uubの小屋

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ただ今、冒険中。

5つの「力」

2009年02月13日 00時11分39秒 | 日記
本屋さんで「○○力」というキーワードを目にすることが多くなりました。

ちょっと注意深く観察するだけでいろいろ出てきます。
流行りの「人間力」に始まって、作家では渡辺淳一が「鈍感力」、スポーツではサッカーの中村俊介選手が「察知力」、ビジネス書や自己啓発本になるととにかくなんでもありで、「仕事力」「人脈力」「思考力」「マネー力」「現場力」「質問力」「雑談力」「ルーチン力」「関心力」「解決力」「読書力」「空腹力」「断食力」「世渡り力」なんていうものまで、実に多岐にわたっています。つい最近では雑誌「Number」の今週号のタイトルが「言葉力」でしたね。はいはい、もうわかりました。という気分です。


わたしにとって重要な「○○力」とは、常に5つしかありません。

「理解力」「想像力」「表現力」「判断力」「決断力」です。

以前わたしはどうして勉強しなければならないのかということを真剣に考えたことがあります。勉強が最初から楽しい子なら、そんなことは考えなくて済むのかもしれないけれど、勉強が楽しくない子は当然思うわけです。なんでこんな将来役に立つかどうかわからないことを、今必死になってやらなくちゃならないのか、と。みんながみんな学者や技術者や専門家になるわけじゃない。自分たちがやらされていることの中で、それぞれにとって必要のないことはいくらでもあるような気がします。
でもそういうことではないのだと、ずいぶんあとになってから思うようになりました。わたしが学校で学んだことは、あるいは、学ぶべきことだったのは、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」がソラで言えることとか、三角形の角の和が常に180度であることを証明できることとか、江戸幕府の歴代将軍の名前とその将軍が行った政策を線で結べることではなくて、それらを学ぶことを通して「理解力」と「想像力」と「表現力」を身につけることだったのだと。

そしてつい最近になって思うようになったことがあります。この「理解力」と「想像力」と「表現力」を身につけることによって得られる最大の力は「判断力」ではないか、と。逆に言えば、判断力をつけるためにこそ「理解力」と「想像力」と「表現力」が必要なのではないか、と。

どんな世界でも分野でも企業でも、トップに立つ人に求められるのは常に「判断力」ではないだろうかとふと思ったのです。なぜならトップにいる人だけに許されている権限が「判断」だからです。どんなに能力があっても底辺の端っこにいる人間に組織の判断は任されません。だからこそあの和久さんの「正しい事をしたければ偉くなれ」があるわけです。そしてその判断力の基盤になるものが「理解力」と「想像力」と「表現力」ではないかと思ったのです。

情報を理解し、将来を想像し、ある表現をもって、判断をくだす。その判断が偉大であればあるほど人は彼についてくるし、組織は強くなる。だからこその重要な判断力。

ところがもう一つ重要なものがある。それが「決断力」だとわたしは思うのです。判断したことを実行に移す、その力。決断ができなければ的確な判断も無駄になってしまう。
わたしは「理解力」「想像力」「表現力」とそれに培われる「判断力」は学べるものだという気がするのです。しかるべき訓練を積み重ねることでそれぞれの限界はあるにせよ育てていけるものではないかと。でも「決断力」というのは頭で学べるものじゃない。どうやって養われるのか知っている人がいたら教えてほしいですが、ともかく読書をたくさんしたら、運動をたくさんしたら、煮干をたくさん食べたら、というように、何かをしたら身につくという種類のものではない。決断しなければならない立場に立たされて初めて発揮できる能力なのかもしれません。


わたしはまだまだ底辺の端っこの隅の陰で、こっそり息をしているアライグマです。がんばりまーす。