新年早々こんなこと言いたくないんだが、あんまり腹が立ったんで言わせてもらいます。
1月15日私は昼・夜、歌舞伎座で観劇していたのですが、昼の部の折の近くの席の観客のマナーの悪さにホント閉口。その場でも注意はしたのですが、絶対にこんな観客許せないのでブログに公開させてもらいます。
私が座ったのは三階席だったのですが、どうも団体客らしいおじさんおばさんがうろうろしていて、イヤ~な予感は幕の開く前からしていた。私の席の問題の人たちはおじさん一人とおばさん二人。おじさんとおばさんの一人は夫婦らしく、残りのおばさんは夫婦の友達という感じだった。そもそも、最初の演目、「操り三番」くらいからなんだかうるさい連中だなあとは思っていたけど、まあ、私のお目当ても次の「石切梶原」だったのでまあいいやって感じでほっといた。
幕間では夫婦がさも芝居を知ってるといわんばかり、いい加減なことを話していたが、さあ、「石切梶原」が始まってビックリ。浅黄幕が落ちて、義太夫が始まってるのに、連中話をやめないんですよ。芝居を知らない(興味ない)のが丸わかり。義太夫狂言の始めの義太夫というのは、その芝居の設定や展開などを説明する大切なもので、単なるBGMなんかとは全然違う。そもそも他の演劇でも映画でも、冒頭は話の設定を観客にわからせるための工夫がいろいろあって、脚本家の腕の見せ所なわけで、この段階で私の心は「ふざけんな!」という状態。おまけにこの三人「石切梶原」の半ばあたりで思いっきり眠ってるばかりか、おっさんに至ってはいびきをかいている。確かに「石切梶原」は儀式性の強い芝居だしビギナー向けではない。しかし、わかんないんだったら殊勝にイヤホンガイドを使えばいいんだし…。まあ、興味がないのなら静かに寝ててくれ!
しかし、この手のあつかましいバカというのは団体客の中では「伝染」するらしく、続く「盲長屋加賀鳶」でも段々エスカレート。バカ三人が芝居中話すもんだから、他の連中も「いいのかな」と思うらしく、ちらほら話し声が…。
この辺で私の指も怒りで震えてきたが、今年最初の歌舞伎座くらい事を荒立てたくなかったし、老い先短そうなバカ夫婦のもう一生来ないかもしれない歌舞伎座観劇で気分を悪くさせてもしょうがないと思い、仕方なく我慢。
しかしこの人たち(特におばさん二人)が次第にエスカレート。ずうっと、喋ってる。幕見だったら、心強い常連さんがバカ観客にビシッと言ってくれるのだが、周りの観客は(私も含めて)咳払いなんかで注意を促すのみ。それでも、バカというのは鈍感なのもので自分たちが顰蹙を買っていることに一向に気づかない。「このままでは注意しなかった自分を一生後悔しそうだ!」と私も覚悟を決めて、ようやく最後の幕「女伊達」でにらみつけながら声を掛けた。
連中なぜか「所作事」なんて言葉を知ってはいたが、所作事の所作は長唄の歌詞と連動してるんで、長唄はBGMとばかりに喋りまくられちゃあ、堪らないんだよ!こちとら「石切梶原」の梶原が刀を睨みつけるような目つきで舞台を睨んでるんだ!バカヤロー!
いい機会なのでついでに言っとくと、私はもう何年も伝統芸能の舞台に足を運んでいるが、とにかく態度の悪い筆頭は日本人のおっさん&おばさんにとどめを刺す。だいたい歌舞伎座で態度の悪い若い奴なんてあったことがない。(そもそも、態度の悪い若い人は歌舞伎なんか見に来ない。)外人だってたまに態度の悪い人もいるが、ホントにたまで。大抵はおとなしく観劇している。考えてみれば、電車だって、私が過去に利用していた京王線、東横線、西武線など、4人掛けの席で二人分占拠しているのは決まって太ったおっさんかおばさん。いまどきのまともな若い奴って案外社会的なルールは守ってるんだと思う。それに、仕事でかかってくる電話で名前も名乗らず無礼千万なのは決まっておっさん。若い奴の不慣れな電話というのもなくはないが、悪質で居直ってるとしか思えないのはおっさんしかない。
よく「いまどきの若者は礼儀がなってない」なんて話がでるが、ホントに眉唾。昔の日本ってホントに礼儀正しかったんですか?日本にいても海外に行っても無礼な中高年に会わない日はないと言っても過言じゃないですね、私は。確かに尊敬すべき年長者は私の周りにもいるし、様々なことを教わったとは思う。しかし、ね…。暴走族やコンビニに夜な夜な集まる不良の類はいつの時代にもいる与太者の類でマナーを放棄して生きているタイプ、若者を図る指標にはなり得ないでしょ。問題は普通に生きてる人のマナーの問題だと思う。
私なんかも含めて、バブル崩壊以後に職探しした世代は、正雇用になるまで結構厳しい目にあってるケースも多い。おまけに私たちの世代は年金を考えても老後だって保証されてるわけじゃない。一応老後も保障されているであろう老紳士がてめえの女房のおしゃべりひとつ注意できないなんて最低の社会感覚だと思いますね。こんな人は仕事も出来ないよ、きっと。場の空気も読めないんだから。私は普段から平気でマナーの悪い子供も注意したりする口だけど、身内も注意できないんじゃどうなんだろう?こういう親に育てられた子供がマナーの悪い若者になったというなら一応の納得はいくけれど…。
かなり、感情的に書きまくりましたが、人にちゃんと注意するのも社会的な責任なんだと思うことにします。これからは絶対に観劇に邪魔な態度の連中は早い段階で注意します。幕見でちゃんと注意したりする常連さんたちは立派な大人だって改めて思いました。
「怖いおじさん・おばさんがいなくなった」なんていいますが、こんな言い方も所詮は傍観者面した言い方で、その場にいた自分に何が出来るのかが一番大切なんだと思います。
PS:芝居の感想はこのあとで!
