切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

山田洋次の国際的評価?

2010-02-25 23:59:59 | アメリカの夜(映画日記)
ないでしょ?たぶん、北朝鮮では評価されてるな?皮肉じゃなくネ!

山田洋次監督、ベルリン特別功労賞に1600人が拍手「一生の記念」 - goo 映画

ベルリン映画祭で特別功労賞でしたっけ?なんか、大江健三郎のノーベル賞受賞を連想してしまいました。

はっきりいって、大江健三郎なんて、世界のどの都市の本屋さんに行っても置いてあるのを見たことがないし、世界の誰も話題にもしていないでしょう。

その点、好き嫌いはともかく、村上春樹は三島や谷崎よりいい場所に、たくさん翻訳が置いてありますよ。そして、海外作家も村上春樹のことを話題にしたりしています。

要するに、日本の出版社あたりのロビー活動で受賞した名誉賞的なものが、大江健三郎のノーベル賞ではないんですかね?

もっとも、わたし、大江健三郎を全面否定する気はないですよ。初期の短篇とか中期の『万延元年のフットボール』は傑作だと思いますから。ただ、本質的にマイナーな作家だと思っているということ。(日本における社会的地位は別として。)

で、長い前置きだったけど、本題の山田洋次。

『男はつらいよシリーズ』の何本かや『家族』みたいな意欲的なロードムービーは傑作だと思うけど、国際的な評価がある人ではないでしょ?

ただ、北朝鮮の金正日が有名な寅さんファンだというのはあるけどね~。(そういえば、むかし、作家の島田雅彦が「深窓の令嬢から場末のストリッパーに至るまで、誰からも好かれる寅さんというキャラはファシストだ」というような発言をどこかでしていたな~。)

ま、松竹のロビー活動ですか?

別に国際的な評価がなくても、いい作家やいい監督がいないわけではないということがいいたかったんですよね~。

しかし、東大出身のエスタブリッシュ型文化人は勲章を欲しがるものなんですね!

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5 コメント

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疑問です (なす)
2010-03-03 01:25:05
大江健三郎はどの国の本屋にも置いていない、誰も話題にしていない、と言う話題はネットで良くされている様に思います。しかし、いつもその度に思うのです。じゃあ、他のノーベル文学賞を受賞した作家は、どの程度読まれているのだろうかと。大江健三郎「だけ」が何処の国でも読まれていないのかと。日本の場合を考えてみましょう。ここ10年、ノーベル文学賞を取った作家の中でも比較的有名なはずの作家、ドリス・レッシングやル・クレジオやオルハン・パムク、クッツェー等々ですら、我々日本人は殆ど読んでいないのでは? 名前すら知らない人が多いはずです。他の、もっとマイナーな作家になったら、絶望的です。読んでいるわけが有りません。昨年受賞したヘルタ・ミュラーなんて、私は存在すら知りませんでした。日本語に翻訳された本がこれまで一冊しかなかったのですから。では、これは日本独自の現象なのでしょうか? 日本以外では、ノーベル賞作家の本の多くは、何処の書店にも置かれていて、誰もが読んでいる本なのでしょうか? 詳しい事は知りませんが、私はそうだとは思えません。アメリカ人のノーベル賞作家であるトニ・モリスンの作品の解説に、彼女の作品はエンターテイメント性もあるので、本国アメリカでは売れているが、多くのノーベル賞作家はそれ程恵まれていないという様な内容が書かれていました。つまり、大江健三郎だけでなく、ノーベル賞作家の作品は、これまでも、これからも、それ程読まれているものではないし、知られているものではないのでは? 同じ様な状況に居る彼らも皆、誰も読んでいないのだから、出版社のロビー活動で受賞しただけなんでしょうか? 如何お考えですか?
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コメントありがとうございます。 (切られお富)
2010-03-04 20:42:13
コメントありがとうございます。

御説、頷けるところもあれば、頷けないところもあり、自説を述べさせて頂きますが・・・。

御説を整理すると、<ノーベル賞受賞作家の知名度は、少なくとも近年では誰であれ高くなく、大江健三郎だけを取り上げて、「大江健三郎はどの国の本屋にも置いていない、誰も話題にしていない」というのはおかしい>、ということですよね。


