uubの小屋

I also miss your small but peaceful room.
ただ今、冒険中。

耐えなければならない衝動。

2009年02月27日 17時18分38秒 | 日記
駅の乗り換えでエスカレーターに乗っていました。
するすると上昇していくエスカレーター。


ふと目を上げると、わたしの前、数段上に立っている男性のコートの裾の糸がほつれています。ちょっと長いです。
ぴよん、という感じではなく、ぴよよーん、という感じです。







切りたい。







切りたい切りたい。







衝動を抑えるのが大変でしたが、見知らぬ人間に、いきなり自分の着ている服の糸を引っ張られたときの他人の表情を想像したら、恐ろしかったので我慢しました。





最近のお気に入り。

2009年02月26日 16時26分56秒 | 日記
アライグマの帰りはいつも深夜です。



コンビニしか空いていないような時間に最寄の駅に着きます。



地下鉄の出口を上がると、目の前がわりと大きな通りです。
終電で帰ってきている人たちで出口付近は少し混みあうけれど、
あっという間にそれぞれの家路へと姿を消して行きます。



人の影がそれぞれの方向へ散っていくように、
わたしも自分の道をいつものように歩きます。
目の前の通りに沿って、少し傾斜のある道を上っていきます。
車はほとんど走っていません。



その少し大きな通り。
片側一車線かと思われるのですが、がんばれば車三台並べられそうな広さです。
車が走っていないこの時間はなおのこと広々としてみえます。




寒い夜空の下を走る黒いアスファルトの広い道。




歩きたくなっちゃうんですよねー。
真ん中を。
なりますよね。ええ、なるに違いありません。




そういうわけで。




深夜の帰り道、アスファルトの真ん中をひとりでまっすぐに歩くのが最近のわたしのお気に入りです。




通り沿いに交番があるので、たまに逃げます。








2009年、わたしの目標。

2009年02月23日 10時13分44秒 | 日記
遅ればせながら、「2009年、わたしの目標」 です。
本当に遅いよ、と思った方、正しいご感想かと思います。
すみません。夏休みの宿題の解答を書き写す以外はなんでも遅いのです、わたしは。



さて、今年の目標です。



「他人を羨まない」



わたしはなんでもかんでも他人を「羨ましいなぁ」と思って育ってきました。
羨ましいと思ったことをその都度紙に書いて積み上げたら、お月さんまでいけるのではないかというくらい、ずいぶん人を羨ましく思ってきました。

たとえば、道行く女の子の睫のボリュームや、足の細さや、バストの大きさや、髪型のアレンジや、イヤリングの揺れ方や、眉毛の描き方や、黒目の占有率や、ふくらはぎの筋肉のつき方や、指の長さや、歯並びや、唇の形や、歩いているときのヒップの動き方や、笑ったときの頬の位置や、アイラインの線の完璧さや、腕を回したくなる華奢な腰や
友人の運動神経の良さや、知識量の豊富さや、計算の速さや、ピアノを弾く技術力や、仕事の出来や、語学力や、会話のユーモアや、
知らない人の地位や、名誉や、知名度や、経済力や、
誰かの読んだ漫画の数や、観た映画の数や、聴いた音楽の数や、持っている書籍の数や、

とにかくそういういろんなことを、他の人と比べて羨ましく思ってきました。いいなーいいなー、と。



もう終わりです。やーめた。



たぶんわたしはもう、一生分、人を羨ましがりました。なんといっても紙にして積み上げたら月へ行けるくらいです。たくさん羨ましがった分、挑戦したり葛藤したり挫折したり諦めたりして、それが今のわたしへと結びつきました。レッスン終了です。人を羨ましがることに、わたしはもう大満足です。だから次のステップへ進もうと思います。




アライグマはヒグマになれない。




わたしのスローガンです。
わたしはアライグマです。ヒグマを目指すことはしません。
わたしにはわたしの良さがあるのだと思い込み、わたしにはわたしの良さしかないのだと認識します。人の良さを取り入れることも大切ですが、アライグマの範疇にとどめたいと思います。ヒグマの領域まで手を伸ばすと、アライグマなのか、アライグマの出来損ないなのかわからなくなってしまって目も当てられません。



2009年、目標。



オンリーワンのアライグマを目指して。いざ、READY STEADY GO。




Are you ready?






