罪するならまだしも、同前市長は、今回の控訴審でもまだ執拗に住基ネット不接続は違法ではないと主張していたのである。
上記読売新聞によれば、「関口前市長を支持する議員からは『不接続が違法というのは納得いかない』との声が出た」とのことである。
要するに、争いの原因をつくった上原元市長からも、関口前市長からも、この二人を支持する市議らからも、住基ネット切断・不接続という違法行為を犯したことに対する反省や謝罪の言葉すら聞かれないばかりか、元市長と前市長は、未だ自らの行為の違法性を認めようともしないのである。
まさに無法者の群れである。
なぜ佐藤市長はこのような無法者の責任を徹底的に追及せずに、「争いをこれ以上継続することは適切ではない」などと述べて、彼らを利するようなまねをするのだろうか。
私には全く理解できない。
これでは、弱腰というより腰抜けである。
ただ、臭いものに蓋をするだけではないのか。
典型的な「事なかれ主義」でもある。
彼らの責任を徹底的に追求し、最高裁で白黒をはっきりさせるのが、法を守ると公言した佐藤市長の義務ではなかろうか。
当然、佐藤市長の上告断念は、地方自治法上の義務違反の可能性が高い。
原告住民のひとりとして、何らかの法的措置を考えたい。
国立市政の闇は深いと言わざるを得ない。