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☆ 緑 の 小 径 ☆ Verda vojeto ☆

エスペラントと野の花と。
Esperanton kaj sovaĝajn florojn.

月夜の浜辺 / Marbordo de luna nokto

2016年06月15日 | 詩 歌 / Poemoj

湯船に浸かってゆったりとしたひととき。ふと思い出したのは中原中也の詩「月夜の浜辺」だった。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛(ほう)れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?


何故この詩を思い出したのか判らない。
初めてこの詩に出会ったのは高校生の時だった様な気がする。あの頃私は室尾犀星の「どんぐり」と言う詩に惹かれていた。全く趣の違う「月夜の浜辺」に魅力を感じたのは、単純な表現、つまり私でも出来そうな、表現を使っていたからだったのではないかと思う。そしてその詩に描かれた行動は、又誰でもしそうな事なのだ。道ばたに落ちていた小石の可愛らしさについ拾ってしまう心境、それを拾ってアクセサリーでも作ろうかなどと思うわけでもないが拾うのだ。
誰だか、「そのボタンは何を象徴するのか?」と言う人が居たが、そこまで詮索する気は私には無い。あえて言うなら「孤独」かも知れないと思っている程度だ。

En mia banujo, mi malstreĉis min en komforta varmeco. Kaj subite rememoris poemon "Marbordo de luna nokto" de NAKAHARA Ĉuuja.

Nokto luna, butono troviĝis ĉe marbordo.

Mi ne pensis utiligi ĝin, tamen
Ne povis forĵeti, do metis ĝin en mia poŝo

Nokto luna, butono troviĝis ĉe marbordo,

Mi ne pensis utiligi ĝin, tamen
Ne povis ĝin forĵeti al luno
Ne povis ĝin forĵeti al ondoj
Mi metis ĝin en mia poŝo

Butono trovita en nokto luna,
tuŝis miajn fingrojn,
tuŝis al mia koro,

Butono trovita en nokto luna,
Kial oni povus ĝin forĵeti?



Mi ne scias kial mi rememoris ĉi poemon.
Mi renkontis al ĉi poemo kiam mi estis studentino de alta lernejo, mi kredas. Malgraŭ tiam mi estis tre allogita al poemon "Glano" de MUROO Saisei. Ĉi poemo estas tute malsama, tamen mi estis allogita al ĝi ankaŭ. Mi pensas, ĉar Nakahara uzas vortojn kiujn mi ankaŭ povas triovi, kaj la agado esprimita en ĉi poemo ankaŭ ni ĉiuj nature agas. Trovinte ŝtoneton sur pado, oni prenas ĝin, ĉar ĝi estas ĉarmeta, malgraŭ tute ne pensas ĝin utiligi por io.
Iu demandis " kion signifas ĉi BUTONO?" Mi ne scivolas tiom, tamen povas diri, ke ĉi butono simbolus solecon.


La Espero

En la mondon venis nova sento,
tra la mondo iras forta voko;
per flugiloj de facila vento
nun de loko flugu ĝi al loko.
Ne al glavo sangon soifanta
ĝi la homan tiras familion:
al la mond' eterne militanta
ĝi promesas sanktan harmonion.

Sub la sankta signo de l' espero
kolektiĝas pacaj batalantoj,
kaj rapide kreskas la afero
per laboro de la esperantoj.
Forte staras muroj de miljaroj
inter la popoloj dividitaj;
sed dissaltos la obstinaj baroj,
per la sankta amo disbatitaj.

Sur neŭtrala lingva fundamento,
komprenante unu la alian,
la popoloj faros en konsento
unu grandan rondon familian.
Nia diligenta kolegaro
en laboro paca ne laciĝos,
ĝis la bela sonĝo de l' homaro
por eterna ben' efektiviĝos.


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英霊記念日 / Tago de la falintoj

2015年11月11日 | 詩 歌 / Poemoj

今年は第一次世界大戦にこの詩が書かれて百年目でもある。
Ĉi jaro estas centa datreveno de verkado de ĉi poemo je la unua mondmilito


En Flandruja Kampo
John McCrae

En Flandruja kampo la papavoj frapas
Inter krucoj, vico sur vico
Kio markas nian lokon; kaj en la ĉielo
La alaŭdoj, ankoraŭ brave kantantaj, flugas
Apenaŭ aŭdite meze de pafiloj malsupre

Ni estas la mortintaj, tagoj antaŭe
Ni vivis, sentis tagiĝon, vidis brilon de sunsubir'
Amis, kaj estis amataj, kaj nun ni kuŝas
En Flandruja Kampo

Prenu nian kverelon kun la malamikoj
Al vi ni ĵetas de malplenumitaj manoj
La torĉon; estu via teni ĝin alte
Se vi rompas fidon de ni kiu mortas
Ni ne eblas dormi, malgraŭ kreskas papavoj
En Flandruja Kampo
In Flanders fields
John McCrae

In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.

