uubの小屋

I also miss your small but peaceful room.
ただ今、冒険中。

ベジタブル君は村上春樹が好き

2010年05月29日 08時55分44秒 | Letters
ベジタブル君とした村上春樹の話が、わたしには今も印象的です。


当時わたしはそれほど村上春樹を読んでいたわけではなく、好きだったわけでもなかったおと思うのですが、でも誰かと小説の話をするとなったら、名前を出さないわけにはいかない作家でした。村上春樹の名前を出さずに小説の話をするのは、おはようと言わずに一緒に暮らすくらい味気ないし、つまらないような気がします。


ベジタブル君は村上春樹がとても好きだと言いました。でも、世の中のこんなに多くの人が村上春樹を好きだというのはなんとなく不思議な感じがする、と。自分は大好きだけれど、それほど一般的に好まれるタイプの小説ではないように思う、ということなのでしょう。
あのときはベジタブル君の言うことがそれほどよくは伝わってこなかったけれど、今はわかります。わたしも、そう感じる。わたしは村上春樹を「大好き」ではないけれど、こんなにも多くの人が村上春樹の小説を読んで、好きになるというのは、不思議な感じがします。もちろんすばらしい小説であることは間違いないのだけれど。


村上春樹の小説を読むたびにベジタブル君の言っていたことを思い出して、なんでだろ、なんでだろ、って自分ではないたくさんの読者の思考を想像したりします。


やっぱり、いい小説だよね。




いちばん

2010年05月25日 22時46分46秒 | Letters
その昔、わたしはいじめられっこでした。ニュースの事件に発展するようなひどい目にあっていたわけではないけれど、集団で無視されたり、集団で陰口を叩かれたり、ひとり対全員のゲームを仕掛けられたり(鬼ごっことかね、さいあく。)そういうよくあるやつです。方法はいろいろあるけれど、要するにあれは、存在を否定されるんですよね。ただそこにいるだけである種の人の感情を逆撫でする要素が自分にあるのだということを、わたしはこのときに学びました。小学3年生のときです。


小学4年生のときに転校して、それからいじめられることはなかったのだけど、転校した先の小学校でも、中学でも、高校でも、わたしをものすごく嫌いになる人というのは必ずいました。直接会話を交わしたり、何かの形で関わったことがあるわけでもないのに、気がつくとすごく嫌われているんですよね。あの子あんまり好きじゃないという程度ではなく、ものすごく嫌われるんです。敵意を剥きだしにされるのです。話したこともないうちにそうなっています。小学校からずっとそうでした。ただそうは言っても、わたしのことを一番嫌っているのはわたしなので、他人からどんなに嫌われても結局のところは平気だったのです。わたしは、わたしのことを嫌いな人の気持ちが、まあ、なんとなくわかります。


わたしにとって大きな負担だったのは、いじめられたことではなく、嫌われたことでもなく、小学生から高校生までのどの時点においても、一番仲の良かった友人がいなかったことだろうなと、今は思います。友達に一番とか二番とか順位をつけるのはどうかという意見に疑問はないけれど、でも実際、みんないたでしょ?「一番仲のいい子」って。小学生のとき一番仲のよかった子。中学生のとき一番仲のよかった子。高校のとき一番仲のよかった子。多くの人は「~のときに一番仲のよかった子」という単語と事実を持っています。わたしにはないです。それはわたし自身に問題があった場合もあると思うけれど、わたしのことをひどく嫌っている人間がいたことも、おそらく影響しているのだろうと思います。誰かにひどく嫌われているクラスメートを、好んで自分の一番の友人にしようと思う人はあまりいないのです。もちろんひどく嫌われること自体がわたしに問題があるということなのだけれど。


最初にわたしを「いちばん」だと言ってくれたのは、カンガルーのカシスちゃんでした。19歳のときです。東京に出てきてからの最初の友達で、大学初日のオリエンテーションで知り合ったので、さすがのわたしもまだ誰からも嫌われていませんでした。もしすでに誰かがわたしをひどく嫌っていたら、カシスちゃんの「いちばん仲のいい友人」にもならなかったのかもしれないけれど、でも実際には、カシスちゃんはわたしにとって初めての「一番仲のいい友達」になりました。