まず、わたしが問題にしたいのは、「ノーベル賞作家の知名度が全世界的に高くない」という前提にたいする疑問です。

残念ながら実証的なデータは持ち合わせていませんが、ヨーロッパやヨーロッパの言語を使っている国(たとえば南米など)の文学研究や批評は、少なくともわたしの印象では割合整備されていて、特に英米の書評紙は有名だったりしますよね。

なので、一般的な知名度や本の売上の問題はともかく、ヨーロッパの読書界(ひらたくいえば、「玄人筋」)ではそれなりに知られた作家がノーベル賞にノミネートされている、とわたしは考えます。

で、そうした海外の文学事情、出版事情を考慮に入れず、「日本でもノーベル賞作家なんて読まれていないんだから、海外でも読まれていない」と断定するのは、わたしには頷けない。

ドイツ人がジョイスの『ユリシーズ』を読もうとする場合、翻訳に頼らず英語の原著に当たるというようなヨーロッパの言語事情と、それとはまったく違う読者事情を持つ日本の翻訳文化。また、翻訳書なんて、出版不況以前からあんまり売れない今日日の日本・・・。むしろ、日本の特殊性の方が際立っているような・・・。

そして、わたしがさらに問題だと思うのは、大江健三郎がヨーロッパの玄人筋からもあまり評価されていないと巷間いわれていることです。

確かに、わたしのささやかな海外旅行経験(10カ国以上)からいっても、大江健三郎の翻訳なんて、海外では見たことがないし、海外作家が取り上げる日本作家としても、大江の名前が出たのをわたしは聞いたことがありません。(逆に、村上春樹の席巻ぶりが快挙であるともいえる。)

また、映画の方が顕著ですが、賞のためのロビー活動というのは確かに存在します。もちろん、ロビー活動がすべてではないでしょうけれど。

それと、気になったのは、

>多くのノーベル賞作家はそれ程恵まれていない

というくだり。

作家が「作家先生」として食べていける国って、その国の言語で読み書きできる人が一定人口以上いる国だけですよ。日本語なんて日本だけだけど、識字率が高いので「作家先生」が存在できる。人口の少ない国で単一言語だったら、その国では「専業作家」なんて存在できないし、東欧では自国の言語で大作映画が撮れないなんて話はざらですからね。また、英語圏の作家でも、専業作家じゃなかった大作家っていますよね、確かキャサリン・アン・ポーターとかフォークナーとか。つまり、世界的に考えても、食べていけるほど儲かっている作家は少数派で、売れている作家でかつノーベル賞なんてひとはそれこそ例外中の例外だということなのではないでしょうか。

というわけで、わたしの結論は、大江健三郎の受賞は政治力の賜物だろうなということ。もちろん、大江的な受賞者は他にもいるんでしょうけどね。
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Unknown (なす)
2010-03-05 16:02:03
長くなってしまったので、分けてコメントします。

私は「知名度」とは言っていません。「読まれているのですか、ないのですか」と書いたのです。それだけの作家になれば、「知名度」は有るでしょう。昨年、ジョージ・オーウェルの「1984」の新訳を買ったんですが、訳者のあとがきを読むと、イギリスではこの本を読んでいないのに、読んでるフリをする人が多いと書かれてました。こんなジョークも聞いた事があります。ヴァージニア・ウルフを読めば不眠も治るというジョークです。難解で読めない人が多いという事です。どちらもノーベル賞作家ではありませんが、イギリスを代表する作家の一人です。この二つのエピソードを聞いても「翻訳に頼らず英語の原著に当たるというようなヨーロッパの言語事情と、それとはまったく違う読者事情を持つ日本の翻訳文化」では「日本の特殊性の方が際立っている」ので、<海外では読まれるものも日本では読まれない>と言えるだけの根拠が果たして有るのだろうか、と疑問が生じます。(ジョージ・オーウェルとヴァージニア・ウルフが読まれていないだけだと言われるかも知れませんが、私が思うに、純文学は何処の国でもそれ程読まれるものではないんですよ。この二人だけでなく)