We are the Dead, Short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved, and were loved, and now we lie
In Flanders fields.

Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow.
In Flanders field.

フランダースの野に
ジョン・マクレー

フランダースの野に芥子の花がそよぐ
列また列と並ぶ十字架
僕たちの場所と印された十字架の野に。
そして空には、勇敢にも歌いながらひばりが飛ぶ、
砲音の真っ只中その声はかき消されて

僕らは死者、昨日まで生きていたのだ
曙を感じ、夕日が輝くのを見ていた
愛し、愛されてもいた。そして今ここに横たわる
フランダースの野に。

僕らの戦いを続けてくれ
倒れながら、君たちにたいまつを投げ渡そう
君たちの手で高く掲げてくれ。
死に行く僕らの信頼を裏切るなら、僕らは眠れない
どんなに芥子の花が育とうと、ここ
フランダースの野に。


ジョン・マクレ-について:

1915年、親しい戦友の一人を埋葬したばかりのジョン・マクレ-大佐は、この静かな曙に、戦争で痛めつけられたベルギーのイープルで、小止みになった戦いの合間の待避壕に座り、ほとばしり出る感情を詩の形で走り書きした。
エセックスの戦場墓地の墓標、幾列にも並ぶ白い木製の十字架は曙の日の光を受けて光っていた。
三連の詩は20分で完成した。
カナダ第一野戦砲兵隊の医師としてその墓地や、そこに横たわる勇敢に戦って倒れた若者たちの記録をマクレ-は痛いほど理解していた。

この詩がその年の12月英国の雑誌パンチに載るや、大戦への同盟を喚起する詩として歓迎され、次第に『フランダースの野に』はカナダ人が書いた最も良く知られる詩となっていった。
ジョン・マクレ-はもう20年近く詩を書いており、カナダの文学雑誌の読者には良く知られていたが、詩作は彼の本業ではなかった。

ジョンは1872年11月30日オンタリオ州のグェルフに生まれた。14歳でグェルフ・ハイランド士官学校に入ったが、これは軍人の家庭に生まれた彼としてはごく当然の成り行きだった。16歳でトロント大学に奨学生として入学、1894年、生物学部を優等で卒業した。そして4年後には医学部を卒業している。
ジョンはトロントとモントリオールで医業にいそしみ、余暇には詩を書きスケッチもした。しかし、医師としての安泰な生活に何故か満足できなかったので、ボーア戦争(1899~1902/南アフリカ)が始まるやローヤル・カナダ砲兵隊に入り、帰国したときには女王のメダルと三つの従軍記章を得ていた。
その後の14年を彼はモントリオールで患者を診たり、マギル大学で講義をしたりして働いた。一度も結婚しなかったので1914年に大一次世界大戦が勃発した時には後ろ髪を引く家族も居らず、再入隊し、カナダ野戦砲兵隊第一軍団の少佐を任命された。同じ頃彼の父親デービッドも、すでに70才を過ぎていたにもかかわらず入隊し、海外に勤務した。彼は戦争が終わる頃には陸軍中佐になっていた。

1914年当時戦争に勇んで出かけた若者達は愛国心と理想主義に燃えていた。強い名誉感、義務感があり、ほとんどが戦争は短く栄誉有る冒険であろうと期待して出征して行った。しかし間もなく現実はそう甘くは無いことを彼らは経験から学ばなければならなかった。

塹壕の中で、砲弾が点在する泥の中で、何千人もの男達が死んでいった。十分な訓練を受けておらず、一度も武器を手にした事がないような経験の浅い上司のもとで、彼らは砲弾や毒ガスや、病気に倒れていったのだ。
ジョン・マクレ-自身がそうした彼らの一人だった。1918年1月彼は陸軍大佐であり、間もなく第一総合病院の司令官としての任務につくことになっていたのだが、1月23日肺炎にかかり、5日後に亡くなってしまった。フランスのブーローニュに近いウィムローに埋葬されている。その翌年彼の詩集『フランダースの野に、他』が出版された。

こんにち彼の出生地は国の歴史遺跡となっている。スピード川の南にあるこの魅力的な家は、修復されマクレ-家が住んでいた当時の家具などを調え、磨き直されている。
その近くにはマクレ-と彼の戦死した同僚達にささげる「永遠の火」が燃える記念碑がある。反戦思想を言葉にしてはいないが、戦争の悲しさ、空しさ、残酷さを叫んでいるこの詩『フランダースの野に』はカナダの、愛国心に燃えて散った戦死者たちへ捧げる感謝状と言えよう。

Bedaŭrinde ankoraŭ neniu tradukis pri John McCrae al Esperanto.




