uubの小屋

I also miss your small but peaceful room.
ただ今、冒険中。

予算。

2007年05月31日 00時38分07秒 | 森のレストラン
「予算」についてどう思っていますか。

ある日の朝礼で、このキーワードが出ました。

予算。

わたしたちの仕事のひとつは、毎月、決められた予算を達成することにあります。

数字に出てくる成果として、まずはこの予算の達成を目指して働いているわけです。

その「予算」、要するに「数字」を追うことに、疑問を感じているスタッフがいないかどうか、それを懸念した社員さんの発言でした。


正解、不正解はおいておきます。


わたしにとっての予算は何だろう、と改めて考えてみました。


予算を追うことに疑問を感じていないかと聞かれて、わたしは特に感じていません、と答えました。
でもそう答えた後で、どうして疑問に感じていないのだろう、と思いました。
わたしは、自分のしている仕事と、結果としての数字を、どういう結びつきで捉らえているのだろう、と。


森のレストランで働くわたしにとっての数字は、「わたしたちが、人(社会)からどれだけ求められたか」を表す物差しのひとつだと思っています。
数字が大きければ大きいほど、わたしたちは社会から多くを求められている、という捉らえ方です。

わたしは思うのだけど、人が何かを購入するとき、その時点ではそのモノの価値はわからないことがほとんどです。同じものを買うにしても、それが必ずしも前回と同じだけの価値を提供してくれるとは限らない。
わたしたちは、支払うものに相当するだけの対価が得られるであろうという、あくまで予測のもとに、モノを購入しています。
たとえば、500円の「あらめ」を食べようと思うお客様は、あらめに500円の価値があるであろうと予想(あるいは信用)して、あらめを注文するのであり、結果、それが500円に相当する満足を与えることができなくても、500円という対価はすでに発生しているわけです。

だからわたしが考える結果としての数字の意味は、「お客様からどれだけの期待を寄せられているか」を教えてくれる値であり、「その期待にわたしたちはきちんと応えられただろうか」を顧みるための道標であり、「その期待をより高めたい」と思わせてくれる、成長への足掛かりである、と言うことができます。


なんて、毎日そんなことを頭のてっぺんに掲げて働いているわけでは、もちろんないのだけどね。


ここまで意見を述べておいてなんですが、たぶんわたし、あんまり数字は気にしていません。きれいさっぱり正直に言えば、数字はわたしの興味の対象外です。すんごい忙しくて疲れた日に、それなりの数字を聞くと安心できる、というのはあるけれどね。だって、全力疾走したのに、歩いてただろ、なんて言われたらたまらないもん。

それでも予算達成を追うことに疑問を抱かないのは、単純に、自分の仲間がその目標に向かってがんばっているからだと思います。がんばっている仲間を見て、自分がそれに協力できなかったら、それはもう嘘だからね。

森のレストランをいいお店にしたい。そのために一緒に働いている仲間が、その目標達成のために追っている数字なら、わたしもその数字を一緒に追い掛けてみようと思う。自然とね。