1月15日私は昼・夜、歌舞伎座で観劇していたのですが、昼の部の折の近くの席の観客のマナーの悪さにホント閉口。その場でも注意はしたのですが、絶対にこんな観客許せないのでブログに公開させてもらいます。
私が座ったのは三階席だったのですが、どうも団体客らしいおじさんおばさんがうろうろしていて、イヤ~な予感は幕の開く前からしていた。私の席の問題の人たちはおじさん一人とおばさん二人。おじさんとおばさんの一人は夫婦らしく、残りのおばさんは夫婦の友達という感じだった。そもそも、最初の演目、「操り三番」くらいからなんだかうるさい連中だなあとは思っていたけど、まあ、私のお目当ても次の「石切梶原」だったのでまあいいやって感じでほっといた。
幕間では夫婦がさも芝居を知ってるといわんばかり、いい加減なことを話していたが、さあ、「石切梶原」が始まってビックリ。浅黄幕が落ちて、義太夫が始まってるのに、連中話をやめないんですよ。芝居を知らない(興味ない)のが丸わかり。義太夫狂言の始めの義太夫というのは、その芝居の設定や展開などを説明する大切なもので、単なるBGMなんかとは全然違う。そもそも他の演劇でも映画でも、冒頭は話の設定を観客にわからせるための工夫がいろいろあって、脚本家の腕の見せ所なわけで、この段階で私の心は「ふざけんな!」という状態。おまけにこの三人「石切梶原」の半ばあたりで思いっきり眠ってるばかりか、おっさんに至ってはいびきをかいている。確かに「石切梶原」は儀式性の強い芝居だしビギナー向けではない。しかし、わかんないんだったら殊勝にイヤホンガイドを使えばいいんだし…。まあ、興味がないのなら静かに寝ててくれ!
しかし、この手のあつかましいバカというのは団体客の中では「伝染」するらしく、続く「盲長屋加賀鳶」でも段々エスカレート。バカ三人が芝居中話すもんだから、他の連中も「いいのかな」と思うらしく、ちらほら話し声が…。
この辺で私の指も怒りで震えてきたが、今年最初の歌舞伎座くらい事を荒立てたくなかったし、老い先短そうなバカ夫婦のもう一生来ないかもしれない歌舞伎座観劇で気分を悪くさせてもしょうがないと思い、仕方なく我慢。
しかしこの人たち(特におばさん二人)が次第にエスカレート。ずうっと、喋ってる。幕見だったら、心強い常連さんがバカ観客にビシッと言ってくれるのだが、周りの観客は(私も含めて)咳払いなんかで注意を促すのみ。それでも、バカというのは鈍感なのもので自分たちが顰蹙を買っていることに一向に気づかない。「このままでは注意しなかった自分を一生後悔しそうだ!」と私も覚悟を決めて、ようやく最後の幕「女伊達」でにらみつけながら声を掛けた。
連中なぜか「所作事」なんて言葉を知ってはいたが、所作事の所作は長唄の歌詞と連動してるんで、長唄はBGMとばかりに喋りまくられちゃあ、堪らないんだよ!こちとら「石切梶原」の梶原が刀を睨みつけるような目つきで舞台を睨んでるんだ!バカヤロー!