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あしながおじさん / Paĉjo-longkruroj

2015年06月03日 | 詩 歌 / Poemoj

草むしりをした。
引っ張ったカキドオシの下から、
昼寝を邪魔された蜘蛛のあしながおじさんが
いかにも迷惑そうにあたふたと逃げ出して
次の茂みに逃げ込んだ。
だから、今日はこれで終わり。
何度も邪魔しちゃ悪いから。
(良い言い訳が出来ました)

Sarkis mi.
Malantaŭ Glekomo tirita de mi,
Araneo; Paĉjo-longkruroj konfuzite forkuris
al alian herbaĵon.
Lian sieston ĝenis mi,
Mi ne sarku hodiaŭ plu,
Ĉar mi ne volus reĝeni lin.
(Estis bona preteksto)



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有明の月 / Luno matenkrepuska

2015年01月14日 | 詩 歌 / Poemoj

激寒やふと見上ぐれば中空に凛と輝く有明の月

Ja malvarmega, senpense rigardinte mezĉielon, trovis rigore brilantan lunon de matena krepusko.

今日も昨日と同じような天気。快晴で寒い。
激寒と言う程ではないけれど、巧い言葉が見つからないので、適当に。
写真では凛と輝いているのが判らないけれど、それはカメラのせい。
この明け方の光と言うのは好きだな。

Hodiaŭ ankaŭ estos same kiel hieraŭ bela sed malvarma.
Ne estas rigore malvarma, sed mi ne trovis ĝustan vorton, do kion mi ekpensis tiutempe.
En la foto oni ne povas vidi rigore brilantan lunon, sed tio estas kulpo de fotilo.
Mi ja ŝatas la lumon de matena krepusko.



追記:
一日待ってみた。誰か「有明の月」に反論するかと思ったが、気付かなかったのか或は私を傷付けまいと気を遣ったのか。。
「有明の月」は秋の季語だから、ここでは適切ではないと言う声を聞くだろうと思っていたのだ。だからこの歌は
激寒やふと見上ぐれば中空に凛と輝く有明早朝の月
とでもすべきなのだろう。
単純に明け方窓のカーテンを開けた時に眼に入った情景を描写しただけの言わばスケッチなのだが和歌となると気を遣うものだ。一世紀昔とは季節にも大きな変化がある現在、季語も改正されるべきかもと思うことがある。私には季語に対する一種の反感があるようだ。




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寒 空 / Frosta ĉielo

2014年11月24日 | 詩 歌 / Poemoj


風が唸っている。
寒空の梢に三日月が引っ掛って揺れていた。

Ventego muĝadas.
En frosta ĉiel' lunarko kroĉita sur arbpint' ŝanceliĝante.




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雪 / Neĝo 

2014年11月18日 | 詩 歌 / Poemoj
雪は小止み無く降り続けている。ふと、「シモオヌよ雪はそなたのうなじのように白い」と言う詩を思い出した。
少女時代に気に入った言葉や名文句、詩、自分自身の発想などメモしていた小さな小さな手帳「ひとりごと」に書いてあった筈だ。50年もの間私はこの手帳を何故か失わずに持ち歩いていたのだ。
すぐには見つからなかったが、あった。鉛筆の色も褪せて文字が消えかけている手帳。


レミ・ド・グールモン

シモオヌよ 雪は そなたのうなじのように白い
シモオヌよ 雪は そなたの膝のように白い

シモオヌよ そなたの手は 雪のように冷たい
シモオヌよ そなたの心は 雪のように冷たい

雪は火のくちづけにふれて融ける
そなたの心は別れの口づけにとける

雪は松の枝の上に積もって悲しい
そなたの額は栗色の髪の下に悲しい

シモオヌよ 雪はそなたの妹 中庭にねている
シモオヌよ われはそなたを雪よ恋よと思っている


意味は良く判らないながら、これをメモした16才の少女(出所など記していないのはやはり子供)。新雪の季節には思い出す詩。レミ・ド・グールモンについては皆目判らない。Googleもウィキペディアも無い時代のこと。日本ではあまり知られていなかった人の様で、辞書にも載っていない。だからこの詩の訳者も知らない。
ウィキには日本語は無く、エスペラントの説明も短い。
Remy de Gourmont

彼の引用句には面白いものがある。
Remy de Gourmont Quotes
日本語で見つけられたもの。
フランス文学と詩の世界

Neĝas senĉese. Subite mi rememoris poemon de Remy de Gourmont "O, Simone, neĝo estas blanka kiel via nuko". Mi havas kajereton, en kio mi kolektis kelkajn poemojn, citaĵojn, miajn proprajn pensojn ktp, kioj plaĉis al mi. Ĉi poemon mi ofte rememoras kiam sezono de nova neĝo alvenas.
Mi estis 16 jaraĝa knabino (infanece ne menciis devenon de ĝi). Oni ne havis Wikipedion nek Google. Li verŝajne ne bone konata en Japanio, do nek povis trovi lian nomon en mia vortaro.