誰かに「~のとき一番仲のよかった友達は誰?」と聞いて、わたしの名前を出す人はたぶんいません。カシスちゃんも今はもう、わたしの名前は出さないかもしれません。でもあのときに「いちばん」だと言ってもらえたことは、大袈裟なように聞えるかもしれないけれど、わたしの人生のひとつの転換点だったと思います。カシスちゃんにそう言ってもらえたことで、ようやく自分以外の人の視線や基準で周りのものを見られるようになったかもしれないとも思うのです。あまりうまく言えていないですが。




ただひとつだけはっきりとした変化があります。




カシスちゃんと友達になって以降のわたしは、女の子からとても好かれるようになりました。いえーい。











そういえば昔から、計画を立てるのは得意だったけれど、計画を実行するのは苦手だったんです

2010年05月22日 23時02分55秒 | 日記
森のみんなに手紙を書き始めて8ヶ月が経ちました。この結果からこんなことを口にするのはとても恥ずかしいですが、当初は2ヶ月くらいで森のみんな全員に書き終わる予定だったのです。長くても年内には、と思っていました。それが9ヶ月目を迎え、100通を超えようとしています。しかも、まさかまだ書いてるとはね。手紙を書く相手がわたしに100人もいるなんて、誰も思わなかったに違いありません。わたしの友達づきあいの悪さは周知の事実です。でも100人。本当にたっくさんの仲間に恵まれてだからこんなにも楽しく今までやってこれたんだなあと、みんなの個性に脱帽です。


手紙を書いている8ヶ月の間にも様々なことがあって、それはそれで手紙とは別に、並行して書けばよかったのだけれど、その様々なことがわたしの文章を書く意欲を削いだり、また、様々に進んでいく日々の中で、誰かに想いを向けて文章を綴るというのは、考えていたよりもずっと難しく、結局ここ数ヶ月のことは、あまり語れないままに来てしまいました。心配をかけていたらごめんなさい。


あともう少し、お手紙を書きます。





present

2010年05月15日 01時22分38秒 | Letters
森のレストランからレストラン・ヴィーノへやってきて、もうすぐ3年。今は本社勤務のわたしですが、スタートはレストラン・ヴィーノの入口でした。


そりゃもちろん、丸2年レストランの入口に立っていたら、そこがレストランの中で一番動きの少ないポジションだとしても、それなりにいろいろあります。いろいろある中でその多くは(うれしいことも、おもしろいことも、腹の立つことも、悲しいことも)忘れていったのでしょうけれど、忘れられないことだってもちろんあります。


わたし、本当に本当に本当に辛かったんです。その辛さは「忘れていった多くのこと」の中に入るけれど(どんな辛さだったかを今思い出すことはできません)、ただただ辛かったということは覚えています。ただただひとりでぎゅっと我慢していたのです。その我慢が正しかったのか、あるいは実際に我慢できていたのかは別の問題としてあるけれど、でもわたし自身は誰にも何も言えずにぎゅっと我慢していたのです。
言えないというのは語弊があるかもしれません。言ったところで伝えられる種類のことではなかったのです。いや、それがそもそも間違いなのだ、言わなきゃ伝わらないじゃないか。と言われたら、まあ、そのアドバイスが役に立たないことを証明する術はないのだけど。


当然ですが、我慢というものには楽しさや悲しみと同じで限界があります。限界を迎えたとき「怒る」という方向に気持ちがスイッチすればまだ本人にとっては救いがありそうなものですが(周りにとっては迷惑)、わたしはあまり怒れませんでした。ぎゅっと我慢。