そう。自然なことだから、疑問はなかったんだね。




バースデー☆プレート

2007年05月29日 23時52分57秒 | 森のレストラン
森のレストランには、バースデープレート、というデザートの盛り合わせがあります。

お誕生日のお祝いをしたい、というお客様のために用意しているプレートで、メッセージもいれることができます。

そのメッセージを、たまに、わたしが書きます。
チョコペンを使って、そのときのわたしの気分で、あれこれデコレートしながら書きます。

この日は、メッセージの上にリボンも書いてみました。

まあ、要するに、お絵描きして遊んでいるわけです。はい。



仕事のあと、そのバースデープレートのお客様を担当した白和えちゃんから、メールが届きました。


「uubさんの書いたプレートを見て『リボンが描かれてる!可愛い!!』って喜んでましたよ」って。


お客様に喜んでもらえたことを、とても嬉しく思いました。
お客様が喜んでいたことを、こうして教えてくれる仲間と一緒に働いていることを、とても嬉しく思いました。


わたしも、白和えちゃんのように、誰かの「るん」を他の誰かにも広められる働き方をしたいなって思います。


白和えちゃん、どうもありがとう。



ふるさと箱。

2007年05月23日 09時38分13秒 | 日記
きりんのユキちゃんから、ふるさと箱が届きました。


ダンボール箱いっぱいの、みかん


うちに荷物を送ってくるのは、母親のタツコさんだろうと思っていたら、送り主の名前を見てびっくりです。


「きりん様」


ユキちゃん!?


なんの前触れもなく、驚かそうと思ったのかしら。


はい、見事に驚きました。



ダンボール箱いっぱいのみかん。

おいしいおいしいみかん。



誰にもイッコもあーげない






おはよう、森のみんな。

2007年05月21日 12時20分37秒 | 日記
今日の朝ごはんは、野菜ジュースとヨーグルト。
さっきコンビニで買ってきました。うちには相変わらず、冷蔵庫がないからね。
緊張していて、あんまり食欲がありません。

みんなに知らせようと思っていることがあって、でもそれをどのタイミングで、どんな言葉をつかって、どういうふうに言えばいいかがわからなくて、でも、今ならなんとか書けそうな気がするので、半ば、勢いですが、書いてみようと思います。

森のレストランを辞めるという話を、店長のユウさんとしていました。
理由はたくさんあります。たくさんあるけれど、実際的な理由の一つとして、まずは、経済的な事情です。わたしは腰を痛めてから、働く日数と時間を極端に減らしてきました。その結果、腰はリハビリの成果もあって、おかげさまで回復の方向に向かっているけれど、当然収入は減りました。かといって、前と同じように働き始めたら、また同じことを繰り返すのだと思うのです。自分の体のことだから、なんとなく、それはわかります。だから、前と同じ収入を得るためには、仕事を変えないといけない。
もうひとつ、わたしにとってはこちらもかなり大きな理由なのですが、精神的な事情です。働けない、ということは、思いのほか心理的なダメージが大きい。わたしは仕事をすることが好きな人間では決してないのだけど、社会の中の一員として生活をしている以上は、やっぱりその社会に対して働きかけるものを持っていないと、少しずつ、自分が空虚になっていく感じがあります。ちょっと大袈裟な言い方かもしれないけどね。

そういうわけで、とにかく、もう少しまともに仕事をしよう、と思ったのです。

わたしの「したいこと」と「できること」を天秤に乗せてみたときに、一番バランスのよかった(と思った)ことを選ぼうと思いました。そしてわたしは、6月から別のレストランのレセプション(フロント)として働くことを決めました。面接の結果、相手側もわたしを受け入れてくれたので、来月からわたしは、そのレストランのスタッフになります。


森のレストランを辞めます。
そうユウさんに話したとき、ユウさんは反対しました。反対してくれた、と言ったほうが正しいかな。あっさり認められてたら、それはそれでちょっと悲しい気持ちになっていただろうからね(笑) 自分で辞めると言っておいて勝手だけど、ま、未熟なアライグマが思うことなんてそんなものです。
ふたりでずいぶん熱心に話をしました。ユウさんには、わたしの問題にとても真剣に向き合ってもらって、とても感謝しています。

結論から言います。

わたしは森のレストランを辞めることを、保留にしました。6月からは掛け持ちになります。今までよりもさらに働く日数は激減するけれど、それでもまずは続けてみることにしました。
この結論を出すまでにはずいぶん悩んだし、今でもすっきり解決というわけではありません。