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無 題 / Sentitolo

2014年11月03日 | 詩 歌 / Poemoj
Sopiratendas vin sciante, ke vi ne revenas
Alparolas vin komprenante, ke vi ne respondas

Malĝojo ensorbiĝis al memoron feliĉan
dum longa longa tempo. tamen

Sopiratendas vin
Sub la ĉielo de blua vespero
帰らぬ人と知りつつ待ちこがれ
応えは無いのも承知で語りかける

月日とともに
悲しみは楽しい思い出にとけ混み
それでもなお

あなたを待ちこがれる
蒼い夕暮れの空の下





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怠 慢 な 春 / Maldiligenta printempo

2014年04月26日 | 詩 歌 / Poemoj

Verdoj
hezite ĝermadas
maldiligenta
printempo
緑は
ためらいがちに
芽吹く
怠慢な春




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蝉の姿はみえず

2012年07月22日 | 詩 歌 / Poemoj
いづことしなく
しいいとせみの啼きけり
はや蝉頃となりしか
せみの子をとらへむとして
熱き夏の砂地をふみし子は
けふ いづこにありや
なつのあはれに
いのちみぢかく
みやこの街の遠くより
空と屋根とのあなたより
しいいとせみのなきけり

これは室尾犀星の「蝉頃」と題する詩。
なぜか十代の私は惹かれて暗唱した。
カナダへ来てから蝉の声は聞いても姿を見たことが無い。
ヨーロッパ時代はどうだったのだろう。蝉の声にさえ気付いていなかったような気がする。
今年もうるさい位の蝉の声を何度か聞いたが、姿を見る機会はなかった。
子供の頃を思い浮かべると、蝉は勝手に飛んで来て目の前に現れたし、兄達は手で捕らえていたものだった。
カナダの蝉は人見知りなのかもしれないが、とても不思議に思われる。

「しいいとせみの啼きけり」
この、「しいい」と言う表現が好きだった。蝉の声はたしかにそのように聞こえる。蝉時雨などとも言われるように雨の音かとも思い違いしそうなあの音は暑い夏ならではの不思議な音色だ。
今朝も蝉の声が聞こえて来た。いのちの短さを嘆いているとは思えない。短いとは言え謳歌できる命なのだろう。
涼しい二三日が続いて、蝉の声に気付かなかったのは、やはり暑い日が彼らの「日」なのだろうか。
今日も暑くなりそうだ。

        
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古 い 詩

2011年11月25日 | 詩 歌 / Poemoj



とんがったあなたのくちびるから
たばこのけむりが
細くはき出されたとき
微笑んだあなたの瞳のおくに
わたしはきれいな宝石をみた
わたしのはじらいをうつしてかがやいた
つかの間の宝石の尊さよ
いまはもうわたしの手のとどかぬ
遠い空にひかる


私の父が生前「俺の遺言状」と称して発行していた地方新聞を整理していたら記事の片隅にこの詩を見付けた。
記事の穴埋めに使ったらしい。詩の末尾には(カナダの娘へ 父)とあるのは私のために入れたと言うことでもあるのだろう。異郷で暮らす我が子への思いが伝わって来る。
私の「詩集」よりと副題がついているから私の作品であることに間違いはないのだが、書いた記憶がまるで無い、調子は私と解るのだけれど。
父は喫煙者だったが、こんな風に口を尖らせて煙を吐き出す癖は無かった。我が夫も喫煙者、同じように特にこのような癖はなかった。でも、美味そうに満足げに煙を吐き出すときにこんな表情をしたときもあった気がする。
煙を吐き出しながらの幸せな表情を見ている私自身の幸せな感情をうたったものなのだろう。
ただ、最後の二行が気になる。何故こんな表現を使ったのだろうか。
父も夫も星になってしまった今でこそ頷けるけれど、だ。
その時の気まぐれで選んだ表現なのだろう。

父のタバコの煙を嫌だと思ったことは無い。むしろ良い香りだった子供時代。夫の喫煙にも特に不満はなかったが、年を重ねるに連れて彼の吐き出した煙を呼吸していることが苦しくなった。だから、これを書いたのは未だ若かった時。父の新聞の日付から私達が結婚したばかりのころだとわかる。
「煙草ヤメてぇ」と騒がなくても良かった頃。他の人には「煙草吸っても良いですか?」と許可を求めたのに私に聞くことは無かった、まるで私は彼の身体の一部ででもあるかのように。