限界というのは突然押し寄せてくるもので、いや、本当は日に日に積もっていくストレスを感じてはいるものの、「ああ、ここがわたしの限界だったんだ」というのは、限界が訪れてからわかるみたいで、わたし自身はもうちょっと大丈夫と思ってその日も出勤したのだけれど、全然だめでした。何が起きたかというと、制服に着替えてる最中にトイレで泣き崩れてそこから出ていけなくなってしまいました。信じられない事態です。怒りだす人より迷惑です。ああだめだ、なんとかしなくちゃ。これから仕事するのに。みっともない、なんとかなんとか。って必死に感情をコントロールしようとするけれど、全然だめでしたね。コントロール機能、動かず。


トイレの扉がノックされたのは、たぶんそれから30分後くらいでしょうか。ちっとも姿を見せないわたしを気にかけて名前を呼んでくれたのはロゼちゃん。


扉の向うとこっちとでどんな会話を交わしたかあまり覚えていないのですが、ロゼちゃんが扉を開けてと言ったので、わたしは扉を開けました。それで泣きながらたぶん何か言ったのです。「わたし、電話に出るの怖いです」とかなんとか、そんなこと言ったような気がします。


ロゼちゃんはわたしのことをぎゅっと抱きしめてくれました。それからこう言いました。「わかった、電話なんか出なくていい。」と。「電話出るの怖いなら、電話なんか出なくていい、そのかわりに私たちが全力でフォローする。uubさんが入口に立って笑顔でお客様をお出迎えしてくれたら、それだけでお客様は安心してくれる。uubさんが笑顔でお見送りしてくれたら、それだけでお客様は喜んで帰ってくれる。ねえ、だから笑って」と。


泣いてるわたしの目をまっすぐに見て、なんの迷いもなく、ロゼちゃんはそう言ってくれました。本当になんの迷いもなくそう言ってくれたのです。わたしは今でも信じられないくらいです。誰かを救えるあんなにも強い言葉があることを、わたしは今でも奇跡みたいに思っています。



それから最後に付け足すみたいにして、ロゼちゃんは言いました。「今日わたし、誕生日なの。だからuubさん、笑ってお祝いして」と。
ロゼちゃんはとびっきりの笑顔でした。



それからずっと後になって、わたしはロゼちゃんからCDをプレゼントしてもらいました。BUMP OF CHICKEN の アルバム。『present from you』
家にあるCD全部売り払ったとしても、これから先何度も引っ越しても、わたし、これだけは絶対、ずっと死ぬまで持ってる。







手紙は時間をかけて書きます

2010年05月07日 07時47分54秒 | 日記
あっというまに5月になっていて、ああ、4月も全然思うようにできなかったなと後悔するばかりです。そう、後悔ね。反省じゃなくて。逆だったらまだ未来への励みにもなるのですが、いやいやそううまくはいかないもので、残念ながら、後悔です。無駄な時間の重みで肩が凝ります。


言いたいことが積もって、大声を出したい衝動にも駆られ、しかしあまり楽しいことではなく、うれしいことでもなく、きれいなことでもなく、知的なことでもないので、外に向かって発するのは躊躇われ、結果、はけ口は自分しかなく、楽しくもなく、うれしくもなく、美しくもなく、智を欠いた感情を自分に向って発し続けることになり、それらの負のエネルギーが体の内側から徐々に広がり今では皮膚まで浸透してまいりました。


だからといって落ち込んでいるわけではなく、腹を立てているわけでもなく、悲しみに暮れているわけでもなく、悩んでいるわけでもなく(そういうときもあったし、断続的には今でもあるのですが)、ただ、後悔をしているのです。後悔をし続けているのです。ぜんぜん楽しくないことを、楽しめないことを、ただひたすら後悔するのです。




今はその後悔から脱出しようとしているところです。




今、森のみんなひとりひとりに手紙を書いています。手紙を書くときは、必ず、そういう後悔からは逃れて、あるいはどうにか追いやって書いています。だんだん敵が強くなってきて、追っ払うのに骨が折れ、時間がかかります。でも、時間をかけて書きます。