わたしは森のレストランが好きです。この一年間、とても愛してきたし、とても愛されてきたとも思っています。ずいぶん厳しい愛情だったけど、そのおかげでたくさんのことを教えてもらったと思います。働く時間を減らせば、どんなに説明をくっつけても、今までと同じ関係ではいられません。わたしは森のレストランのスタッフであるのと同時に、他のレストランのスタッフでもあります。そしてわたしは、新しいレストランを、森のレストラン以上に愛したいと思っていました。そういう働き方をしたいなって。そうじゃないと、森のレストランを辞める意味がない。でも、辞めない、という結論を出したら、そこのところがよくわからなくなってしまった。いったいわたしは、何を大事にしたいんだろうって。

「あなたの信じる仕事をしてほしい」って言ってくれた人がいます。とてもうれしかった。その言葉で、その人がわたしの仕事を信じてくれていることがわかるから。

わたしの信じる仕事ってなんだろう。

そんなに懸命に、真面目に考える必要もないのかもしれない。どちらの仕事も楽しくやればいいじゃん、と考える方法だってあるはずです。それが一番だと思う自分もいます。
正直よくわからないんです。自分にとっての仕事が何なのか。わかりやすいのは「お金のため」だけど、それ「だけ」のために仕事なんてやってられない。じゃあ、お金以外に、わたしが仕事に求めているものはなんだろう。


そう考えて出てくる答えは、「楽しさ」なんだよね。結局。
その仕事に対してどれだけ真剣に向き合えるか。考えられるか。学ぼうとできるか。そして、そのために動けるか。


新しい仕事を始めて、同時に、森のレストランを続けて、その状況をわたしが本当に楽しむことができるか。それが一番大事だと思うし、それを一番大切にしたい。もしそれができなかったら、また考えようと思う。


これがいま現時点での、わたしの精一杯の答え。


結局、お店にとって何がいいかを一番に考えることができなかった。
自分のわがままを優先した結論を出しました。
そういうわたしと働くことに疑問を感じたり、違和感を覚えるスタッフもいるかもしれない。その可能性を考えると恐ろしくもあります。
スタッフだけじゃなくて、この小屋にあそびに来てくれている人たちに対しても同じ気持ちです。
ずっと、わたしの働き方を見て、励ましてもらっていたから。

でも、そのことも考えた上での結論です。

そして、この結論を出したことに対する責任の取り方の一つが、ここでこうして、新しく仕事を始めることになった経緯を、きちんと報告することではないかと思いました。


まだまだ未熟な旅が続きそうです。


どうぞこれからも、わたしと、この小屋を、よろしくお願いします。



パリ、テキサス。

2007年05月10日 17時04分47秒 | 日記
名画座で観てきました。


ヴィム・ヴェンダース監督作品『パリ、テキサス』


わたしには映画を語る言語なんて、ひとかけらもありはしないのだな、と痛感した映画であります。


いやぁ、かっこいいね。


もし自分が将来子供を産んで、やむにやまれぬ事情で子供を捨てたら、絶対に赤い車に乗ろうと思いました。  ブォーン。


いや、その前に子供は捨てるべきじゃないよね。

いや、もっと前に、免許も持ってないんだった




いい友達。

2007年05月04日 18時43分35秒 | 日記
いま、実家に帰ってきてます。

ゴールデンウイークだからね。

娘孝行してもらおうかなと。



母親のタツコさんはテレビが大好きです。家に帰ってくると、電気よりも先にテレビをつけるくらい、テレビが好きです。
本当はタツコさんを東京に招待しようかと思ったけど、テレビのないわたしの家ではかわいそうだなと思ってやめました。
それくらい、タツコさんはテレビが好きです。


そういうわけで、実家にいると、わたしの意志とは無関係に、ずっとテレビがついています。わたしは嫌なのですが、ここはタツコさんのお城なので、しかたありません。たとえ目が覚めたとき最初に聞こえてきたのが、みのもんたの声であっても、文句を言ってはいけません。

