
今年は宮沢賢治生誕120年の年ですが、再読されるべき名著だと思います。いまや知らぬ人のいない国民作家宮沢賢治の虚飾を剥ぎ、真実の姿に迫ったノンフィクションで、文学史上の問題のみならず、メディア論、歴史論等々、様々な視座の入った貴重な一冊。多くの宮沢賢治信者の学者評論家が無視したのもわかる問題作で、安部政権下の日本だからこそ再注目されてほしい。ちなみに、安部晋三の祖父岸信介と宮沢賢治って同年生まれ(1896年)なんですよね。
個人的なことからお話しさせていただくと、じつは子供の頃、結構熱心な宮沢賢治読者でした。文学の世界に理系言語と地方言語に独特のオノパトペを導入したパイオニアですし。でも、反抗期、思春期を迎え、あの牧歌的なストーリーと「雨ニモ負ケズ」的な道徳性に反発を感じ始めて、読まなくなっていった・・・。
また、後年、歴史に興味を持つようになって、宮沢賢治が家出までして入会した日蓮宗系の宗教組織「国柱会」が、最近では三原じゅん子でおなじみ「八紘一宇」を最初に標榜した団体であり、満州事変の首謀者である軍人石原莞爾の信奉する団体だったこと、賢治の童話の多くが国柱会入会後の布教活動時に、宗教的熱情で書かれたものだということを知って、「聖人・宮沢賢治」の像が大分崩れてしまったということもあります。
さて、この本。筆者の母親が無名の作家宮沢賢治の売り出しに貢献大だったひとだということで、知られざる逸話が次々と登場。本当に驚きました。(賢治人気に最初に火をつけた一冊が、元首相羽田孜の実家の書店から出ていたって知ってました?)
賢治の家系が花巻では財閥級の一家で、鉄道事業にも関係しており、今でも花巻の観光産業を抑えていること。父親や実弟の商才によって助けられ、生涯にわたって親のすねをかじり続けたこと。彼の農業知識や活動は現実の疲弊した農村には一向に役に立たなかったこと(セロリだのトマトだのヒアシンスの球根なんて、誰も買わなかった。ま、農村では娘の身売りが問題になってた時代ですからね。)。他にも、親のお金で春画のコレクションをしていて父親から叱責されたとか、羅須地人協会のあった建物は祖父の別荘だった建物で、参加者は裕福な子弟ばかり。当時としては高価だったレコードをかけて楽しんだりと、地元では金持ちの道楽程度にしか思われていなかった等等。ま、あの時代にチェロ(セロ)を弾いてたんですから、地域社会からは浮いてますよ。
で、要するに、新興宗教にはまって家族を困らせた、今でいう「パラサイト型ニート」みたいな人で、おまけに当時は差別の対象であった結核患者であることを隠して生きていた。このあたりに、彼の「禁欲的」にみえる生活態度の秘密があったのではないかということなんですよね。
で、ここからが若干私見も入るんですが、賢治と同年生まれで「これからは産業の時代だ」といって、大蔵省に入らず農商務省に入省したのが岸信介(ちなみに同期入省は三島由紀夫の父親。)。
岸がのちに満州に渡って革新官僚として活躍した話は有名ですが、わたしのなかでは、宮沢賢治-石原莞爾-岸信介が繋がったというか、たぶん時代の空気というか思潮レベルでつながっている気がするんですよね。(昭和17年に満州国で中国語訳の「風の又三郎」が刊行されたなんて話もある。)
つまり、それは、国家社会主義というか、国家改造的な気分という意味で繋がっているのではないか。満州国の近代性といっても、現地人を追いやって都市計画をやっていたわけだし、岩手の農村の現状に目をそらしてイーハートーブというヴァーチャル国家を空想した賢治と、謀略で満州国を作った石原、国家経営に参画した岸。
ということで、この本は宮沢賢治作品を貶めるために書かれているわけではありません。虚像を貶め、真実の姿を前提として、賢治作品を再読するための一冊なのではないか。そんな気がします。また、文学的伝説がいかにして誕生するか。情報統制の効果を考えるうえでも興味深い。再販すべき一冊ですね。
ちなみに、わたしはこの本を読んでから賢治を再読したらかえって面白かったですよ。そんなわけで、おすすめ!