発表会リハーサル。

2009年02月22日 14時20分18秒 | uubの音楽日和
リハーサルでした。弾いてきました。


当日の朝まで、なぜか今回は緊張しないのではないか、というなんの根拠もない予感があったのですが、根拠のない予感などというものはまったく信用できないと学ぶに至りました。すっごく緊張しました。まさしく例年通りです。そりゃそうですよね、毎年毎年ド緊張しているわたしが今年から急に緊張しなくなりましたなんて、そっちのほうがおかしいというのに。なぜ緊張しないかもしれないなんて思ったのでしょうか。演奏よりも、記憶よりも、技術よりも、自分のそのお気楽さが一番信じられません。


やはり本番前に一度は人前で弾いておくものです。自分のいい加減さが(気持ちだけでなく演奏技術においても)身に染みてわかります。


あと二週間です。
できる限りの努力をしなさい、わたし。



アライグマのピアノ。

2009年02月21日 10時28分20秒 | uubの音楽日和
明日は、発表会のリハーサルです。


まだあまり、人前で弾くのだという実感がありません。困ったものです。どうなることやら。。。


今日はレッスン室には行かないので、家で練習します。家で練習するときは、アライグマのピアノを使います。アライグマのピアノ。初公開。15分くらいで作りました。紙、です。折りたためて、持ち運ばないけど持ち運べて、通常のピアノの1000倍くらいコンパクトで、重さと費用は実質ゼロです。すごいでしょ。


ただし、言わなくてもおわかりになるかと思いますが、このピアノでできる練習は限られています。音が出ないし、そもそも押せないので、音楽をつくることは無理です。ではなにをするかというと「指」を作ります。紙鍵盤でそれをやると、かえって下手になると感じる方もいるみたいですが、わたしは実際の鍵盤で弾くときよりも落ち着いてできるという点で重宝しています。もちろん指を作ると言ったときも紙鍵盤だけの練習ではやはり無理で(少なくともわたしは)、実際の鍵盤が必要なこともあるのですが、音の出ない鍵盤は実物のピアノと違って静寂をくれ、ひたすら指のことだけに集中させてくれます。


あ、指を作るというのは、わたしが勝手に言っているだけで専門用語でもなんでもないですが、要するに、自分の指をどう動かすかを考えたり、どう動いているかを確認する作業のことです。5本(両手で10本)の指の動きと位置を目で見て記憶します。暗譜(楽譜を見ないで弾くこと)をするとき、頭で音符を覚える(つまり楽譜をそのまま記憶する)方法と、自分の指の動きを視覚で覚える方法、あとは感覚(なんとなくこのへん、こんな感じというような)とを使う方法があるのですが、その割合はおそらく人によって違っていて、わたしは視覚的な部分をかなり頼りにしています。音で覚えているのではなくて、位置で覚えているのですね。で、わたしはその方法でピアノを弾くのが楽しいのですね。自分の頭の中にある記憶した指の動きを、そのまま自分の指で実現していることに喜びを感じたりします。この点だけをとれば音楽とは関係のない話ですが。


そういうわけで、アライグマのピアノはこんなに薄っぺらいですが役に立っています。くれぐれもバカにしないように。



曲ったハンドルの悲しみとともに。

2009年02月19日 01時33分24秒 | 日記
さて、タツコさんのお話です。


先日、友達のいももちちゃんから頂いたコメントで思い出しました。

「物を大切にする」

この言葉に関して、わたしには幼かりし頃に植えつけられた記憶がございます。


わたしはよく母親のタツコさんに「物を大切にしなさい」と叱られておりました。わざとではないのですが、不注意でよくいろんなものを壊したり失くしたりしていたんです。すると「あんたはどうしてそう物を大切にできないの」と怒られました。どうしてと言われたってそんなこと知るかよ。と思っておりましたが、まあ仕方がありません、買ってもらったものを壊したり失くしたりするのは、やはり褒められたことではございません。


ですが、ある日。


公園で友達と遊んでいたときのことです。
わたしはその日、自転車に乗って出かけたのですが、止めておいた自転車が突然の強風に煽られて倒れてしまい、ハンドルがぐねっと曲ってしまいました。一生懸命自力で直そうと試みましたが適わず。