とにかく、わたしの意見や気分や行動とは何の関係もなく、タツコさんのテレビはずっとついています。


そして


ぼぉーっと眺めていたら


画面の中に


ななちゃんが出てきた☆


きゃあ。


いよいよ来週公開の映画『眉山』を前に、その宣伝を兼ねたインタビューに出演していました。


きれいだった。


夢中になって見ていたら


友達からメールが。



「松嶋菜々子が出てるよ!」



実家にいることをわかってて、つまり、テレビがあることもわかってて、メールくれたんだね、きっと。


すごいな、わたしのななちゃんパワー(笑)



いい友達だねぇ。



と、タツコさんは笑っていたよ。



どうもありがとう☆

uubの好きな男性。

2007年05月02日 10時28分27秒 | 日記
近頃、とてもよく訊かれます。

「どんな男性が好みなんですか?」

単純な興味で聞かれることもあるし、
なぜだか知らないけれど、非難めいた聞かれ方をされることもあります。
「いったい、オマエは誰がいいんだよ!?」というような。


そう言われてもねぇ。。


たとえば芸能人で誰が一番好きかというと、

わたしはペ・ヨンジュンが好きです。

でもそれを公言すると、

ほとんどの人が絶句します。

不快感を露わにする人もいます。

女の子でたまに賛成してくれる子もいるけれど、

ごく稀です。

だからあんまり言わないようにしています。


でも、たまには言います。



芸能人で一番は、ペ・ヨンジュンです。



わたしが彼を好きな理由は、

ペ・ヨンジュンのあのキャラクターは、他の人にはマネできないと思うから、です。


彼のあのキャラクターが本当はゼロから作られたもので、彼自身とは遠くかけ離れていて、本当は全然違う人柄を持っているのだとしても、それはわたしが彼を好きだという評価にはほとんどなんの影響も及ぼしません。わたしは彼がメディアを通して見せている姿が本来のものだろうが、作られたものだろうが、あの独特の、彼にしか(でき)ない、存在感を彼が所有していることがなによりもすごいと思っているのです。
そしてそれは、誰にでもできることではないと思うのです。
そういう理由でペ・ヨンジュンという人がとても好きなのです。



と、こういうことを言うと、



さらにわけがわからない、と言われるんですよね。










子供は好きですか?

2007年05月01日 12時23分49秒 | 日記
一般的によくされる質問の一つです。


「子供は好きですか?」

「将来、子供は欲しいですか?」



わたしの答えは、いいえ、特に。です。



たとえば、

電車に乗ってる幼稚園児の軍団→他の車両に乗ろう。
突然泣き出す赤ちゃん→はやく言葉がしゃべれるといいのにね。
たまに森のレストランにやってくる、小さい子供→お願いだからおとなしくしてて。

と思います。

子供が好きだと言う人の反応とは、たぶん違うよね。


自分の子供が欲しいか(産みたいか)という問題に関しても、あんまり真剣に考えたことはありません。要するに、いつか絶対に産みたい、という強い希望もないし、絶対にいらない、という断固とした拒絶もありません。

旦那さん(いると仮定してですが)が「欲しい」と言ったら「いやだ」と言いそうだし、
「僕は子供なんかいらない」と言ったら「わたしは産みたい」と言ってそうだな、と思います。


その程度です。


でも先日、ある光景に出くわしました。


登校途中の幼稚園児たちだったと思うのですが、
ひとりの男の子が全力疾走で、友達の男の子を追いかけていました。
その勢いで、カバンから何かを落としました。
男の子はキキーッと、自分の足にブレーキをかけました。
後ろから走ってきた女の子が、その落し物を拾いました。

男の子は女の子に言いました。


「ありがと」


その「ありがと」に、通りすがりのアライグマはやられました。
完全にノックアウトです。
すんごいかわいかった。
ちょっと信じがたいくらいのかわいさです。
ななちゃんの笑顔を見たときの興奮を上回るのではないかという危惧さえ感じました。


あれは絶対に武器だ。


というわけで、やっぱり子供は好きになれそうにありません。
あんなの反則です。
わたしは正義を愛しています。




今からでも身につけられないものだろうか、あの「ありがと」。