そうではなく、「ヨーロッパやヨーロッパの言語を使っている国の文学研究や批評は整備されているので、ヨーロッパの読書界ではそれなりに知られた作家がノーベル賞にノミネートされている」という点が重要なのだと言う事でしょうか。ヴァージニア・ウルフは「一般的」には読まれていないのかもしれないけど(ヴァージニア・ウルフはノーベル賞作家ではない事は知っています)、「玄人筋」には読まれている。しかし、大江健三郎は「一般的」にも「玄人筋」にも読まれていない。だから、大江健三郎のノーベル賞は疑問であると。ならば、その根拠を教えてください。この記事では「世界のどの都市の本屋さんに行っても置いてあるのを見たことがないし」「村上春樹は三島や谷崎よりいい場所に、たくさん翻訳が置いてある」ので、大江健三郎のノーベル賞に疑問があるとしか書かれていませんよね? 強いて言えば「海外作家も村上春樹のことを話題にしたりしています」「海外作家が取り上げる日本作家としても、大江の名前が出たのをわたしは聞いたことがありません」だけです。ならば、海外作家や批評家が大江健三郎をどう評価してるか、調べるべきではないですか? それから「評価されていない」と発言すべきです。(勿論、私は「玄人筋」は大江健三郎を読んでいる、評価していると断定してる訳ではありません)
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Unknown (なす)
2010-03-05 16:07:54
コメントの中で大江健三郎のノーベル賞を疑う理由として機能してるのは「大江健三郎がヨーロッパの玄人筋からもあまり評価されていないと巷間いわれていることです」だけに思えます。そして、その根拠が「海外では見たことがないし、海外作家が取り上げる日本作家としても、大江の名前が出たのをわたしは聞いたことがありません」となります。ならば、もっとこの部分を詳しく書いて頂けませんか。一体、何と言う作家や批評家や研究者が「大江健三郎は評価出来ない」という主旨の発言をされているのでしょうか? 

ちなみに、ロビー活動が存在する事は確かでしょうし、その事を否定的に捉える必要性を全く感じません。私は「ロビー活動で受賞した「だけ」なんでしょうか?」と書きました。「だけ」でないならば、ロビー活動くらい、別に良いんではないでしょうか。アメリカのアカデミー賞なんて大変な事になってるじゃないですか。それでも「脚本賞」の質だけは保ち続けてるんです。問題ないですよ。
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度々のコメントありがとうございます。 (切られお富)
2010-03-11 01:12:24
度々のコメントありがとうございます。

しかしながら、まるっきり納得がいかないので、反論させてください。

まず、あなたのおっしゃる「読まれている、読まれていない」という言い方がさっぱりわからないんですよ。

最初のコメントでは、文脈上、一般的な認知度みたいな話としか読めない。たとえば、「日本以外では、ノーベル賞作家の本の多くは、何処の書店にも置かれていて、誰もが読んでいる本なのでしょうか?」という言い方をされていますが、わたしが本文中で言及している書店とは、ヨーロッパの大都市の大きな書店や、大学周辺の専門書店などです。別に、巷の書店のことを言っているわけではない。また、わたしは誤解が生じないように、「一般的な知名度や本の売上の問題はともかく」という前置きをした上で、玄人筋が読んでいるか、評価しているかこそが重要だと書いたつもりです。もっとも、わたしはどこの書店でも置かれているという意味では書いたつもりもないし、そんなことは注釈の必要もないと思っていたんですけどね。

さて、そんなことより、問題なのは次のコメントで、オーウェルやウルフのことを取り上げていらっしゃるんだけど、大江健三郎もオーウェルやウルフくらいに著名で評価されていたら、さぞや立派なのではないですか。

たぶん、お気づきになっておられないようだけど、ヴァージニア・ウルフはわたしの愛読している作家の一人で、それゆえにこのブログのURには彼女の名前が入っているのです。

