uubの小屋

I also miss your small but peaceful room.
ただ今、冒険中。

どのぬいぐるみが好きですか。

2009年02月08日 21時22分37秒 | 日記
この小屋を立ててから、3年半くらい経ちました。これまでだいぶたくさんの森の仲間に登場して頂いておりますが、みなさん、ご自分の名前気に入ってくれているでしょうか。すみません、断りもなく勝手に名付けてしまって。もし気に入っていらっしゃらなかったらお教えください。変えないんだけど。



ところでこの前、友達と4人で忘年会&新年会をしました。
メンバーは、


クジラのたと君。
ビーグルのトモちゃん。
たぬきのミニマム君。
あらいぐまのうーぶ、です。


この4人を見て、たぬきのミニマム君が言いました。
「もし、クジラとビーグルとたぬきとあらいぐまのぬいぐるみがあったら、一番売れないのはどのキャラクターだろうね。」


なかなか斬新な質問です。


「たぬきじゃない?」と、あらいぐまが言うと、
「だよね。」とたぬきは言いました。




どなたか、たぬきが好きな方、いらっしゃいませんか。




教訓。

2009年02月06日 19時55分04秒 | uubの幸せグッズ
ひさしぶりのタツコさんの登場です。
この小屋を訪ねてきてくれる森の仲間の反応から推察するに、どうやら小屋の主であるわたしよりも、すっかり人気者になってしまったタツコさん。なぜだ。なぜわたしじゃない。まったく。


そのタツコさんの登場です。


わたしは今、茶色の皮手袋を使っています。
3年前の12月18日に友達がプレゼントしてくれたものです。
でも、片っぽしかありません。
左手側はあるのですが、右手側はなくしてしまったのです。
同じく3年前の12月26日、タツコさんのいる名古屋で。


両手ともにあったのは、たったの一週間でした。
以来わたしは、左手は手袋をして、
右手はポケットに入れて歩いています。



なくしたのは、名古屋から東京に戻る当日。
わたしは駅まで車でタツコさんに送ってもらいました。
家を出たときは両手揃えて持っていたと思う(断言はできない)のですが、
名古屋駅に着いて車を降りようとしたら片方がなくなっていました。
車の中のどこかにあると思って探したけれど、見つからない。
わたしは泣きそうになりました。
一週間前にもらったばかりなのです。
途中で二度、寄り道をしたときに車を降りていたので、
そのときに落としたとしか考えられないのですが、
それも定かではありません。

どうしようどうしよう。
どうしようどうしよう。
わたしの頭の中はそれしかありません。
来た道を歩いて戻ってでも探したかったけれど、
新幹線の時間があります。
その新幹線を無視してでも探しに戻ろうかと思ったけれど、
わたしはそれをしなかった。
どこかからひょっこり出てくるんじゃないかという期待がかすかにあったのと、
「探しておいてあげるから」というタツコさんの言葉に頼ってしまったのです。

でも、結局見つからなかった。

タツコさんは車の中も、
寄り道をした場所も、
家の中も探してくれたようなのですが、
どこからも出てこなかった。

今でも、あのとき、なんでわたしは自分で必死に探さなかったのだろうと思います。
必死に探せばよかった。
自分で必死に探して、これだけ探しても見つからないのだから諦めるしかないのだと自分で思えるまで探せばよかった。
それをしなかったことをわたしは今でも本当に悔やんでいます。



それから3年経った12月。
名古屋の実家でタツコさんとふたりの年越しです。
机の上に置いてあったわたしの手袋。
タツコさんが手に取って眺めています。
どうやら気に入ったご様子です。
「あったかそうね。」なんて言いながら自分の手にはめています。
「あったかいよ。右手はないけどね。」
もちろんわたしはタツコさんもそれを知っていると思って言っています。
でもタツコさんは「片方しかないの?」と驚いています。
驚いたのはこっちです。


3年前の忘れもしないあの日のことを、わたしが大騒ぎしたあの日の出来事を、
また一から順序立てて話しましたが、タツコさんは首を傾げています。
「あーそんなこと、あったような気がするわ。」


そんなことがあったような気がする、ですって?


タツコさんの「あったような気がする」は「なかったとしても、今聞いたからあったような気になっている」だけに違いありません。なんたることでしょうか。やっぱり自分で探せばよかった。いえ、そうするべきだったのです。



まったく。



こちらは泣き喚いてしまいたいくらいの気持ちです。
なのに、タツコさんがわたしの手袋を嬉しそうにはめたときの表情がとても可愛かったので、まあ、いいか。と思ってしまいました。こんちくしょ。二度とはめさせてやるもんか。





教訓:「タツコさんの笑顔は無敵である。要注意。」








雨が降る日。

2009年02月05日 23時40分33秒 | 日記
雨が降る日。


1. たぬきのミニマム君がお出掛けをする日。


わたしは迷信のようなものはあまり信じません。
信じないことを書いたりしません。
なので、これは単なる事実です。
ミニマム君がお出掛けをする日は本当に降ります。


今まではこれだけでした。
ところが最近、もうひとつ増えたのです。



2. アラヤさんが洗濯物を干してきた日。



降るんですよねぇ。。。ほんとに。
なんて迷惑、いや、もとい。かわいそうに。




タイムリミットは午後6時。

2009年02月03日 10時08分03秒 | 日記
その日わたしはすっかり忘れていました。
今日中にATMで振込みをしようと思っていたんだ!手数料のかからない午後6時まで、あと10分しかない。間に合うかな。ぎりぎりだな。

