
今月上演中の芝居「伽羅先代萩」といえば、悪役は仁木弾正ですが、仁木のモデルになった原田甲斐を擁護する立場で書かれたのが、山本周五郎の小説『樅の木は残った』だということは、ご存知の方も多いことでしょう。で、その山周が菊五郎劇団の「先代萩」を観た感想を書いた文章があったんですね。これがまた言いたい放題!面白く読ませていただきましたよ。ということで、簡単にその感想。
確か、開高健が山本周五郎の作品のことを、「青畳に座っていい米のご飯をいいおしんこで食べているような感触」と評したことがあるんだけど、わたしはその作為のなさが逆に苦手で、あまり良い読者ではないんですよ。なので、あまりに長い『樅の木は残った』(上中下巻)は敬遠してきたのですが、この機に読んでみようかなという気になっています。というのも、エッセイの山周があまりに作品のイメージと違って面白かったから。要するに、面倒くさそうなおやじぶりが「先代萩」の劇評からも感じられたからなんですよね。
詳しくは、「型もののご趣向と演技」という文章を読んでいただきたいんですが、このひと、テーマ主義的な芝居観なんですよね。その点でいえば、三島由紀夫なんかと対極にあると思いますが、要するに歌舞伎の「先代萩」は芝居というよりショーだといいたいみたい。ま、わたしなら、間(あいだ)を取って「芸」だといいたいんだけど、山周の言い分にも一理あって、最近の新作歌舞伎なんかは、テーマがチープで演出はショーだっていえるから、山周の歌舞伎批判も、ある面、再考を要するなとは思いました。
ちなみに、開高健には気の毒なんだけど、山周、米はほとんど食べず、パンかオートミールを食べていたそうです。詳しくは同じ本の「現代養生訓」をどうぞ。この辺の、素直じゃない、人間としてのひねり具合が、まったくわたしの興味を誘いましたよ。いや~、変なおじさんってよいね~。
ということで、興味のある方はどうぞ。
確か、開高健が山本周五郎の作品のことを、「青畳に座っていい米のご飯をいいおしんこで食べているような感触」と評したことがあるんだけど、わたしはその作為のなさが逆に苦手で、あまり良い読者ではないんですよ。なので、あまりに長い『樅の木は残った』(上中下巻)は敬遠してきたのですが、この機に読んでみようかなという気になっています。というのも、エッセイの山周があまりに作品のイメージと違って面白かったから。要するに、面倒くさそうなおやじぶりが「先代萩」の劇評からも感じられたからなんですよね。
詳しくは、「型もののご趣向と演技」という文章を読んでいただきたいんですが、このひと、テーマ主義的な芝居観なんですよね。その点でいえば、三島由紀夫なんかと対極にあると思いますが、要するに歌舞伎の「先代萩」は芝居というよりショーだといいたいみたい。ま、わたしなら、間(あいだ)を取って「芸」だといいたいんだけど、山周の言い分にも一理あって、最近の新作歌舞伎なんかは、テーマがチープで演出はショーだっていえるから、山周の歌舞伎批判も、ある面、再考を要するなとは思いました。
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