いい機会なのでついでに言っとくと、私はもう何年も伝統芸能の舞台に足を運んでいるが、とにかく態度の悪い筆頭は日本人のおっさん&おばさんにとどめを刺す。だいたい歌舞伎座で態度の悪い若い奴なんてあったことがない。(そもそも、態度の悪い若い人は歌舞伎なんか見に来ない。)外人だってたまに態度の悪い人もいるが、ホントにたまで。大抵はおとなしく観劇している。考えてみれば、電車だって、私が過去に利用していた京王線、東横線、西武線など、4人掛けの席で二人分占拠しているのは決まって太ったおっさんかおばさん。いまどきのまともな若い奴って案外社会的なルールは守ってるんだと思う。それに、仕事でかかってくる電話で名前も名乗らず無礼千万なのは決まっておっさん。若い奴の不慣れな電話というのもなくはないが、悪質で居直ってるとしか思えないのはおっさんしかない。
よく「いまどきの若者は礼儀がなってない」なんて話がでるが、ホントに眉唾。昔の日本ってホントに礼儀正しかったんですか?日本にいても海外に行っても無礼な中高年に会わない日はないと言っても過言じゃないですね、私は。確かに尊敬すべき年長者は私の周りにもいるし、様々なことを教わったとは思う。しかし、ね…。暴走族やコンビニに夜な夜な集まる不良の類はいつの時代にもいる与太者の類でマナーを放棄して生きているタイプ、若者を図る指標にはなり得ないでしょ。問題は普通に生きてる人のマナーの問題だと思う。
私なんかも含めて、バブル崩壊以後に職探しした世代は、正雇用になるまで結構厳しい目にあってるケースも多い。おまけに私たちの世代は年金を考えても老後だって保証されてるわけじゃない。一応老後も保障されているであろう老紳士がてめえの女房のおしゃべりひとつ注意できないなんて最低の社会感覚だと思いますね。こんな人は仕事も出来ないよ、きっと。場の空気も読めないんだから。私は普段から平気でマナーの悪い子供も注意したりする口だけど、身内も注意できないんじゃどうなんだろう?こういう親に育てられた子供がマナーの悪い若者になったというなら一応の納得はいくけれど…。
かなり、感情的に書きまくりましたが、人にちゃんと注意するのも社会的な責任なんだと思うことにします。これからは絶対に観劇に邪魔な態度の連中は早い段階で注意します。幕見でちゃんと注意したりする常連さんたちは立派な大人だって改めて思いました。
「怖いおじさん・おばさんがいなくなった」なんていいますが、こんな言い方も所詮は傍観者面した言い方で、その場にいた自分に何が出来るのかが一番大切なんだと思います。
PS:芝居の感想はこのあとで!
あの時、「日本の道徳・文化・伝統は全部駄目で、アメリカのものは全部正しい」だから日本の今迄のものは全部破壊しなければイケナイ。と当時のオトナ達は口を揃えて言いました。信じられますか?本当に有った事ですよ。子供だった私はオトナ達がドンドン社会のモラルを崩して行くのをただ呆れて見守るだけでした。
「戦争・敗戦」の後遺症から立ち直るには100年かかると言われます。モラル的にも、人材的にも。
大正生まれの優秀な人材は戦争の「特攻隊等」で殆ど戦死してしまいました。残ったのは要領がよく、狡賢いカスばっかりです。中曽根康弘みたいな。
政界も財界も今は最悪の人材不足です。そして社会はモラル不足。
未だ戦後60年、本当に良い日本が戻って来るのにはあと40年かかるでしょう。
お富さん あと40年待ちましょう。私はとっくに死んでるでしょうけど。
歌舞伎がお好きなんですね^^ぼくは子供の頃、祖母に連れられ、よくわからないままにいろいろ観ました。
切られお富って、黙阿弥の「処女翫浮名横櫛」の主人公ですよね。観たことはないですが、映画にもなってるって聞いたことがあります。ぼくはミュージカル好きなんですが、これからもちょくちょく寄らせてもらいます。よろしくです^^
不老愚助光さんのコメントを読んでかなり納得がいったというのか、長年の疑問が解けた気がします。
私の周辺でも80歳前後の気骨ある方々のあとは、結局自分のことしか言わない中高年の割合が増えだし、下るにつれて総崩れという印象。(もちろん不老愚助光さんのような方もいらっしゃるのですが。)ただ、比較的私たちに近い世代にも、「バブル期入社組」という、言ってることは保守的かつ日和見的で、どうしようもない人々というのもいて、なかなか混沌としていますが…。(私の周りだけかな?)
BEYANさんの記事読ませていただきましたが、行儀の悪い人々というのは、いろいろなところに広がっているのだなと実感します。外人に較べて日本人は行儀がいいなんて話はまったくの嘘か、かなり遠い昔の話なのではないかという気がしますね。
また、幼児向けの(あまり将来役に立ちそうにない)早期教育がもてはやされる一方、年を加えることによって加わる美意識や大器晩成の美学みたいなものが見過ごされ、幼児的な振る舞いに及ぶ中高年が目に付く日本の社会ってどうなっているんだっていいたくなりますよ。別に西欧かぶれして言う訳ではありませんが、ヨーロッパの中高年はもっと素敵に歳を取っているような気がしますね。