個人的なことからお話しさせていただくと、じつは子供の頃、結構熱心な宮沢賢治読者でした。文学の世界に理系言語と地方言語に独特のオノパトペを導入したパイオニアですし。でも、反抗期、思春期を迎え、あの牧歌的なストーリーと「雨ニモ負ケズ」的な道徳性に反発を感じ始めて、読まなくなっていった・・・。
また、後年、歴史に興味を持つようになって、宮沢賢治が家出までして入会した日蓮宗系の宗教組織「国柱会」が、最近では三原じゅん子でおなじみ「八紘一宇」を最初に標榜した団体であり、満州事変の首謀者である軍人石原莞爾の信奉する団体だったこと、賢治の童話の多くが国柱会入会後の布教活動時に、宗教的熱情で書かれたものだということを知って、「聖人・宮沢賢治」の像が大分崩れてしまったということもあります。
さて、この本。筆者の母親が無名の作家宮沢賢治の売り出しに貢献大だったひとだということで、知られざる逸話が次々と登場。本当に驚きました。(賢治人気に最初に火をつけた一冊が、元首相羽田孜の実家の書店から出ていたって知ってました?)
賢治の家系が花巻では財閥級の一家で、鉄道事業にも関係しており、今でも花巻の観光産業を抑えていること。父親や実弟の商才によって助けられ、生涯にわたって親のすねをかじり続けたこと。彼の農業知識や活動は現実の疲弊した農村には一向に役に立たなかったこと(セロリだのトマトだのヒアシンスの球根なんて、誰も買わなかった。ま、農村では娘の身売りが問題になってた時代ですからね。)。他にも、親のお金で春画のコレクションをしていて父親から叱責されたとか、羅須地人協会のあった建物は祖父の別荘だった建物で、参加者は裕福な子弟ばかり。当時としては高価だったレコードをかけて楽しんだりと、地元では金持ちの道楽程度にしか思われていなかった等等。ま、あの時代にチェロ(セロ)を弾いてたんですから、地域社会からは浮いてますよ。
で、要するに、新興宗教にはまって家族を困らせた、今でいう「パラサイト型ニート」みたいな人で、おまけに当時は差別の対象であった結核患者であることを隠して生きていた。このあたりに、彼の「禁欲的」にみえる生活態度の秘密があったのではないかということなんですよね。
で、ここからが若干私見も入るんですが、賢治と同年生まれで「これからは産業の時代だ」といって、大蔵省に入らず農商務省に入省したのが岸信介(ちなみに同期入省は三島由紀夫の父親。)。
岸がのちに満州に渡って革新官僚として活躍した話は有名ですが、わたしのなかでは、宮沢賢治-石原莞爾-岸信介が繋がったというか、たぶん時代の空気というか思潮レベルでつながっている気がするんですよね。(昭和17年に満州国で中国語訳の「風の又三郎」が刊行されたなんて話もある。)
つまり、それは、国家社会主義というか、国家改造的な気分という意味で繋がっているのではないか。満州国の近代性といっても、現地人を追いやって都市計画をやっていたわけだし、岩手の農村の現状に目をそらしてイーハートーブというヴァーチャル国家を空想した賢治と、謀略で満州国を作った石原、国家経営に参画した岸。
ということで、この本は宮沢賢治作品を貶めるために書かれているわけではありません。虚像を貶め、真実の姿を前提として、賢治作品を再読するための一冊なのではないか。そんな気がします。また、文学的伝説がいかにして誕生するか。情報統制の効果を考えるうえでも興味深い。再販すべき一冊ですね。
ちなみに、わたしはこの本を読んでから賢治を再読したらかえって面白かったですよ。そんなわけで、おすすめ!
![]() | 宮沢賢治殺人事件 (文春文庫) |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 |
![]() | 新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫) |
クリエーター情報なし | |
新潮社 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます