☆ 緑 の 小 径 ☆ Verda vojeto ☆

エスペラントと野の花と。
Esperanton kaj sovaĝajn florojn.

師走ふたたび / Denove Decembro

2014年12月02日 | 日記 / Taglibro
今年も残り少なくなった。
12月は心の重い月だ。人々はクリスマス、クリスマスと、その宗教に関係なく浮かれ出すのが特に不思議に思える月だ。
子供の頃小学校の音楽の先生が「心友会」と言うものを立ち上げ、会員は放課後にピアノの手ほどきを受けたりしていた。そして年末にはクリスマスもやってくれた。クリスマスはイエスキリストの誕生日と言う程度にしか知らない子供だったが、先生だってその程度の知識だったろう。けれども、お菓子とお茶を楽しみ、小さな贈り物を貰ったりで、楽しかった。終戦からまだ何年も立っていないときだけに、そのような行事に参加できることは特権階級の観があった。

Decembro estas la monato, kiam mia koro peziĝas. Estas la monato, kiam mi miras pri homoj, kiuj ekgajas babilante Kristnaskon.
Kiam mi estis knabineto, muzikinstruistino de nia lernejo iniciatis klubon nomita "koramika klubo", kaj post lernejhoro instruis al ni, piano-ludadon ktp. Kaj ŝi organizis feston por Kristnasko por klubanoj. Mi scietis, ke Kristnasko estas naskiĝtago de Kristo. Mi nun pensas, ke la instruistino mem sciis nur tiom, kiom ni infanoj sciis. Tamen, Ni ĝuis kukon kaj teon, kaj ricevis etan donacon ankaŭ. Estis tempo nur kelkaj jaroj post la milito, do partopreni al tia festo estis privilegiita, mi sentis.


今は猫も杓子もの時代。仏教徒でもクリスマスツリーを飾り七面鳥を焼く。祝って悪いとは思わないけれど、お門違いと言う気がする。私はクリスチャンではないのでクリスマスは無い。息子は洗礼を受けてはいるが「Just another day」と言う程度の関心しかないので、彼のためにどうこうする必要を感じない。娘の言葉を借りると「神を畏れる無神論者」だ。
夫もそうだった。無神論者ではなかったけれど、大差ない。カトリックの教義にある種の疑問を持っていた。
その夫の命日がクリスマス三日目、その頃はやはり静かに過ごしたい。

Nunaj tagoj ĉiu senescepte festas Kristnaskon. Buddanoj ornamas Kristnaskarbon kaj rostas meleagron. Mi ne pensas, ke tio estas malbona, sed mi sentas mistrafa. Mi ne festas Kristnaskon, ĉar mi ne estas kristano. Mia fili estas baptita, sed por li estas "nur alia tago", do mi ne bezonas ion spcialan fari por li. Laŭ mia filino, ni estas "diontimanta ateistoj". Mia edzo estis ankaŭ. Li ne estis ateisto, sed li havis iel dubon pri Katolika dogmo.
Lia memortago estas la tria tago de Kristnasko. Mi ŝatas pasigi tagojn ĉirkaŭ Kristnasko kviete.




Fabeloj de Verda Vojeto

津波の幼い被害者たちを支持している組織
Education Exchange Communityのホームページ



        
日本の読者のみなさんへ。
日加タイムス
の最新号です。
カナダのニュースや日系人の動きが判るでしょう。
        






最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kayo)
2014-12-03 14:21:59
クリスマス・・正に宗旨に関係なく世界中が浮かれる12月。
子供達は純粋にクリスマスプレゼントを貰うのが当然のように思っているし。
親としてはキリストにあやかって贈り物の準備はしてきましたが・・
今じゃ孫にもついプレゼントを忘れがちです。
西暦もキリスト誕生日から数えているらしいですね。
返信する
ウン、クリスマスも楽しんじゃうのが、日本! (案山子)
2014-12-03 18:05:10
いろいろヨーロッパ史を読んでくると、多神教の文化を持つ日本で良かったと思っています。古代ギリシャも、ローマも多神教なのですが、キリスト教を国教にしてからの歴史は、何とも酷いものです。私たちの国が、宗教に関係なく、教会でも、神社でも、結婚式ができるケッタイな国、クリスマスを楽しんじゃう国で、全然OKだと、思っています。笑
返信する
Kayo さんへ (verdavojeto)
2014-12-04 11:44:44
幼い子供たちは贈り物が待ち遠しいでしょう。我が家でも子供たちが小さかったときはニコラスおじさん(サンタさんのこと、ハンガリー語です)を待ちかねていたものでした。そう言う幼い夢に異議はありません。でもクリスチャンでない人に「クリスマスおめでとう」などと言うのは失礼です。で、最近は当たり障りの無い「楽しい年末を!」と言う挨拶が使われます。
返信する
案山子さんへ (verdavojeto)
2014-12-04 11:59:49
kayoさんへも書きましたが、当たり障りの無い「楽しい年末を!」と言う挨拶が使われるようになったのは、例えばユダヤ教やイスラム教の人に対する「メリー・クリスマス」は人によっては憤慨することもあるようですし、ここ数年耳にする挨拶です。
多神教と案山子さんは言いますが、本当に信仰しているのか私には疑問です。一個人が幾つもの教義の異なる宗教を信じられるものでしょうか?もしそうならそれは信仰のポリガミーと思います。
私の眼には日本人の多くは(総てとは言いません)色々な宗教の行事やしきたりを真似て楽しんでいるのだと思います。そこには真の信仰など無いのです。
だからクリスマスも、宗教の行事ではなくキリストをダシにした単なるパーティですよね。
返信する
そうですね。 (案山子)
2014-12-05 07:19:50
ユダヤ教徒にキリストの誕生日のお祝いをいうのは不適切でしょうね~。彼らも一神教ですから。
日本人には古来からの八百万の神の風土がDNAに組み込まれているのではないでしょうか。単なるパーティーでなんにも違和感を持たないのも日本人の現実です。
豊かになるにつれて、商業主義と相まって、クリスマスが楽しむための行事として盛り上がっていったのでしょう。我が家の子育て時代を思うと、クリスマスプレゼントの新聞折込チラシの多かったこと!(今もかな)
そしてね、最近イスラム教徒の国から大勢の観光客が来るようになって、彼らの食習慣に則った食事、礼拝施設を提供しようという宿泊施設がニュースになっていたりします。
日本人の宗教色が固定していない(別の言い方をすると、節操がない)から、お客様第一主義、おもてなしの国、の路線に徹底していく傾向があるのでしょう。
こだわりのある人には、このアバウト加減に違和感をもたれるのですね。
ゴメン、理屈っぽくなっちゃいました。
返信する
案山子さん、そこで (verdavojeto)
2014-12-07 10:42:42
思い出しました。
「お客様第一主義、おもてなしの国」の感覚は、逆に言えば自分がお客様のときはそうされることを期待する訳ですよ。
私のボスが良く言ってましたね、Do in Rome as Romans do. じゃないね、 Do in Rome as Japanese do.だよ、と。
日本と同じサーヴィスを要求する訳ですよ。それが違法でも。例えば公園やバスの中での飲酒は違法でも、酒持って来い。でしたから。朝食にサラダを出せ、は受け入れられても、バスに酒を積んで迎えに来い、しかもアメリカの空港へ。もちろん拒否ですけど。
返信する

コメントを投稿