雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

ダメ日本の縮図、箱根駅伝

2011年01月02日 | スポーツの雑談
たまに世界で活躍する日本人が出ると、マスコミが大騒ぎし、国を挙げて狂ったように熱狂する。この現象は、海外で通用する日本人が少ないことの、コンプレックスの裏返しである。ところで、サッカー・ワールドカップやオリンピックに熱狂する日本人が「箱根駅伝」も大好きなのは、一見極めて奇妙なことだ。

「駅伝」は、和英辞典を引くと「ekiden」という単語が載っている。日本発祥といえば聞こえはいいが、実際のところ日本人以外に誰も関心をもたないマイナー競技だ。懸命に走っている方々に特段恨みはないが、競技自体は何ら見どころがなく、実につまらない。要は足が速いやつを揃えているかいないか、個々の選手のコンディションがどうか、勝負の行方を左右する要素はそれだけである。テレビ局もそれがわかっているので、無理やり盛り上げようとクサイ演出に走る。タスキがつながるとかつながらないとか、シード校になるとかならないとか、ケガを乗り越えて力走したとか、選手時代の悔しい思いを監督やコーチとして挽回したとか、クソOBやアホ先輩の無念の思いを晴らすとか、ヘドが出そうな陳腐極まりない人間ドラマばかりに焦点をあてたがる。「山の神降臨」とか、ジブリのアニメでもあるまいに、全くバカじゃないかと思う。

更に言うと、箱根駅伝は、関東の大学だけが参加するローカル大会に過ぎない。しかし、日本の学生長距離ランナーにとって、最大の目標である。何と、箱根駅伝に出るために関東の大学に入学し、青春のすべてを箱根駅伝にかけるのである。オリンピックや世界選手権の長距離種目で頂点に立つことは、彼らにとってたいして重要でない。海外のリーグやワールドカップという究極の目標がある野球やサッカーと比べると、本当にチンケとしか言いようがない。近年、男子のマラソン選手にろくな人材がいないのは、箱根駅伝での燃え尽きが原因という見方もあるぐらいだ。しかし、何だかんだ言っても、箱根駅伝はサッカー天皇杯に匹敵する、正月の最大のスポーツイベントなのである。

この箱根駅伝の盛り上がり、グローバル化に対応できないダメ日本の象徴、そのものである。日本人だけが走り、日本人だけが観て、日本人だけが大騒ぎする大会。どこの馬の骨ともわからぬアフリカの留学生が走ってみると、だいたい驚異のゴボウ抜きとなるあたり、競技の程度が知れるというものだ(ふつうはそれで興ざめするものだが)。人生のすべてを懸けて挑んで勝ったところで、残るのは奇妙な自己満足だけだ。友人や親せき縁者、狭い地元の人間にチヤホヤされるのが関の山である。強いて言えば、就職活動の時に体育会系大歓迎のバカ丸出し企業の面接官には好印象かもしれない。空虚な競技会に青春のすべてをかけられるのだから、社畜として飼いならすにはうってつけの人材である。しかし、せいぜいそこまでだろう。アメリカ人や中国人に「オレは箱根駅伝のチャンピオンチームの一員だったぜ」と威張ってみても、だからなんだと言われるのがオチである。

役所でも、会社でも、学校でも、日本人は皆死に物狂いで努力している。そのことに間違いはない。しかし、肝心の戦いの舞台が、それぞれの業界の「箱根駅伝」でしかない。そして、そのことに薄々気づいていても、「箱根駅伝」しか視野に入れようとしない。こういう新年早々明けましておめでたい国が、国際競争に負けて没落するのは必定である。


最新の画像もっと見る