急いで家を出る準備をして、ATMに向かいます。膝が痛いので思うように歩けません。走るのは無理。うーん、もどかしいよー。こんなときに途中でばったり友達に会って呼び止められてしまう。うーん。急いでいるけれど、人に慌てていると思われるのがなぜかひどく嫌いなわたしは、のんびりと挨拶を交わしてしまいます。うーんうーん。そしてまた急ぎ足。

たどり着いたATM。並んではいません。すぐに1台の機械の前に立って、ピコピコやります。あー、間に合うかな。振込みのボタン押して、キャッシュカードいれて、暗証番号押して、振り込みカードも入れて、ピコピコ。表示された手数料、0円。すばらしい。間に合った。ほっと一息。

ついでにいくらか引き出していこう、と思ったのが運のつき。ピコピコ。表示された手数料。
105円。




チーン。







わたしほど、ATMの手数料が嫌いな人はいないんじゃないかというくらい、わたしはこの手数料が嫌いなのです。だいたい機械じゃん。手数なんてかけてないしっ!といつも思うのです。電気料っていうならまだしもさ。あーわたしの105円。手数なんてかけてないのに105円!自分で機械を操作して、こっちが手数をかけられているのに105円!もともとわたしのお金なのに105円!


もう二度と同じ失敗は繰り返しません。こんちくしょ。




凛と姿勢よく。

2009年02月01日 12時12分29秒 | 日記
わたしは怒られるのがひどく苦手です。人間、いや、もとい、アライグマだから失敗はします。洗ったお皿に汚れが残っていたり、ひびが入っていることもあります。たとえ話ですが。とにかく失敗はします。そういうとき怒られると、わたしはあえなくしょげ返ります。割れてしまったお皿のことをいつまでもいつまでも悔やんで、なかなか立ち上がることができません。次にツーベースヒットのタイムリーでランナーをホームに返して、その次に逆転サヨナラホームランで勝利を勝ち取りヒーローインタビューでお立ち台に上がる、くらいのことがあるまで、だいたい引きずっています。でもそれはいいのです。それくらいのことをすればちゃんと立ち上がれるので。

問題は、失敗しなくても(少なくとも自分はそう思っていても)怒られた場合です。そういうことが世の中ではいくらでも起きます。自分が納得できないことで怒られたとき、わたしはまったく立ち上がれなくなることがあります。嘘じゃありません。大袈裟でもありません。どういうスイッチの入り方をしているのか不思議でたまらないのですが、本当にまったくダメになることがあります。安易な言い方ですが絶望してしまうのですね。人とコミュニケーションをとることに。そしてなんでこんな些細なことで絶望してしまうような心の持ち方しか自分はできないのだろうかと、そのことにまた苦しんでしまう。自分はなんてちっぽけなのだろうか、と。

でもそれは、きちんと反論できれば解決できる問題だろうとは思うのです。ところがそれができないんですね、わたしは。自分の一番よくないところだと思っています。
わかっていてもできないのは、おそらくはわたしに覚悟がないからだろうと思うのです。相手の非を咎めることに対する責任を負う覚悟、ですね。
誰かに対して怒りをぶつけた人というのは、一度怒ってしまった以上、もうそれを引っ込めることはまずできません。だからもし、その怒りが誤ったものだったと本人が気付いたときには、その人は逃げ道を失ってしまいます。人の怒りというのはそういうものだと思うです。だから「わたしは悪くない」と主張することは、相手の逃げ道を絶ってしまう可能性がある。それを背負ってまで自分の正しさを主張するのだという覚悟がわたしにはできない。それができなくて勝手に悲しみに暮れるわけです。実によくないですね。



レストラン・ヴィーノに新しく入社したマダレーナちゃんという女の子がいます。右も左もわからないままにぽんっと放り込まれた場所で、プロとしての質の高さを求められながら接客をしています。
本当によく怒られています。彼女に非があるのか、怒っている側にも問題があるのか、わたしのポジションからは判断ができないのですが、でも、とにかく彼女が厳しい環境に置かれているのは間違いありません。

入社から一ヶ月ちょっと経って、マダレーナちゃんと帰り際に話をする機会があったのですが、彼女は、怒られたことはすべて納得できる、と言っていました。そしてある時期を越えてからは、ホールの中にいる誰よりも凛とした姿勢でフロアに立つようになりました。わたしにはそう見えました。

美しいな、と思ったのです。本当に。ひさしぶりにかっこいい現実を見た、と。

彼女はすべて納得できると言っていました。わたしは納得できないことには絶望すると言いました。でももし、納得できることで怒られても、わたしは彼女のようにかっこよく仕事をしただろうかと思ったのです。また、怒られたことに「本当に」納得したことがあっただろうかと。

わたしはだいたいにおいて、納得できないことや不満が多いのです。でも誰かのそういう感情から進歩や改善が生まれるのだとしたら、そのこと自体は決して悪い側面ばかりを持っているわけではない。だから自分の疑問や不満に対してもわたしはいつも正面から向っているつもりだし、議論の場が与えられれば戦うこともできると思います。

でも、マダレーナちゃんを見て思ったのです。こういう姿勢も大切だと。疑問や不満がある中でも自分なりの解答をみつけて納得して、その納得したことに誠実である姿。これはちょっと見習いたいと心底思いました。わたしにこのかっこよさはない、と。




なんやかやと難しいことをうだうだ考えずに、凛と姿勢よく立てる。
自分の仕事に対してそういう姿勢を持つことを、遅ればせながら、今年の目標のひとつにしたいなと思います。