悲しみに暮れながら家に帰り、タツコさんに事情を説明します。
「風で倒されて曲ってしまった」と。
するとタツコさんは言いました。

「なんであんたはそう物を大事にしないの!」

ちょっと待て。
とわたしは思いました。
風で倒されたと言っているじゃないか。と思いました。
なのになぜ「わたしが」物を大事にしなかったことになっているのだ?と思いました。
わたしが大事にしていてもいなくても、
相当する強さの風が吹けば自転車は倒れるのではないか、と思いました。
そして倒れる角度によっては、地面にぶつかればハンドルは曲るものではないか、と思いました。
それともなんですか。
自転車に乗ってあそびに出掛けたら、いつ強風が吹いても自転車が倒れないように見張っていろということですか。


と、今なら反論できるんですが、
当時のわたしは母親の言うことをよく聞く良い子だったのです。
嘆かわしい。


というわけで、以来わたしは自分のものが壊れることを恐れるようになったのであります。
そう、すべてはあの曲ったハンドルを悲しみとともに握り締めた日に始まったのです。



タツコさん、すばらしい教育をどうもありがとうございます。







ふん。










マスカルポーネさんの音楽日和。

2009年02月18日 12時24分07秒 | uubの音楽日和
レストラン・ヴィーノのマスカルポーネさんからCDを借りました。


普段洋楽をあまり聴かないわたしが、洋楽ばかりを聴くというマスカルポーネさんに、おすすめを教えてくださいと嘆願。そんな要望に応えて、マスカルポーネさんが持ってきてくれたCDをご紹介致します。全部で7枚。



まず1枚目、じゃん。

Maria Callas - La divina



2枚目、じゃじゃん。

Sarah Vaughan With Clifford Br



3枚目、じゃじゃじゃん。

Kind of Blue



4枚目、じゃじゃじゃじゃん。

ボッサ・カリオカ



5枚目、じゃじゃじゃじゃじゃん。

Jazz in Paris: Oscar Peterson-Stephanie Grapelli Quartet, Vol. 1



6枚目、じゃじゃじゃじゃじゃじゃん。

Abbey Road



7枚目、いい加減しつこいけど、じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃん。

JOAO VOZ E VIOLAO



一通り聴きましたが、どれもすてきなアルバムでした。
なんて趣味のいい。
マスカルポーネさんの音楽日和が、わたしの音楽日和にもなりそうでございます。



まだまだたくさん借りようと思います。


ゾウさんのブックカバー。

2009年02月17日 10時48分38秒 | uubの送別会

わたしのブックカバーです。

文庫サイズの布製。

三年前くらいにシマウマのアーモンド君が誕生日のプレゼントにくれたものです。



とっても気に入って使っていたのですが、

ついに

栞の紐が切れてしまいました。







何度も何度もページの間に挟まれることで、
すこしずつ磨り減っていたのですね。

そう、あれはアルベール・カミュの『ペスト』を読んでいたときでした。
駅のホームで電車を待っている間、
少し目が疲れていたので、このあたりでと、紐を前のページの間から抜いたら
ぷちっと切れちゃった。



あー。




あーあーあー。




帰路を泣く泣く歩くわたし。


このまま使い続けようかどうしようか悩みましたが、
切れた部分が痛々しいので、
もう休ませてあげようと思います。


ゾウさん、おつかれ様。
ありがとね。





Happy Valentine's Day vol2

2009年02月16日 01時19分31秒 | 日記
はい、続きまして。





LADUREEの小箱。


ふたを開けると、
じゃん。





3色のマカロン。


真ん中のいちご色は、たぶん、いちごとベリー類のジャム。1番のお気に入り。
右側のクリーム色は、たぶん、コーヒー味のキャラメル。オトナの味でした。
左側のオレンジ色は、たぶん、オレンジとマンゴー、かな。

味には手厳しいであろう方から頂いたので、
あんまり見当違いなことは言えません。
いちごがスイカだったりしないことを祈ります。



はい、みんなでもう一度。



3色の、マッ・カ・ロ・ン。




もひとつおまけに、






ロン







あ、誰からもらったかですね。
素敵な男性から頂いたので、内緒です。



Happy Valentine's Day 

2009年02月15日 15時12分30秒 | 日記
さてさて、バレンタインデーでした。

あったかかったね。

雪の降る日に、白いコートを着て、首に巻いたマフラーの中に顔をうずめ、
リボンをかけた小さな箱に、手作りチョコレートと恋心を詰めて、
家の前で、部活帰りの彼を待つ。
かじかんだ手で、はい。

