
この本、ありがちなオケの証言集とかカラヤン批判本のつもりで読み進めたら、全然違う感想を持ちました。というわけで、簡単に感想。
<フルヴェンとカラヤンを比べるということ=カラヤン批判本>みたいな流れがありますが、わたしは生前のカラヤンを知らないリスナーだし、フルヴェンにも特別な感情はない方なので、ま、ニュートラルなスタンス、のつもりです。
で、CDから聞く両指揮者の演奏でいえば、シューベルトの「グレート」やシューマンの4番の最終楽章のような、つんのめるパンキッシュなフルヴェン音源も嫌いじゃないし、10CCの“I'm not in love”にも通じる宅録系の人工性をもったカラヤンのマラ5、シューマンの4番もそれなりの達成だと思う…。
さて、本の話に戻すと、天下のベルリン・フィルの演奏家たちが語る二人の巨匠ということですが、指揮者って映画監督に似てるなあ~というのがわたしの最初の感想。
何もやってないようで、現場を支配しているオーラというか、人身掌握術というか…。
で、わたしは好きで芝居や映画の裏方に関する本もよく読むのですが、技量があろうがなかろうが、結局、人間関係の問題なんですよね~、組織って。
映画の技術者であれ、オケの演奏家であれ、つまるところ組織人であり、監督や指揮者はある種天皇みたいな存在なんでしょう。
だから、認められれば意気に感じて頑張るし、認められてないとなれば微妙な感情が残る…。
この本は、タイトルだけ読むと指揮者論に見えるんですが、本当はエリート演奏家たちの組織の話なんだとわたしは思いました。
もっといえば、ある名ティンパニ奏者の組織人としての苦悩の話…。
で、あとは、この本を読んでください。
クラシックに興味のないサラリーマンでも感じるもののある、深い組織論、人生論みたいな本でしたね~、これは。
意外とオススメ。
<フルヴェンとカラヤンを比べるということ=カラヤン批判本>みたいな流れがありますが、わたしは生前のカラヤンを知らないリスナーだし、フルヴェンにも特別な感情はない方なので、ま、ニュートラルなスタンス、のつもりです。
で、CDから聞く両指揮者の演奏でいえば、シューベルトの「グレート」やシューマンの4番の最終楽章のような、つんのめるパンキッシュなフルヴェン音源も嫌いじゃないし、10CCの“I'm not in love”にも通じる宅録系の人工性をもったカラヤンのマラ5、シューマンの4番もそれなりの達成だと思う…。
さて、本の話に戻すと、天下のベルリン・フィルの演奏家たちが語る二人の巨匠ということですが、指揮者って映画監督に似てるなあ~というのがわたしの最初の感想。
何もやってないようで、現場を支配しているオーラというか、人身掌握術というか…。
で、わたしは好きで芝居や映画の裏方に関する本もよく読むのですが、技量があろうがなかろうが、結局、人間関係の問題なんですよね~、組織って。
映画の技術者であれ、オケの演奏家であれ、つまるところ組織人であり、監督や指揮者はある種天皇みたいな存在なんでしょう。
だから、認められれば意気に感じて頑張るし、認められてないとなれば微妙な感情が残る…。
この本は、タイトルだけ読むと指揮者論に見えるんですが、本当はエリート演奏家たちの組織の話なんだとわたしは思いました。
もっといえば、ある名ティンパニ奏者の組織人としての苦悩の話…。
で、あとは、この本を読んでください。
クラシックに興味のないサラリーマンでも感じるもののある、深い組織論、人生論みたいな本でしたね~、これは。
意外とオススメ。
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