uubの小屋

I also miss your small but peaceful room.
ただ今、冒険中。

凛と姿勢よく。

2009年02月01日 12時12分29秒 | 日記
わたしは怒られるのがひどく苦手です。人間、いや、もとい、アライグマだから失敗はします。洗ったお皿に汚れが残っていたり、ひびが入っていることもあります。たとえ話ですが。とにかく失敗はします。そういうとき怒られると、わたしはあえなくしょげ返ります。割れてしまったお皿のことをいつまでもいつまでも悔やんで、なかなか立ち上がることができません。次にツーベースヒットのタイムリーでランナーをホームに返して、その次に逆転サヨナラホームランで勝利を勝ち取りヒーローインタビューでお立ち台に上がる、くらいのことがあるまで、だいたい引きずっています。でもそれはいいのです。それくらいのことをすればちゃんと立ち上がれるので。

問題は、失敗しなくても(少なくとも自分はそう思っていても)怒られた場合です。そういうことが世の中ではいくらでも起きます。自分が納得できないことで怒られたとき、わたしはまったく立ち上がれなくなることがあります。嘘じゃありません。大袈裟でもありません。どういうスイッチの入り方をしているのか不思議でたまらないのですが、本当にまったくダメになることがあります。安易な言い方ですが絶望してしまうのですね。人とコミュニケーションをとることに。そしてなんでこんな些細なことで絶望してしまうような心の持ち方しか自分はできないのだろうかと、そのことにまた苦しんでしまう。自分はなんてちっぽけなのだろうか、と。

でもそれは、きちんと反論できれば解決できる問題だろうとは思うのです。ところがそれができないんですね、わたしは。自分の一番よくないところだと思っています。
わかっていてもできないのは、おそらくはわたしに覚悟がないからだろうと思うのです。相手の非を咎めることに対する責任を負う覚悟、ですね。
誰かに対して怒りをぶつけた人というのは、一度怒ってしまった以上、もうそれを引っ込めることはまずできません。だからもし、その怒りが誤ったものだったと本人が気付いたときには、その人は逃げ道を失ってしまいます。人の怒りというのはそういうものだと思うです。だから「わたしは悪くない」と主張することは、相手の逃げ道を絶ってしまう可能性がある。それを背負ってまで自分の正しさを主張するのだという覚悟がわたしにはできない。それができなくて勝手に悲しみに暮れるわけです。実によくないですね。



レストラン・ヴィーノに新しく入社したマダレーナちゃんという女の子がいます。右も左もわからないままにぽんっと放り込まれた場所で、プロとしての質の高さを求められながら接客をしています。
本当によく怒られています。彼女に非があるのか、怒っている側にも問題があるのか、わたしのポジションからは判断ができないのですが、でも、とにかく彼女が厳しい環境に置かれているのは間違いありません。

入社から一ヶ月ちょっと経って、マダレーナちゃんと帰り際に話をする機会があったのですが、彼女は、怒られたことはすべて納得できる、と言っていました。そしてある時期を越えてからは、ホールの中にいる誰よりも凛とした姿勢でフロアに立つようになりました。わたしにはそう見えました。

美しいな、と思ったのです。本当に。ひさしぶりにかっこいい現実を見た、と。

彼女はすべて納得できると言っていました。わたしは納得できないことには絶望すると言いました。でももし、納得できることで怒られても、わたしは彼女のようにかっこよく仕事をしただろうかと思ったのです。また、怒られたことに「本当に」納得したことがあっただろうかと。

わたしはだいたいにおいて、納得できないことや不満が多いのです。でも誰かのそういう感情から進歩や改善が生まれるのだとしたら、そのこと自体は決して悪い側面ばかりを持っているわけではない。だから自分の疑問や不満に対してもわたしはいつも正面から向っているつもりだし、議論の場が与えられれば戦うこともできると思います。

でも、マダレーナちゃんを見て思ったのです。こういう姿勢も大切だと。疑問や不満がある中でも自分なりの解答をみつけて納得して、その納得したことに誠実である姿。これはちょっと見習いたいと心底思いました。わたしにこのかっこよさはない、と。




なんやかやと難しいことをうだうだ考えずに、凛と姿勢よく立てる。
自分の仕事に対してそういう姿勢を持つことを、遅ればせながら、今年の目標のひとつにしたいなと思います。