というシチュエーションは期待できないあたたかさでしたね。
手編みのマフラーを編んだ子はどうしたのだろうと、余計な心配をするくらいの
お天気でございました。

世界の様々な場所で、様々な思いが飛びかった一日だったのでしょう。
いや、バレンタインデーじゃなくてもそうなんだけどさ、一応言っておかないと。



前置きはこれくらいにして。
わたしもチョコレート、もらいました。るん。


まずはこちら。キャンティさんから。




かわいいでしょ。
お店に飾ってあったチョコです。
14日の23時50分を受け取りに、一番にわたしが予約いたしました。
黄色とピンクの飴玉チョコは、他にも水色やシルバーやグリーンがあったけれど、
数の少なかったこの2色を遠慮なく選んできました。


右側の小さな箱は、
中を開けると。

じゃん。




ハートのチョコがふたつ。

はい、もう一度。

ハートのチョコがふ・た・つ。


あーうれしい。
あーたのしい。


わたしのハッピーバレンタインデー。


まだまだ続きます。







5つの「力」

2009年02月13日 00時11分39秒 | 日記
本屋さんで「○○力」というキーワードを目にすることが多くなりました。

ちょっと注意深く観察するだけでいろいろ出てきます。
流行りの「人間力」に始まって、作家では渡辺淳一が「鈍感力」、スポーツではサッカーの中村俊介選手が「察知力」、ビジネス書や自己啓発本になるととにかくなんでもありで、「仕事力」「人脈力」「思考力」「マネー力」「現場力」「質問力」「雑談力」「ルーチン力」「関心力」「解決力」「読書力」「空腹力」「断食力」「世渡り力」なんていうものまで、実に多岐にわたっています。つい最近では雑誌「Number」の今週号のタイトルが「言葉力」でしたね。はいはい、もうわかりました。という気分です。


わたしにとって重要な「○○力」とは、常に5つしかありません。

「理解力」「想像力」「表現力」「判断力」「決断力」です。

以前わたしはどうして勉強しなければならないのかということを真剣に考えたことがあります。勉強が最初から楽しい子なら、そんなことは考えなくて済むのかもしれないけれど、勉強が楽しくない子は当然思うわけです。なんでこんな将来役に立つかどうかわからないことを、今必死になってやらなくちゃならないのか、と。みんながみんな学者や技術者や専門家になるわけじゃない。自分たちがやらされていることの中で、それぞれにとって必要のないことはいくらでもあるような気がします。
でもそういうことではないのだと、ずいぶんあとになってから思うようになりました。わたしが学校で学んだことは、あるいは、学ぶべきことだったのは、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」がソラで言えることとか、三角形の角の和が常に180度であることを証明できることとか、江戸幕府の歴代将軍の名前とその将軍が行った政策を線で結べることではなくて、それらを学ぶことを通して「理解力」と「想像力」と「表現力」を身につけることだったのだと。

そしてつい最近になって思うようになったことがあります。この「理解力」と「想像力」と「表現力」を身につけることによって得られる最大の力は「判断力」ではないか、と。逆に言えば、判断力をつけるためにこそ「理解力」と「想像力」と「表現力」が必要なのではないか、と。

どんな世界でも分野でも企業でも、トップに立つ人に求められるのは常に「判断力」ではないだろうかとふと思ったのです。なぜならトップにいる人だけに許されている権限が「判断」だからです。どんなに能力があっても底辺の端っこにいる人間に組織の判断は任されません。だからこそあの和久さんの「正しい事をしたければ偉くなれ」があるわけです。そしてその判断力の基盤になるものが「理解力」と「想像力」と「表現力」ではないかと思ったのです。

情報を理解し、将来を想像し、ある表現をもって、判断をくだす。その判断が偉大であればあるほど人は彼についてくるし、組織は強くなる。だからこその重要な判断力。

ところがもう一つ重要なものがある。それが「決断力」だとわたしは思うのです。判断したことを実行に移す、その力。決断ができなければ的確な判断も無駄になってしまう。
わたしは「理解力」「想像力」「表現力」とそれに培われる「判断力」は学べるものだという気がするのです。しかるべき訓練を積み重ねることでそれぞれの限界はあるにせよ育てていけるものではないかと。でも「決断力」というのは頭で学べるものじゃない。どうやって養われるのか知っている人がいたら教えてほしいですが、ともかく読書をたくさんしたら、運動をたくさんしたら、煮干をたくさん食べたら、というように、何かをしたら身につくという種類のものではない。決断しなければならない立場に立たされて初めて発揮できる能力なのかもしれません。


わたしはまだまだ底辺の端っこの隅の陰で、こっそり息をしているアライグマです。がんばりまーす。





REVELATION 禁断の味を知りたい?