彼女の文学史上の重要性や彼女の周辺の文学サロン「ブルームズベリー・グループ」については、英文学関係者はもとより、文学好きなら知らないほうがもぐりといえるくらい有名です。たぶん、ウルフの著作を読んでいらっしゃらないようだけど、彼女の作品は難解というより、ストーリーが退屈なので、文章よりストーリーを楽しみたい読者には不向きであるという点で、不眠がどうのという話になっているんだと思いますよ。

また、オーウェルの『1984』の新訳はわたしも買いましたが、この本に解説が載っていた作家トマス・ピンチョンについては、あなたはどうお考えになりますか?

おそらく、ピンチョンの大著『重力の虹』や『v』を最後まで読んだ読者は世界的にも少数のはずですが、英米文学に詳しい人で彼が二十世紀を代表する作家だということに異論を唱える人はいないんじゃないですか?つまり、読まれてはいないけれども、コントラバーシャルな謎の作家として、ちゃんとした評価があるわけですよ。

ちなみに、オーウェルは名文家としても知られていて、日本の学校の入学試験や英文科のテキストとしても、しばしば登場する作家です。

で、いよいよ、大江健三郎の問題に入っていきますが、ペンギンクラシックにも入っているオーウェルやウルフを引き合いに出すこと自体、わたしには間違っているようにしか思えない。

かつて、開高健がノーベル賞をほしいばっかりに、頼んで自作の英訳を出版していたという話がありますが、大江氏の翻訳も多いとはいわれながら、わたしは現物を日本以外で見たことがない。また、日本在住の外人評論家のたぐいが大江氏を取り上げたケースは読んだ記憶がありますが、現役の海外小説家が大江氏について語ったケースを、わたしは寡聞にして知りません。ガルシア=マルケスが川端康成の『眠れる美女』にインスパイアされて小説を書いたようなケースが大江氏にあったでしょうか?あるいは、トルーマン・カポーティが三島由紀夫の死について、作家ローレンス・グローベルと語り合ったようなケースなど・・・。

あなたは、

>海外作家や批評家が大江健三郎をどう評価してるか、調べるべきではないですか?

などと簡単に言いますが、これはいってみれば「無の証明」でしょ?無いことの証拠なんか、出せるわけがないじゃないですか?(まるで、論理的じゃない。)

また、非常に重要な問題として、大江氏の場合、批判した出版社を許さないという有名な性癖があって、大手出版社の本で大江氏を批判した出版物というのはほとんどありません。(右翼系の雑誌が批判するというパターンはあるようだけど、そういう場合、彼は無視するというスタンス。)

この手の話については、わたしも直接間接に聞いたことがあるし、特に有名なのは、名物エディターだった故安原顕氏が中央公論社社員だった時代に遭った酷い言論弾圧。(詳しくは村松友視著『ヤスケンの海』をどうぞ。)

というわけで、時折批判記事が載るものの、まともに著作で彼の海外評価について言及したのは、評論家の福田和也氏くらいだと思います。(他の人が書くと再販されにくいのでしょう。朝日新聞でも、大江氏について書くと検閲が入るって話だから。)

とはいいながら、わたしは作家大江健三郎が嫌いではありません。泥棒だった詩人ヴィヨンや問題大有りな作家セリーヌみたいな、「変人作家」としては珍重されるべき書き手です。

それに、山田洋次もそうですが、海外で評価されなくたって、立派なクリエイターなんだからいいじゃないですか?大島渚について語った海外映画人はいろいろいますが、山田洋次なんて、松竹の重役として君臨してるだけで充分だと思いますよ。無理しなくてもいいじゃないというのが、わたしが、大江、山田両氏とその周辺にいいたいことだったんですけどね~。

なお、わたしが問題にしたかった映画賞は日米のアカデミー賞みたいなショーじゃなくて、ヨーロッパの映画祭のたぐいのこと。青山真治とその周辺が醜態をさらした話は一時期話題になりましたよね。もっとも、映画作家・青山真治は実力あると思ってますけど、余計なことはしなくていいんです。
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