先週、わたしの卒業した大学が創立125周年を迎えました。
大学内で様々なイベントが行われたらしく、その案内が郵便で送られてきたりもしていました。
愛校心のそれほど強くないわたしは、そんなこと言われても「ふうん」くらいです。
だいたい、なぜに「125」?
一世紀+四半世紀?
ちゅーとはんぱ。
こじつけだろ。
くらいに思う方もいると思いますが、
そしてそのご意見はごもっともだと思いますが、
まあそう言わずに聞いてやってください。
この数字には一応意味があるのです。
大学の創立者が常々語っていたという「人生125歳説」に拠っているのです。
「人間は本来、125歳までの寿命を有している。適当なる摂生をもってすれば、この天寿をまっとうできる」
この有名な言葉、わたしも入学するまで自分の大学の創立者の持説だったとは知りませんでした。
入学当初は愛校心の強い方々の中で肩身の狭い思いをしました。
知らなくてごめんなさい。ふん。
それにしても、125歳って、長いよね。
60歳で定年退職しても、まだ人生の半分ってことですよね。
なんにもできなくなっていたとしても、
世界を125年間見ることができるのは、
それだけで宝だって気がします。
でも、長いなぁ。
大学内で様々なイベントが行われたらしく、その案内が郵便で送られてきたりもしていました。
愛校心のそれほど強くないわたしは、そんなこと言われても「ふうん」くらいです。
だいたい、なぜに「125」?
一世紀+四半世紀?
ちゅーとはんぱ。
こじつけだろ。
くらいに思う方もいると思いますが、
そしてそのご意見はごもっともだと思いますが、
まあそう言わずに聞いてやってください。
この数字には一応意味があるのです。
大学の創立者が常々語っていたという「人生125歳説」に拠っているのです。
「人間は本来、125歳までの寿命を有している。適当なる摂生をもってすれば、この天寿をまっとうできる」
この有名な言葉、わたしも入学するまで自分の大学の創立者の持説だったとは知りませんでした。
入学当初は愛校心の強い方々の中で肩身の狭い思いをしました。
知らなくてごめんなさい。ふん。
それにしても、125歳って、長いよね。
60歳で定年退職しても、まだ人生の半分ってことですよね。
なんにもできなくなっていたとしても、
世界を125年間見ることができるのは、
それだけで宝だって気がします。
でも、長いなぁ。