雑談の達人

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箱根駅伝の繁栄とラグビーの凋落

2011年01月08日 | スポーツの雑談
箱根駅伝をめぐるエントリについては、賛否両論、大きな反響があった。箱根駅伝の異様な盛り上がりを思う時、実のところ、筆者にはもう一つ頭に浮かぶスポーツがある。それは、無残なまでに人気が凋落してしまったラグビーである。

今の若い世代は知らないかもしれないが、筆者が若かりしころ、具体的には1990年代まで、日本でもラグビーの人気はものすごいものがあった。今の20代には、おそらく信じられないだろう。大学ラグビーの早明戦のチケットは入手困難なほどで、国立競技場が超満員になったのである。

社会人ラグビーも、神戸製鋼が7連覇していたころが黄金期だっただろう。神戸製鋼の平尾誠二は、ラグビー界にとどまらない、日本スポーツ界を代表するカリスマだった。当時の日本ラグビー界が誇っていた輝きと注目に比べれば、今は見る影もない。

なぜ、こうなってしまったのか。そう、箱根駅伝のエントリを既にお読みいただいた、カンの良い読者は、もうお気づきだろう。国内だけで安穏とし、繁栄を謳歌していた日本ラグビー界に、グローバル化という黒船がやってきたのだ。

1987年から、ラグビーのワールドカップが始まった。これにより、否が応でも日本ラグビーというものが、内弁慶というか、井の中の蛙に過ぎない状態にあることが、白日のもとに晒されてしまったのである。それまでの日本人は、社会人の王者と、大学の王者が戦う全日本選手権こそが、最高の舞台と思っていた。ところが、その最高の舞台を争った伝説的ラガーマンたちにより構成された日本代表が、海外の強豪国の代表と戦うと、何と「100対ヒトケタ」というような、余りにも無残な惨敗に見舞われ続けたのである。

手に汗を握り試合の行方を追い、あれほど熱狂的な応援をささげた、選りすぐりのラガーマンたちによる我が日本代表が、100対ヒトケタ…… 調子のいい日本国民は、あれほど持ち上げた日本ラグビー界を、もはや叱咤激励する気力さえ失い、競技への興味そのものを失ってしまった。

ラグビーがグローバル化の波に襲われなければ、きっと今の箱根駅伝のように、日本人の、日本人による、日本人のための祭典として、今尚それなりに楽しまれていたのだろう。そういう国民的な風物詩を一つ失ってしまったことは、グローバル化による悲劇というべきなのだろうか。

いや、筆者はそうは思わない。ラグビーという競技が今のルールのままで争われる以上、戦術や技術以上に、体格から来るパワーとスピードが圧倒的に重要な要素であり、所詮、今の日本人の体格では世界と戦える競技ではない、ということが明白になったことは、極めて重要なことだと思う。そのお陰で、高い運動能力を持つ貴重な才能を持った日本の若者は、世界に通用する野球やサッカー、ゴルフといったスポーツに流れていったと思うのだ。

箱根駅伝という、正月の華やかな一大祭典を楽しむことができる日本人は、それはそれで幸せなのかもしれない。しかし、ローカルでしか通用しない競技に多くの貴重な才能がつぎ込まれていくことで、日本陸上界、いやスポーツ界全体として、大きな損失を被っていると言わざるをえない。

グローバル化の波は、避けて通れるものではない。箱根駅伝が、いつまで幸せな時代を謳歌し続けられるのか。筆者個人の考えでは、そうは長くはないのではないかと思っている。

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