やきう狂一家

やきう(野球)だいすきパパさんとゆずことあんころとママゴンのつらつら日記。
やきうにはくわしくないよ。

こどものちから

2007-02-17 22:49:44 | しってるかい

今日、ひっさびさに美容院に行けまして。
すっきりとらっきょを逆さまにしたカンジに仕上げていただきました。
いえ、決して出来上がりにケチつけてるわけでなくてよ。
いつもはボブで頼んでるところを、
今回は、
今風な、
えりあしや耳のところを長めにしたショートにしたく、
ボブよりも短くさっぱりとした小顔に仕上げたいちう注文をほどこしたく候。
働いてた頃なら雑誌を持って行って、
写真で指し示すのだが、
今やファッション雑誌にわ縁のないママゴンが、
上記の注文を一言で表すのに、
もっとも適していたのが「らっきょを逆さまにしたよなカンジで」となったわけ。




ええ、そりゃもお希望通りに。 d(*-*)b



ママゴン行きつけの美容院は
中学時代から通っているだけあって、
お話を交わす楽しみも十分にありまして。
今日もひさびさちうことで、話に花が咲きまして。
客商売なだけに、いろんな話が聞けました。
今日のテーマは子供の話でした。



きりねっこも通っていた保育園には、
その美容院の従業員の娘っこも通っていて。
その保育園の話なのですが。



難病を抱えた子が入園してきました。
その子は自分で何もできない。
服を着替えたり、靴をはいたり。
むしろ、
歩くことも、自力で立ち上がることも、立ち続けることも、おすわりすらできない子でありました。
体も小さく、細く、筋肉も退化しているような体つき。
言葉ひとつ言えることなく、
せいぜい、こちらの言う事が理解できているということくらい。
保育園は、
特別にクラスを作ったりせず、区別することなく、他の子供と同じクラスに入れました。




その子は見るみる間に変わっていきました。




その子は自分で靴がはけるようになりました。
服を着替えたりするのも、もたつきはしますが、できるようになりました。
自力で立ち上がり、歩くこともできるようになりました。
ちょっとした散歩ならお手のものに。
「せんせい」と呼んだり、
自分の名前を言えるようになりました。

何より、

「自分でやりたい」という気持ちが芽生え、
あきらめずに一生懸命やり遂げる気持ちを持つことができました。




それは
クラスメートである園児達の見えない力によるものでした。
まさに、こどもたちのちからなのでした。
子供たちが難病の彼女を差別することなく、
特別視することなく、
自分たちと同じようにできるんだ、できるはずだという希望を持って、
彼女につきっきりになって教えました。
靴の履き方、
服の着方、
立つこと、
手を引いてあげて歩く練習、
階段を下りること、
「せんせい」と呼ぶこと、
自分の名前を紹介すること、
お友達の名前、
物事の善悪、
遊ぶ時の注意ごと、
食べるときの行儀…

年少さんともなれば、ある程度は自分でできて当然のことが、
彼女の周囲の大人は「できない子だから」とあきらめていたところへ、
希望を捨てないこどもたちが関わり、
積極的に触れていき、
出来たことを一緒に喜んで、自分のことのように祝福し、
そうすることで、
彼女は「出来る」ことに喜びを見出し、
実は自分の中にもある可能性を見出し、
友達のふしぎなちからによって、
どんどんと自分の可能性をのばしていったのでした。


多少、動きも話もおぼつかないものの、
他の子供ともそつなく交流できるようにまで著しい成長を見せたのでした。

クラスメートの園児たちも、
その子をバカにしたり、腫れ物をさわるようなことをせず、
出来ないことは出来るようになるまで、練習に付き合い、やり方を教え、
出来るようになれば褒め称え、
出来るようになったことは出来て当たり前と捉え、
今では当たり前となった靴も手伝うことなく、「早く早くー」とせかしてみたり。
砂遊びの際に、彼女が思わず砂を食べてしまうような場面でも
「それは食べちゃダメだよ。遊ぶものなんだよ」とキチンと教えてあげる心遣い。
園児たちは、
先生以上に彼女を動向を気にかけてあげ、
異変があれば先生に報告し、
いじめることもなく、差別もなく、お互いに思いやることを学んでいきました。



こどものちからってふしぎ。
大人が「ムリ」だと思ってたことをあっさりとやりとげちゃった。



また、
この園児たちのちからは、
彼女の両親の心をもあったかーくして溶かしていきました。
挨拶すらできないような、他をよせつけない雰囲気を持った両親だったのですが、
激変していく彼女の毎日と比例するように、
笑顔が出るようになり、
挨拶を交わすようになり、
ママ同士で友達も出来、
時々送迎に来る父親も元気な声で挨拶をして出入りしていたとか。
それまで、
難病を告げられた時の絶望や
他の子と比べることでの劣等感、
他の子と区別したり、遠慮することでの孤独感と闘ってきた両親にとって、
園児たちが引き出してくれた希望は、
両親にとっても大きな希望となって、
固く閉ざしていた心を溶かしていったようです。
それもすべて、こどもたちのふしぎなちからによるものです。



残念ながら、
彼女は父親の転勤で、遠方へ引っ越してしまったそうです。
引越し先でも、そんなあたたかい人間関係が築いているといいのだが。



きっと、
いろんなラッキーが重なっただけだ、ちう人もいるでしょ。
彼女と園児たちの出会いをほどこした保育園は、
がけっぷちに近いギャンブルをしてたのかもしれない。
もし、いじめを発生させたり、よくない方向に行っていたら、
保育園の責任は免れない。
園児たちにも彼女にも、彼女の両親にもトラウマを残すだけ。



でもね、
そんなラッキーはこどもたちの力を持ってすりゃ、
運でもなんでもないわけ。必然なわけ。
大人はしらないの。
こどもたちはふしぎなちからを持ってるってこと。
それは特別な子だけでなく、
我が家のゆずこにもあるし、
ちな姫だって持ってるだろうし、
きりねっこだってまだ持ってる。
きっと私たちにもあったはずのちから。
一生大切に持っていくことはできないかもしれないけど、
大人たちが大事にしてあげられれば、
こどもたちは、大人が「奇跡だ」と叫んでしまうような出来事を起こすはず。


こどものちからをつぶすことのないよう。
そんな大人でありたいなあ。
そんな大人がいっぱいふえたらいいなあ。
奇跡に拍手して喜んでくれる大人やこどもがふえたら、世の中はとっても平和なのになあ。



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