2009年02月10日 13時46分34秒 | uubの音楽日和
L'Arc-en-Cielの『SMILE』というアルバムの中にあります。


8曲目「REVELATION」



2008年の6月に初めて行ったラルクのライブ。もうそんなに経つんですね。
まだまだ昨日のことのようですが。

そのライブの1曲目がこの「REVELATION」でした。わたしは「SEVENTH HEAVEN」だと信じて疑っていなかったのですが、あえなく裏切られた形となりました。
間違いなく「SEVENTH HEAVEN」のギゅィーン、ギゅィーンっていう前奏で始まると思っていたのに、ギゅィーンっていうのは聴こえてこなくて、黒いマントを頭からかぶった悪魔がやってくるときの効果音に使われそうな重低音から始まってしまった。ドぉンドぉン、ドぉンドぉンって。
ラルクのアルバムは1枚をのぞいてすべてわたしのパソコン、アーリー君の中に入っているのですが、その知らざる1枚が『SMILE』だった。当然「REVELATION」も知らない。知らない曲が1曲目にきて乗り遅れたわたし。ドぉンドぉン、なんて知らない。このあとどうしたらいいかわからない。あーしまった。と思ったけれど後の祭り。


その「REVELATION」ですが、このステージもまた、なかなかイケてる。
どこか現実離れしたところで音楽を鳴らそうとする彼らですが、この曲のステージも相当着飾られていて、聴いているわたしはそこにいるのが楽しくてしかたない。しかもライブの1曲目で聴いているから、聴くたびにあのライブ会場に戻れるんですよね。いやー、ライブってすごい。


まさに禁断の味ですわ。





トウコちゃんとナチュラルライフ。

2009年02月09日 12時40分22秒 | uubの楽しい食卓
カモメのトウコちゃんとマクロビオティックカフェに行ってきました。


マクロビオティック。トウコちゃんは略してマクロビと呼んでいたけれど、知ってる人は知ってるのかな。
ご承知のとおり、冷蔵庫も包丁も家に持たないわたしは、健康食品や自然食品と呼ばれるものとは無縁の生活をしているわけですが、そんなわたしでも「わーい。マクロビ♪」と思いながら行ってきました。


行ったのは表参道にある『ブラウンライス』
http://www.brown.co.jp/


店内は満席でテラス席ならということだったので、最初は躊躇したけれど、席まで行ってみるとそんなに寒くない。いいかも。ということで意見の一致をみたカモメとアライグマは青空の見えるテラス席に座って、用意されていた大きなブランケットを肩からかぶってお食事。


トウコちゃんが食べたのはこちら。↓

<玄米INARIセット>



わたしが食べたのはこちら。↓

<Vegeバーガー>


Vegeバーガーは、パテが豆腐からできているのですが、この豆腐がもっちもっちの豆腐なのです。もっちもっちの餅ではありません。もっちもっちの豆腐です。しつこいようですがとてももっちもっちとしていて、口の中でもっちもっちと噛むのが楽しかったくらいもっちもっちとしておりました。


わたしは女の子とカフェに行くと、そうではありたくないと思いつつ、不気味なくらい長居をしてしまうことがあります。この日もまたそれでした。青かった空はもうなく、とっぷりと日が暮れ、気がつくと寒さで体が固まっていました。カチーン。そしてやってきた欲望はあったかいカフェが飲みたい(笑)。
店内の席が空いたら移動したい旨お店の人にお願いをして、もう少し我慢。


そして、無事に店内でデザートとカフェまで、きちんといただきました。


お店を出たときには夜空。
外の冷気を肌に感じて、自分の心がほくほくとあたたまっていることに気がつく。
そんなトウコちゃんとのナチュラルライフでした。